まな板の上の……
「見えてきたね」
クーパーの後をついてきたはずであるのにルーム達は苗床亭への道を進んでいた。逃げているはずのクーパーがルームの本拠地である苗床亭に近づいてしまうという愚行に至った理由は2つである。1つ目は知らないこと、いきなり出現した苗床亭などという宿屋があることをクーパーは知らないのだ。そして2つ目は付着した胞子からの干渉を受けていること、手についた胞子はすぐさま根を張る。そして帰巣本能とも言うべきものを喚起するように働きかけている。本体はルームであるため、この場合は苗床亭に向かうように誘導をかけられているのだ。
「おい、あれって」
「思ったより早かったけど、やっぱり物理攻撃相手には霊体が強いよね」
先に苗床亭に到着していたクーパーはヨツヤと立ち会っていた。なんでこんなところに来てしまったのかという混乱とともに、目の前の怨霊の力量を感じ取ったことで全身から冷や汗をかいていた。もちろん後方から追いついたルームにも気づいている。挟み撃ちの形なのだ。
「おまえ……これは反則だろ」
「え? なんで。僕がやるよりずっと早いし安全だよ。だってヨツヤは強いもん」
何が反則なのか分からないという風にルームは言う、【心眼】があれば何とか戦闘が成り立つとはいえ物理無効の霊体は武術使いにとって霊体はまともに戦うべき相手ではない。あまりにも相性が悪いのである、ましてや今のクーパーは【心眼】など発動させられるわけもない。肉体よりも精神が重要になるスキルの発動に【自傷改造】による精神負荷は重い枷になる。
「ね、もう勝ってるでしょ?」
「えげつない事すんなあ」
このような事態になった時に取り得る手段はまず逃げることである。少し前にクーパーがしたように形勢不利な時に逃げるのは正しい方策なのだ。しかし、今のクーパーは逃げることができない。それはなぜか、理由は簡単。既にヨツヤの間合いに入ってしまっているのである。
「なんで、今、居るの」
「うふふ、お天道様が出ている間に出てこられない程度の幽霊なら。ここまで永らえることもなかったでありんすねえ。それでも丑三つ時よりは弱いのは道理、向かってきなんし」
「冗談でしょ、今行ったら斬られちゃう」
「それは面妖な、太刀なんて持ってないでありんすよ」
今のヨツヤはいつもの大太刀を出現させていない、珍しく徒手空拳の状態で出現していた。これは出現する時間帯の問題である。夜の存在である怨霊がフルパワーで戦えるのは真夜中であって、母なる光が世を照らしている間には弱体化を免れない。それでもクーパーはヨツヤから視線を切ることはなく、全身の緊張を解くこともなかった。逃げようとして背中を向けようものなら自分が真っ二つになるであろうことを予感していた。
「ほら、ご覧のとおり何も」
「騙されない、薄いけど分かるよ。この目はもう改造してあるから、普通は見えないものも見えてる」
「あらら、浄眼でありんすか。それじゃあ必要以上に薄くする必要はないでありんすね」
悪戯に笑いながら手を握る。するとその手には酷く薄い刀があることが分かるようになる。ヨツヤが言った浄眼とはヨツヤの故郷での魔眼の呼び方の1つである。曰く見えぬものを見るのが浄眼、見えるものに干渉するのが魔眼である。
「油断してくれれば楽でありんしたが」
「待ってよ、攻撃される理由はないでしょ」
「ここに近づくということは、攻撃される理由になるのでありんす。間違ってきたわけでもないでありんしょ、旦那さんの胞子が付いているのも理由でありんすなあ」
「逃がす気は」
「残念でありんすなあ」
一歩分ヨツヤが距離を詰める。
「安心しなんし」
重心が前に移るのと同時に腕が振られる。
「流石に命までは」
流れるような挙動に継ぎ目なし、起こりに一切の淀みなし、見切ることなど不可能な一撃、単純であるからこその不可避。
「取らないでおくでありんすから」
「あ、あああああああああああああああああ!!」
「あら硬い、半分といったところでありんすな」
右腕の半分まで斬り込んだところで薄い刀が砕けた、あまりにも高密度な身体が昼間に作れる刀の強度を上回ったのであった。
「まあでも、無理に動いたら死んでしまうかも」
「くそ、半分なら」
「今度は足にしとくでありんす」
「うぐっ!?」
半分ほどになってしまった刀身でクーパーの右足を斬る。これも両断とはいかず3分の1ほどだけ斬って止まってしまう。
「うがあああああああああああああああああああああああああ!!!」
残った手足を触手に戻しながら斬られた手足を自らもぎとる。
「自殺でありんすか」
「くそがあああ!!【自傷改造】」
「ん? 何かする気で」
ヨツヤが対応するよりも、新たな手足が生えてくる方が早かった。しかも今度は金属質の腕である、弾力性と駆動の自由度を損なう代わりに硬さに特化した身体を作ったのである。ヨツヤの刀の脆さに対応するための手段だった。そしてその腕は1本ではなく、少なくとも10本以上の塊となってヨツヤを襲う。
「無駄でありんす」
襲ったとて当たらぬ腕の意味は攻撃ではなかった。その物量による目くらましこそがこの腕の目的である。万が一斬り進まれたときのための硬質化であったのだ。
「ばいばい、化物怨霊」
腕をもう一度切り離しながら跳躍するクーパー、一瞬の隙さえあれば逃げ出せる自信があったのだ。それが過信でないことは肉体のスペックが物語っている。
「運が無いなあ、あんなのに会うなんて」
「いや逃がさないよ?」
「なんで、君がここに」
「忘れてたでしょ、ヨツヤに気をとられて」
跳んだ先にはルームが待ち構えていた、ヨツヤとの戦闘が始まった時からクーパーが逃げる方向を予想して待ち構えていたのである。
「ここで終わりだよ」
ルームの手は既にクーパーの傷口に触れている、すぐさまクーパーの身体の自由が奪われた。グウェイにしかけた拘束と同じものであるが、背骨が存在しない蛸であるためにより神経に絡むように調整した菌糸でもってルームが直接縛っていた。
「自傷して抜け出せないように、完全に縛らせてもらうよ」
「く、そ」
完全にクーパーの身体が硬直する、蛸の姿に戻られると移動させにくいために緩むのではなく緊張させることで拘束しているのである。
「ふう、これで一件落着かな」




