即席カンフーマスター
「冗談じゃねえぞ、小娘がここまでの技量を持ってるわけねえだろうが!!」
「ねえ、もっと見せて、もっともっと」
「クソが!!」
スィンの適応進化能力は人型を獲得したことで別の形になっていた。本来の蟲毒姫蜂の進化とは攻撃・防御を目的とした適応によって成される変形・改造に類するものである。急速に身体の組み替えを可能とする能力であるのはずなのだが、今はそれよりも超学習能力とでも表現されるべき能力へとなっている。それは即ち模倣の力、見たものをすぐさま己にフィードバックさせることで習得するという馬鹿げた力と化していた。
「オラァ!!」
渾身の拳が流れるような所作でスィンにいなされる、明らかに数秒前よりも精度が上である。文字通り1秒ごとに動作の最適化を行っているのだ。そして、今まで見たことも無い動きでカウンターを放つ。人ではおよそできない動きは虫の身体であるがゆえ。
「えいっ!!」
「うぐぁっ!?」
完璧にカウンターが入ることでグウェイの身体が一気に崩れる、足はたたらを踏み力の抜けた芯の無い立ち姿は獲物以外の何物でもない。そしてそれを見逃すほど今のスィンは優しくもなければ、技量が無いわけでもなかった。
「おーしまいっ」
「かっ!?」
全身のバネを使ったアッパーがグウェイの顎に炸裂した、それがもたらす効果は明白。勝者と敗者を決定する。うつぶせに倒れたグウェイはぴくりともしない。
「うん、楽しかった。もう忘れたけど」
「忘れたの?」
「もう良いかなって」
スィンの模倣の力の難点は、本人が興味をなくした瞬間にその技は失われるということである。変化し続けることを宿命づけられているために1つのことに専心するようには根本的にできていないのだ。それでも完全に消えたわけではなく奥底に蓄積されているのが真に恐ろしいところなのだが。
「これくらいボコボコにすればもう良いかな?」
「あそこまで綺麗に入ればしばらく立てないだろうからね」
倒れたグウェイを尻目にしてその場から去ろうとするが、何か変な音がしているのことに気づく。それは粘度の高いものをすすっているような音であり。近い音をあげるのならばスライムが這いずる音が最も近いだろう。
「なんだ?」
不審に思って振り返る、不定形の魔物が倒れたグウェイに襲いかかっているのならば流石に見殺しにしたりはしない。万が一の可能性を危惧して近づいてみると音の発生源は倒れているグウェイ本人であった。
「内部に入り込んだのか……?」
確認すべくグウェイをひっくり返す。
「ばがやるぉ……もどっでぐんじゃねえよぉ……ひっく」
グウェイの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた、顔を拭う余裕もないのか垂れ流されるままになっている様子だ。
「泣いてるんですか」
「みだらわがるだろうがあ!!」
「いやまさか泣いてるなんて思わなくて」
「うるぜえ、ほっとげよぉ!! みじめな負け犬にがまうなよぉ!!」
「(負け犬って、牛と猪のダブルなのに犬なのか)」
ここまで泣きじゃくっていると流石に可哀想になってくるのでルームはハンカチを差し出した。そして、あまり構い過ぎても惨めさが加速するだけだと考えその場を去ることに決めた。
「じゃあね、こんなことを言うのも変だけどあんまり無茶したら駄目だよ」
「よげいなおぜわだぁ、ざっざとあっちいけよぉ……」
「うん」
ルームが居なくなってから数分でグウェイがむくりと起き上がる、流石に鍛えているだけあって回復も相応に早いのだった。
「くそ、くそ、あんなの反則だろうが。絶対に許さねえ、おかしな匂いが混ざってたがあいつは馬鹿だから俺にこんなもん残していきやがった。不意打ち、闇討ちなんでもやってやろうじゃねえか、今度はあいつを這いつくばらせてやる」
ルームのハンカチを嗅ぐ、戦闘中は全く気づかなかった匂いではあったが非常に好みの匂いであることに気づく。単純に美味しそうな匂いであるのに加えて、なにか頭に霧がかかるような甘ったるい匂いがしている。知らず知らずのうちに口から涎が垂れ、そして腹の奥底が熱くなるような感覚に襲われることになった。
「はへぇ? なんだぁ、こりゃあ、はっ!?」
なにか危ういところに行きそうになったがなんとか立て直した、しかし身体は抗い難く少しでも気を抜けばすぐに鼻先にハンカチを持っていきそうになる自分に驚く。
「これは危険だ、全身がそう言ってる。でも、手放す気もおきねえ。呪いの類かこりゃあ!?」
別に呪いでもなんでもなく、手に入れた貴重なものを手放したくないという本能に身体は支配されているだけのことである。理性のとどかない深い場所に直接とどいた香りが嗅覚の鋭さでもって倍増したのが運の尽きである。
「だ、駄目だ。無策で行っても狩られる。せめて夜襲をしかけるんだ……」
手負いの獣は無謀なる夜襲を計画する、夜の苗床亭という万魔殿にも等しい魔境に突っ込もうとしていることも知らずに。




