第70話 夢見る王女ラクティフローラ
「お母様、また勇者様のご本、読んで」
「また?……もう、ラクティったら、勇者様が大好きね」
そこは、王国『ラージャグリハ』の王都『マガダ』の宮殿内。
幼い王女とその母が、仲良く本を読んでいるところだった。
「――こうして、勇者様によって魔王は倒され、世界に平和が訪れたのでした。めでたしめでたし」
「やったぁーーっ」
母親が読んでいるのは、勇者と魔王の戦いについて記述された歴史書である。
まだ子ども向けの絵本など存在しない世界のことだ。その歴史書をそのまま読んでは、とても子どもが理解できるものではない。
そこで、この聡明な母親は、重要な場面だけを抜き出し、自分なりにアレンジを加えて、愛娘に読み聞かせていたのだ。
「どう?面白かった?」
「うん。すっごく面白かった!」
「本当にラクティは、勇者様が好きよね」
「あのねあのね、お母様、私、大きくなったら勇者様のお嫁さんになりたいの」
「あらあら、我が娘ながら大きな夢だこと。では、ラクティ、そのためには立派な淑女となって、お国のために働ける女性にならないといけないわね」
「うん。でも、どうやったら勇者様に会えるの?」
「それは大丈夫よ。あなたには、勇者様に会うことのできる特別な力があるんですもの」
「ほんと?」
「本当よ。だから、いっぱい勉強して、しっかり力を身につけて、立派な魔導師に成長してね」
「うんっ」
「こういう時の返事は、”はい”よ」
「はい!お母様!」
それから十数年。既にその母親は病で他界していた。
王女は幼いころに抱いた夢をそのまま大切にして成長し、立派な17歳の魔導師となって、『勇者召喚の儀』を成功させたのだ。
だが、いくつかのイレギュラーが起こった。それについては、今後、語られることとして、ともかく王女は父である国王に状況を説明し、騎士団から”勇者捜索隊”を出してもらった。
待ち続けること十数日、ついに聖騎士から勇者発見の一報が告げられた。
そして、今か今かと待ち構える王女のもとに、勇者到着の旨が知らされたのだ。
『ラージャグリハ』の第一王女、ラクティフローラは、狂喜乱舞した。
「キ、キターーーー!!!
どどど、どうしましょ!どうしましょ!ついに来てしまったわ!とうとうこの日がやって来てしまったわ!!ねぇ、アイビー、私どうしたらいい?」
「ニャー」
『アイビー』と呼ばれたのは、ラクティフローラの飼っている愛猫である。もちろん彼女の問いに答える術は持っていないが、ラクティフローラは勝手に会話を続けた。
「そうよね!勇者様ですもの!きっと素敵で優しい殿方よ!ああ、早くお会いしたいわ!でも、どうしましょ!いざとなったら、緊張して心臓がはち切れそうだわ!!」
「ニャー」
やはり猫の返事は変わらない。そんなアイビーの代わりに、王女に仕える侍女長『フリージア』が、落ち着き払って答えた。
「姫様、勇者様をお呼びする準備は既に整っております」
「そ、そうよね!そうよね!!私、今日という日のために毎日毎日、服のことから屋敷の飾り付けまで、全て入念に準備してきたんですもの。ねぇ、フリージア、今日の私、かわいい?」
「はい。姫様は王国一、いえ、世界一かわいいです!!」
「そうよね!そうよね!!パイン、あなたはどう?今日の私、かわいい?」
ラクティフローラは、別の侍女にも問いかけた。
「はい。今日もお美しいです」
「ケリアは?今日の私、かわいい?」
さらに別の侍女にも、しつこく尋ねる。
「はい。今日も一段とかわいいです」
「そうよね!そうよね!そうなのよね!!
”かわいいは正義”ですもの!昔の勇者様も、そうおっしゃっていたわ!では、フリージア、すぐに勇者様をこちらにお呼びしてちょうだいなっ」
「それにつきましては、姫様、どうせならディナーにご招待されてはいかがでしょうか」
「え、ディナー?」
「はい。ご歓談が弾めば、お時間も遅くなりますので、そのままお泊りいただくのもよろしいかと思いますが」
侍女長の提案を聞いて、ラクティフローラは顔を赤らめた。
「ちょっ、何言ってるの、フリージア!嫁入り前の私に何をさせようとしているのよ!」
「いえ、何も勇者様と逢い引きするべきと申しているのではありません。大事なのは、王女のお屋敷に勇者様がお泊りあそばした、という事実なのでございます」
「どういうこと?」
「この手の噂は、とても広がりやすいものでございます。そうすれば、自然と勇者様は王女殿下と深い仲であると認知されることになりましょう。王女殿下の愛する殿方となれば、手出ししようと考えるご婦人はいなくなることでしょう」
「すごいわ……!フリージア!勇者様に悪い虫が付かなくなるのね!あなた天才なの!?さすがは人生長く生きてきただけあるわ。自分は結婚もしていないのに」
「そこは、ほっといてください!」
侍女長であるフリージアは20代後半で気品のある女性だった。背が高く美しい女性であり、モテないはずはないのだが、この世界では残念ながら婚期を逃した女性という扱いだった。
「でも、それでは、この私が、とてもはしたない女として見られないかしら?」
「そこは、姫様のお覚悟次第かと。所詮は噂話ですので」
「なるほど。そうよね。では、勇者様を夕餉にご招待することにしましょう。お部屋は…………そう!亡きお母様が使っていたお部屋がよろしいわ!」
「まぁ、王妃様のお部屋でございますか!?あのお部屋は、王妃様が亡くなられてから、ずっとそのままの状態で保存されておりましたのに」
「大事な大事なお客様をお迎えするんですもの。最高のおもてなしをするために、私が最も大切にしているお部屋にご案内しなければならないわ」
「さすがでございます。姫様」
「では、早速お部屋の掃除と準備をお願いね。私もおもてなしの準備をするわ」
「かしこまりました」
「さあ、忙しくなるわよ!アイビー、今日は大事なお客様が来るから、あなたはお部屋で遊んでいてね」
「ニャー」
王女の部屋には猫だけが残され、勇者を迎えるための準備が慌ただしく行われた。
そして、夕方になった。
「姫様、コリウス部隊長のもとから使いの者が戻って参りました。これから勇者様は、こちらにいらっしゃるということです」
フリージアが報告に来た。
「あぁ!あああぁぁぁ!どうしましょう!本当にいらっしゃるのね!今さらだけど、長旅でお疲れのところを急にお呼び立てして、無作法な女だと思われていないかしら!」
「それにつきましては、お美しいラクティフローラ様にお会いなされば、いかに勇者様といえども、心洗われぬことはないと考えます」
「そ、そうかしら?」
「はい。これまで姫様に会われた殿方は、皆一様に鼻の下を伸ばして帰られました。これに例外はございません」
「そうよね!確かにそうよ!この私をバカにしてくる男なんて、あの聖騎士野郎くらいなもんよね。一番最近に会ったのが、あんな男だったから、私、自分の価値を忘れていたわ。勇者様には、私の美貌とおもてなしで、長旅の疲れを癒して差し上げましょう」
「それでよろしいかと思います。ところで、姫様、もう一つ情報がありまして、今回、勇者様お一人をご招待しましたが、他にもお仲間いらっしゃるようです」
その言葉を聞くと、王女の表情は真剣なものに変わった。
「やはり勇者様ともなれば、このような短期間のうちにお仲間を見つけていらっしゃるのね。で、どのような方々がいらっしゃるの?」
「はい。お仲間はお一人のようでして、剣士だそうです」
「剣士?それは……男性かしら?女性かしら?」
「わかりません。遣いの者は、剣士がいるとしか聞かなかったようです」
「どうしましょう。もしもその方が女剣士だったら、一大事だわ」
「それはまた、どうしてでしょうか?」
「歴代の勇者様の英雄譚を知らない?過去の勇者様は、そのほとんどの方が女性の仲間を連れていらっしゃるの。しかも、かなり高い割合で女剣士がいて、その恋仲まで語り継がれている始末。勇者様に憧れる女子にとって、女剣士は鬼門なのよ」
「そのような歴史があるとは……存じませんでした」
「それにしても、どうして勇者様は、女剣士がお好きなのかしら!女性が剣を持つだなんて、武骨なだけで上品さの欠片もないのにね!」
次第にプンプンしはじめた王女にフリージアが進言した。
「姫様、まだその方が女剣士だと判明したわけではありません。まずは、勇者様に気持ち良くお過ごしいただくことが重要かと思いますが」
「そうね。ここで邪推してもしょうがないわ」
「では、私は玄関にてお迎えの準備を致します」
「よろしくね、フリージア。勇者様はお疲れかもしれないから、最初にお部屋にご案内して差し上げて。それから私のサロンにお連れしてね」
「かしこまりました」
まもなく、一台の馬車が屋敷の前に到着した。
その音を聞きつけた王女は、2階にある自室の窓から玄関の方を覗いた。
コリウス部隊長と思われる騎士が先導し、一人の青年を馬車から降ろしたところだった。窓からでは顔まで判別できないが、若い魔導師のような恰好をしている。
「キタキタ、キターーーー!!!あれが勇者様かしら!剣を持ってないのが意外だったけど、背はそれなりの高さって感じ!魔法を得意とされる勇者様も過去にはいたから、きっとそのタイプなのね!そう考えると、お仲間に剣士がいらっしゃるのも納得だわ!」
馬車は帰って行き、青年が玄関から屋敷に入ったことを見届けた王女は、部屋にいる侍女全員に尋ねた。
「みんな、どうかしら?お化粧の具合は変じゃない?」
「「大丈夫です。ラクティフローラ様」」
「ドレスはどう?後ろは変じゃない?」
「「問題ありません。ラクティフローラ様」」
「では、サロンに行って、夕食の確認をしましょう。今頃、勇者様はお母様のお部屋に入られて、落ち着かれている頃かしらね……」
王女は、ここで母親の部屋でくつろぐ勇者の姿を想像してみた。
しかし、勇者の顔を見ていないため、想像できたのは、自分が亡き母と仲良く過ごしていた小さい頃の思い出だった。これまでの人生で最も幸福を感じていた頃の懐かしい記憶が蘇ってくる。
ふと、そこで王女はあることに気づいた。
かつて母親から勇者の物語を語って聞かされるたび、拙いながらも勇者と自分の姿を絵に描いていたことを。それを母は喜び、その全てをわざわざ額縁に入れて飾っていたことを。勇者と結婚したいという幼い頃の夢が詰め込まれた、甘酸っぱい思い出の品が、母の死とともにそのまま部屋の中に保存されていたことを。
いったいあの絵はその後、どうなっただろうか。ハッキリと思い出せない。王女ラクティフローラは、全身から汗が噴き出るのを感じた。
(あ……あの絵は今、どこにあるのかしら!フリージアに全て任せてしまったから、部屋の中を確認するのを忘れていたわ!ダメ!ダメよ!もしも、あんな絵を勇者様に見られたら、私、恥ずかしすぎて死んでしまうわ!!)
突然、硬直して動かなくなった王女を、侍女たちは怪訝そうに見つめた。
すると、慌てた王女が部屋から飛び出し、一人で走り出してしまった。
通常ではありえない王女の行動に、呆気に取られる侍女たち。そのうちの1、2名が、しばらくしてから我に返り、王女を追いかけた。
あまりにも急いでいたため、侍女に任せるという選択肢を完全に忘れ、廊下を全速力で走る王女。それは意外と速く、侍女たちには決して追いつけなかった。
「フリージア!フリージア!ちょっと待って!まだその部屋は!!」
必死でフリージアを呼び止めようと走るラクティフローラ。
2階の廊下から階段を降りた。さらに踊り場を曲がって1階へと向かう。
すると、その真下には男性の姿が見えた。
「あっ!」
思わず声が出た。まだ心の準備が整わないまま、愛しの勇者に相見えることになってしまったのだ。
いったい、どんな顔をしているのか。視線は自然と彼の顔に集中してしまう。その結果、ほとんど必然的に足を踏み外してしまった。
いろいろが同時すぎて、何に対して「あっ」と言ったのか、わからなくなってしまうほどだった。
勢い余って、宙に浮く体。
後悔しても遅い。このままでは確実に大怪我をしてしまう。
夢にまで見た勇者の眼前で、そのような痛い姿をさらけ出すことになってしまうのだ。
だが、王女の体は、地面に激突する前に柔らかい何かに受け止められた。
そして、そのままフワッと風に乗るように男性の腕に抱きかかえられたのだった。それは、”お姫様抱っこ”になった。
「………………!」
何事が起きたのか理解できぬまま、茫然と固まるラクティフローラ。
頭を覆っていたヴェールも取れてしまい、ピンク色の美しい髪が露わになっているが、そこに気を留める余裕もない。
彼女は生まれて初めて、父親以外の男性に抱きかかえられてしまったのだ。
「ま、まぁ!ラクティフローラ様!なんてことでしょう!今、レン様が受け止めてくださらなかったら、どうなっていたことか!」
目撃したフリージアが驚愕して叫んだが、どこか他人事のように王女の耳を素通りしてしまう。それよりも男性から伝わる肌の温もりの方が彼女には一大事であった。
「……大丈夫ですか?」
続いて、勇者が落ち着いた声で優しく語りかけてくれた。
その声で我に返るラクティフローラ。
声の方向に目を向ければ、そこには憧れの勇者の顔が至近距離にあった。
特別イケメンというわけではないのだが、この時の彼女には、この世で最もカッコいい男として、その目に映った。
あまりの恥ずかしさに顔全体が沸騰したかのように熱くなるラクティフローラ。
飛び跳ねるように彼の腕から起き上がり、顔を伏せながら謝罪した。
「も……!も…………も………もうしわけっ……(ありません)!」
最後の方は、ほとんど消え入るような声だったため、相手には全く届いていない。
そのまま彼女はフリージアの手を取る。
「えっ!ラクティフローラ様?」
戸惑うフリージアを連れて、そのまま亡き母の部屋まで走った。
二人して母親の部屋に入ると、ラクティフローラは、両手で顔を覆い、体を震わせながら嘆いた。
「あ……ああぁぁぁ……やってしまったわ!やってしまったわぁ!!」
「どうしたのですか、姫様。そんなに慌てて……」
フリージアの言葉に今度は顔を輝かせて答える王女。
「でも、超カッコよかった!!何あれ!?階段で転んでしまった私をあんなに鮮やかに助けてくださるなんて!まるで優しい風に包まれているかのような、そんな人だった!なんて運命的な出会いなのかしら!!カッコよすぎて、私、死んでしまうわ!!」
一人で舞い上がっている王女を見て、フリージアは静かに、たしなめる。
「姫様、落ち着いてください。お叱りしたいことがたくさんございますが、まずは、何をそれほど慌てていらしたのか、お教えください。また、ただ今、その勇者様を廊下に置き去りにしてしまっております」
「あっ、いけない!そうよね!実は私、このお母様の部屋に昔描いた絵を置いたままだったの!あれは、いったいどうなったのかしら?」
「姫様のお描きになった絵でございましたら、全て片づけて別の部屋に保管してあります。素晴らしい絵だと思いましたが、あれが飾られておりますと、いささか子ども部屋のような印象があったため、殿方をお招きするには、好ましくありませんでしたので」
「さすがだわ!フリージア!ああ!だったら、慌てる必要もなかったのね!」
「では、勇者様をお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「わ、わかったわ!すぐにお呼びして!私は廊下の反対側から戻るから!」
「このまま、ここでご挨拶された方がよろしいのでは?」
「無理!無理無理無理!!
今のことが恥ずかしすぎて、まともにお話しできる自信がないわ!一度、心を落ち着けて、あと、汗をかいちゃったから別のドレスに着替えて、それからもう一度、優雅にご挨拶申し上げるわ!」
そうして、王女は慌ただしく、別の階段から自室に戻り、着替えを済ませ、勇者を歓迎するディナーの最終確認に向かった。




