9話 水の都ウォータル関所
夢を見た。
目の前には「仲間」が立っている。
綺麗な栗毛色の毛並み。
頭に生えた大きな耳。
突き出た鼻と獣特有の鋭い瞳。
遠い記憶。
お父さんやお母さん。
そしてシンシア。
いままで出会ってきた仲間の姿がフワフワと思い出される。
私の目の前にいるのは間違いなく獣魔だ。
「まだ未熟で粗いですが、人間の特徴をよく捉えていますね。ただ耳は仕舞うべきです」
そう言いながら大きな獣はゆっくりと腰を下ろし、
怯える私と目線の高さを合わせる。
襲って・・・こな、い?
ただ獣魔は何をするでもなく私の目をじっと見つめている。
至近距離の凝視。
これは敵意がないことを示すシグナル。
「…あなたは一体」
「これは珍しいですね。その歳で既にその域に入るとは」
どうしうことだろう。
私は他の子たちと何かが違うのだろうか。
そういう物言いだ。
たしかに仲間と離れてメチャクチャな生活だった。
独りでいろいろなものから逃げてきた。
拒絶、別れ、孤独・・・まともではない生活ばかり。
生きることに必死で知識もなく何も分からない。
獣魔の文化なんてもう思い出すこともできやしない。
そういう欠如的な意味で彼女は私に違和感を覚えたのだろう。
すると女性は呟くように耳元で囁く。
気をつけなさい、決して仮面に飲み込まれないように。
そしてたった一つ、決して揺らぐことのない素顔を持ちなさい。
獣魔は弱い。
生きるためには他人を、世界を騙し欺かならければなりません。
ですが、決して自分を騙してはいけません。
いいですか?
私は頷いた。
相手を逆撫でしないように振る舞う。
すると女性は軽く微笑んでスカートの中へ入るように促した。
素顔、仮面・・・何のことだろうか。
暗い布の中で考えてみる。
しかし数秒後にはスダチさんの安否でかき消される。
スダチさん・・・。
スダチさんっ・・・。
スダチさん・・・!
ここで目が覚めた。
---
「どうした?馬車酔いでもしたか?」
「・・・いえ・・・ちょっと寝てただゲホッ!ゲホッ!臭いぃぃぃ!!」
リンゴは目を押さえながら貨物の方へ引っ込んでしまった。
そんなに臭うかな・・・。
村を出る前に洗濯した服なんだが。
もはや、体臭か。
は、嘘だろ!?
まだ25歳だぞここ最近で一番ショックなんだが?
娘に体臭を指摘される父親、というのは微笑ましい光景だと
思っていた時期が俺にもあった。
しかしいざ目下、拒絶されると大の大人でも涙を流しかねないほど胸が痛い。
頭が重い。
自然と目線が下がる。
数センチの白い円形の筒。
先端は赤く、もくもくと煙が上る。
あ、タバコか。
すぐさま火を消し、水を張ったコップの中に突っ込む。
「ごめん、タバコ嫌いだった?」
「・・・いや。だ、だだ、だいじょうぶれす」
うん、大丈夫じゃないな。
腕で鼻を覆いながらいわれたら察せざるを得ないよ。
獣魔って鼻効くし余計苦手なんだろうな。
しかたない、タバコは今日限りでさよならだ。
・・・。
ただあと5本残ってるからリンゴが居ないときに吸おう。
勿体ないしな捨てるの。
勿体ないし。
「そういえばこの辺りは静かですね。魔物も見えないですし」
「この辺は労ギルの狩り場なんだろうな」
「ろーぎる?」
「そうか、知らないのか」
掻い摘まんで説明をする。
労ギルとはギルドの一種だ。
ギルドとは国に正式に認められた職業組合のこと。
国に一定の組合税を払うことで公共事業などの仕事が優先的に回される
という利点がある。
また国からの印があるので市民からの信頼も得ることも出来る。
労働派遣ギルド通称労ギル。
これはいわば「何でも屋」にあたる。
労働力を派遣して依頼者の仕事を引き受けることで報酬を得る。
というのは辞書的な意味。
世間一般に「労ギル」といえばそれは戦闘力派遣なのだ。
魔物の討伐
商人の護衛
など戦闘力を保有するギルドだ。
この辺りは木々の背が高く、陰が多い。
道の整備があまり行き届いていない。
霊脈があるようで魔素が少し濃い。
以上のことから魔物が住処にしやすい場所なのだが
そこを労ギルが狩っているのだろう。
あまり強力な魔物が出るような場所じゃないし。
「・・・こわい人はあまり好きじゃないです」
「確かに血の気の多い奴は怖いが、実はそうじゃない奴の方が怖いんだよな」
「怖くない人が怖い、ですか?」
「そう。いかにも普通の人で戦闘に不向きそうな形の奴が一番怖いんだよ」
「あー・・・たしかに。何考えてるか分からないですもんね」
「そうそう」
「スダチさんとか」
「おい」
俺は普通の人で本当に戦闘不向きなモヤシなんだよ。
頼みの綱が5発の銃弾しかないんだよ。
「スダチさん、スダチさん」
「はいはい何か」
「まだ着かないんでしょうか~」
貨物の隙間からピョコッと頭だけを出す。
耳をみると力なく項垂れている。
相当退屈なようだ。
すでに8時間の馬車移動が続いているし、
旅慣れしていないリンゴにはキツかったか。
「ここは労ギルの縄張りだ。ということはもう街の近くまで来ているということだ」
「お~なるほど!」
耳がピンと立つ。
嬉しそうな声を出し、そそくさと貨物に引っ込んだ。
かと思えばまた顔を出し、今度は運転席へと出てくる。
そうして俺の隣へと深々と座る。
「わたし、目的地が見えたり到着したりする瞬間好きなんですよね!」
と、貨物でとってきたバンダナを楽しそうに頭に巻いていく。
「リンゴも旅の楽しさが分かってきたな」
---
「うぉぉお~!キタ-!」
林道を越えると目の前に美しい光景が広がる。
円状の塀に囲われた都市ウォータル。
円の中心から全方向へ伸びた用水路、
そこをまるで血液のように水が全地区へと行き渡る。
家々は白を基調としており、美しい景観を作り上げている。
山の上から遠目に見ただけでも美しい場所だと一目で分かる。
リンゴの方を見ると目を輝かせて吐息が漏れる。
「ひゃー」とか「ほえ~」とか開いた口がふさがらないようだ。
長時間の移動の後のこの景色と感動。
これこそ旅の醍醐味と言えよう。
さてもう一息だ。
ここを下ればすぐ関所に着く。
今日の夜はちょっといい宿に泊まろう。
俺は貨物の方をにやりと目をやり、馬車を加速させた。
---
「こんちわー」
関所に近づくと兵士が2名が挨拶をしてきた。
こちらも軽く挨拶をしつつ、通行書と身分証を提示する。
すると兵士はちらりとリンゴの方を見て、申し訳なさそうに問う。
「こちらの子の通行証と身分証はありますか?」
「いえ、養子として迎えたのでそういうのはないですね」
「養子縁組なら一応戸籍上登録はされてると思いますが」
「いえ。この子はもともと奴隷でして・・・」
と少し困った顔をすると、兵士は慌てて謝罪をした。
「ああそういうことでしたか!申し訳ありません配慮が足りませんでした!」
「いえいえ。気にしないでください」
「ですが身分証がないと不都合も多いでしょうからできればその・・・」
「この街の役所で娘の身分証を作る予定です」
「そ、そうですか!色々出過ぎたことでしたね。すいません預かります」
兵士の1人はそう言って関所にある事務所へと駆けていった。
歳からして10代後半だろうか、好青年だな。
「では貨物の点検をしますので少々お待ちください」
「はい、お願いします」
もう1人の兵士は40代だろう。
少々小太りだが筋肉の質はいい。
全身に均等についた厚い筋肉は小柄でありながら威圧感を与える。
中年兵士は軽く敬礼をして、貨物の方へと向かった。
正直今回の関所は面倒になりそうだ。
本当にあの村長はいらんことをしてくれるなとここに来て怒りが再燃する。
「あのぅ、大丈夫でしょうか」
「なんとかなってくれなきゃ困る。押収なんぞされたらせっかくの観光がぱぁだ」
しばらく待っていると検査を済ませた中年兵士が帰ってきた。
「すいません。貨物に積んである大量の金について説明いただけますか?」
キタ。
そう、貨物には総額平金貨にして4000枚。
都市になかなかの一軒家がぽんと建つ金額だ。
何故こんな大金が俺の貨物にあるのか。
それはウィーバ村で偽村長が報酬として忍び込ませたようだ。
どうも金をやるから私の正体をバラすなよということらしい。
奴は金にあまり執着がないらしく、また他人の金ということもあり大盤振る舞いをしたのだろう。
別にそこはいい。
むしろありがたい。
俺が怒っているのは何故現金なんだということだ。
小切手で渡せよ!
まぁそれも奴の悪戯心というやつなんだろうが。
全くもって迷惑なんですけど!
「あ、ああ実は。ウィーバ村で治療をしたときの報酬でして」
「ウィーバ村、ですか。しかしあの村にそんな資金があるとは」
・・・この中年兵士めんどくさいな。
でも逆の立場なら俺だって絶対に問い詰めるしな。
「最近村長が変わったことはご存じですか?」
「ええ。名前は忘れましたがどこかのしがない貴族でしたよね」
「えぇそうそ・・・えっ?」
「聞いたことのない貴族でしたね。たしか、パピ・・・パピルス家でしたっけ」
チェフキンス・ラブカス許すまじ。
あいつ偽名使って村長になってたのかよ・・・!
ここであいつの慎重さが俺の首を絞めることになるとは。
「え、ええ!そうです!その方です。実は資金自体は結構持っていたようで」
「へぇ~そんなんですか」
「ええ。嘘だと思うなら伝書を送って確認してみてください」
国からの伝書なら偽村長もうまく合わせてくれるだろう。
もしこれで裏切ったら俺はあいつを銃殺するぞ。
「・・・」
頼む。
なんかいい感じでそっちで処理してくれッ。
何でもする!
何でもするから頼む神様っ・・・!
「ふむ、分かりました。身分証もありますし通しましょう」
へっばーかばーか。
余裕ですわ。
「すいません。少しもたついてしまい遅れました!」
ちょうどいいところに青年も帰ってきた。
身分証と通行証を返して貰い、愛馬を預ける。
「スペンズワードさんは回復魔法師なんですね」
「ん?ああ、そうだが」
身分証にそう書いてあるしな。
身分証には名前、生年月日、戸籍番号、資格が書かれている。
なので俺の身分証には回復魔法師免許の役割も果たしている。
ただ俺の身分証は偽造品なので意味はない。
名前も偽名だし、回復魔法師免許も実は取得していない。
元々俺は考文学者であって医療知識はほぼない。
ただ『何か』に触れて、回復魔法が使えるようになっただけなのだ。
原理は分からない。
どうやって人体を修復し、回復しているのか分からない。
ただ治す魔術は展開できる。
おかしな能力だとつくづく思う。
すると青年兵士は少し声を落とし、あたりを気にしながら話す。
「差し出がましいお願いなのですが、ここで医療活動をしては頂けないでしょうか?」
「医療ギルドがいるでしょう。私の出る幕ではないでしょう」
「それが医療従事者の数が足らないのです」
医療従事者が足らない?
ボルカ帝国随一の観光都市で福祉の厚いこの都市で?
「最近この街で殺人鬼が出没しているんです」
「殺人鬼、ねぇ」
「名前は人形師。殺した後に綿を詰めたり裁縫したりすることからこう呼ばれています」
なんか一気にきな臭くなったな。
殺した後に綿や裁縫か。
となると綺麗に臓器を取り出してるわけか。
てか、それ生存確率皆無じゃないのか。
必要なのは医者というよりは葬儀場だろう。
ちょっと聞いてみるか。
「その被害者の治療で医者が足らないのか?」
「いえ。逆です」
「逆?」
「人形師は医療従事者を狙う殺人鬼なのです」
なるほどそっちか。
医療関係者を狙うことで警戒や逃走でどんどん減ってるワケか。
となると人形師の狙いは医者を消すことか。
・・・。
それを達成することで何が得られるのか。
その行為に意味があるのか。
はたまた愉快犯か。
どちらにせよこの都市で警備の目をかいくぐり、
未だ活動しているということから相当頭の切れる奴なんだろう。
正直会ってみたいと思った。
人形師は一体何を思って行動しているのかを問いたい。
こちらが死ぬのは願い下げだがな。
ひとまず俺たちのやるべき事は偽村長お墨付きの面白い男に会うことだ。
「まぁ考えておくよ。ここに来たのは別に仕事ではないんでね」
「そ、そうですか。もしその気になりましたらウォータル国立第三病院に行ってみてください」
「はいよ。いくぞリンゴ」
重い鉄の門が開く。
目の前には汚れなき美しい幻想のような町並みが広がる。
一見そうみえるが、こんな場所にも「得体の知れないもの」がいる。
むしろこういう場所だからかもしれないな。
などと思いつつも頭を切り換えることにした。
疲れた初日ぐらいはパァーっと行かせて貰う。
大量の金を銀行に預け、なかなかの宿を取り、宴会だ。