朝ご飯は魔法
「おはようございます、なんでここに来たんですか」
少しずつ覚醒を果たしているグウェイの頬を叩きながらルームが言う、見ようによっては挑発をしているようにも思える形であるが意識のはっきりとしていないグウェイは特にそれを気にすることもなくゆっくりと目を覚ました。
「ああん?」
目の前に広がるのは怨敵たるルームの顔、考えるより先にグウェイの身体は攻撃を開始していた。即ち起き上がりながら拳を叩きつけるという行動である。無心ゆえの最短、無意識ゆえの最速の一撃がルーム向かって解き放たれた。
「悪い手でありんすな」
「あだだだだだ!?」
だがその手はヨツヤに捻り上げられてしまっていた。そしてこのままであれば腕を切り落とす体勢に入っている。ヨツヤの顔は無表情であるが、うっすらと眉をひそめている。その割には手には万力のような力が込められている。
「待って!! 大丈夫だから」
「左様でありんすか」
「うおっと」
解放されたグウェイが少しよろめく、その頭をがっちりとヨツヤの手が掴む。そして強制的に瞳を合わせる、いつもの瞳とは全く違う昏く怒りに満ちた光を宿した瞳が正面からグウェイを貫いた。思わず身をすくめるグウェイにささやきかける。
「教えてあげるでありんす、ここに居るのはこの苗床亭の主人。良いでありんすか、次に何かしようものなら止められてもその腕を頂戴いたしますからそのつもりで」
声音があくまで平静、だがその奥深くに込められた怒りはひしひしと伝わる。魂まで冷や汗をかくような思いをグウェイはしていた。
「は、はい」
「良い子にしてたら悪いようにはしないでありんす」
もはや牙を抜かれた猪である、グウェイはさっきまで親の敵のように思っていたルームに助けて欲しいという視線を送るほど怯えていた。
「えっと、何しに来たんですか」
「お、俺はちょっとリベンジをしに来たっていうか」
「で、返り討ちにあったと」
「うぐっ、まあそうだけど」
「とりあえず朝ご飯食べますか?」
「え?」
ゆっくりと立ち上がったルームがエプロンを巻きながら言う、こんなことを言われるとはつゆほども思っていなかったので戸惑った表情を見せるグウェイの鼻に香ばしい匂いが届く。
「何か苦手なものはありますか?」
「えっと、苦いものは嫌いだ。あとは匂いのキツいもの」
「なるほど、分かりました」
ほどなくして、簡単な料理が完成する。
「どうぞ、これは僕の奢りですから遠慮しないでください」
「お、おう」
なぜか言われる通りに食卓についてしまうグウェイ、なぜだか逆らえないような雰囲気を感じてしまっているのだった。そして目の前に出された湯気の立つ朝食を見て喉を鳴らす。グウェイには久しぶりというにはあまりにも昔の記憶の中にしか人の作った料理を食べた思い出はない、普段は肉を焼くか食える草を飲み込むかくらいのことしかしないのである。
「い、いただきます」
意外にもグウェイの食事は少し荒いくらいでマナーがなっていないということはない。武者修行に出るような者は身よりもなく戦闘以外はどうでも良いと思っているために作法などには全く関心を持たずに一般社会における常識に疎いことがあるが、グウェイはそれとは違うようだ。
「美味しいですか?」
「おう、こんな飯は久しぶりだ」
そう言った瞬間には既にグウェイの双眸からは涙が溢れていた、なぜ泣いているのかはグウェイにも分からない。それでも、自分を完膚なきまでに叩きのめした相手から振る舞われた朝食がどうしようもなく心に沁みているのだった。
「なんだ……雨漏りか? 案外ボロいんだなこの宿」
「そうですね、今からはもう少し雨漏りするかもしれませんね」
「屋根くらい繕っておけよ……こんな美味い飯出すんだからそんなとこで減点されたらもったいねえだろ」
グウェイは自分が泣いていることに気づかない。それほどまでに自然に涙は溢れていた。人を恋しく思っていたのかもしれない、修行に疲れていたのかもしれない。それは誰にも分からないが、今のグウェイが癒やされていることだけは確かだった。
「ごちそうさん」
「お粗末様でした。用件はもう良いですか?」
「いや、まだあるな」
そう言うとグウェイは床に膝をつけてルームを見上げた。
「1飯の恩義は絶対に忘れねえ。俺はお前を襲おうとしたのに、ここまでしてもらって戦おうとするほど礼儀知らずじゃない。無礼を詫びる、お前は俺なんかが敵うわけもないでかい奴だった」
グウェイの頭が下げられる、土下座一歩手前という姿勢である。それを見ているヨツヤはどこか満足そうであった。今にもそうでしょうと言い出しそうなほどに。
「何かで償いたいが、俺はこの通り着ているものくらいしか持ち物がねえ。この身体で満足してくれれば良いんだが」
「グウェイさんは、もしかしてものすごく鼻が良かったりする?」
服を脱ごうとするグウェイを止めつつルームが問う、猪の特徴を持つ者の嗅覚の鋭さは桁外れであると地下図書館で知っていたのだ。スィンも鼻は良いのだが、それはフェロモン的なものを嗅ぎ分ける方が得意であって純粋な嗅覚ではそこまでの精度があるわけではない。
「あ、ああ、それなりにはな」
「じゃあ僕の依頼を手伝って欲しいんだ、僕はここの人食い鬼を探さなくちゃならない。その嗅覚で手伝ってくれると嬉しい」
「もちろんだ、俺ができることならなんでもやるぜ」
「ありがとう。ちなみに僕のハンカチってまだ持ってる?」
「ああ、ここにあるぜ」
「良かった、あんまり良いものじゃないし迷惑だろうから引き取るよ」
「いや、これは、その、べ、別に良いじゃねえか。ちょうどハンカチが欲しかったところ。だからよ」
「そう?」
ハンカチは返さないという強い意志を感じる瞳であった。




