……ますます分からん
ゆったりと椅子に深く腰掛け、頬杖をついた男。見かけは二十歳に届くか届かぬか。温和で育ちのよさそうな顔つきで、背中に届く栗色の髪の毛を項でひとつに結んでいる。
聖王シラン。彼は今の勇者であるアスカと向き合いボードゲームをしているのだが、その表情は呆れを通り越し憂いさえ帯びているようだ。
「……お前、弱い」
「うるさい……」
どうにもアスカは頭を使うことは苦手だ。盤全体を俯瞰し駒を動かし敵を討ち取る。しかも二手どころか何手も先まで読み合って。シランがわざと手を抜いて隙を作っていることまでは分かるのだが、それを攻略するために考えることが煩わしく、すぐに放棄してその瞬間のみの手を打つ。
「……私の勝ち。三戦三勝だな」
アスカははあ、と息をつき、すっかり冷めて少なくなった茶を飲み干した。
ゲームをしながら、シランは自分がかつてミシェルを拾ったこと、育成はレックスに任せたこと、そして彼女は多くの混血の例にもれず差別を受けていることを話した。そして自分も、拾った責任がありながらミシェルに対して公の場で言葉をかけることができないことを。そんなことをしてしまえば、彼女の立場が余計に悪くなりかねないからだ。
その懺悔じみた話はアスカの思考をますます鈍らせた。とはいえミシェルの置かれている状況について思うところはあっても驚くことはなかった。魔族はクルセルドを物理的に殺そうとしたわけだが、対して聖族はミシェルを精神的に殺そうとした。それだけの差なのだろう。
彼にしてみると、それよりも本題の方である。昼も過ぎ、いい加減空腹も覚え始めた彼は苦手な思考ゲームに苛立ってきていた。
「……で、このゲームで分かりやすくなる話とは」
アスカのカップを見て再度湯を沸かし始めてしまったシランに問えば、彼は僅かに目を細めた。
「このゲームは戦争。それも、聖と魔を模したもの」
つまり、とシランは白と黒の「王」をそれぞれ持ち上げた。
「これが私、これがゼルディス」
「はあ……」
「では、お前はどの駒だ、勇者」
コトン、と木のボードに駒が並べられていく。ゲーム開始前の初期配置。シランの手が動く度にアスカは目で追いかけたが、「勇者」を示す駒はない。
「正解は、どれでもいい、だ」
「……ますます分からん」
「つまり、『王を倒す者』ならどれでもいいということだ。ゲームをしている者が、『これでとる』と決めた駒、それが勇者だ」
シランは弓兵と剣士の駒を持ち上げて軽く振る。
「私は聖騎士。ゼルディスは狩猟を生業にしていたらしい。弓の腕は超一級品だ」
「知っている……」
アスカはげんなりとして言った。どうやらちょうど湯が沸いたらしく、シランはポットを取り上げた。加熱用の魔導装置は便利だと胸を張った彼だが、それはすぐに硬い表情に変わった。
「もう一つ問おう」
こぽこぽと音を立てて湯が注がれると、茶葉からじんわりと色が広がる。透明なティーポットの中で葉が広がり、踊る。色が、濃くなっていく。
ぼうっとその様子を見ていたアスカの前で、シランは駒を並べなおすのを再開した。
「こうして駒を配し、動かしているのは誰だ」
「え」
がしゃり。驚くアスカの目の前で、シランはせっかく並べた駒を乱した。
「何度も、何度も。王を倒してゲームを終わらせ、再度並べて楽しんでいる者は、誰だ?」
まっすぐ、先代の勇者は菫色の瞳を青年に向けた。その視線を受けた当代の勇者は、大きく目を見開く。
――勇者とは、自らなるものではない。神と聖女に選定され運命を背負った存在を言うのですよ
確かにアスカは誰かに命令されて魔王ゼルディスと対峙したわけではない。だが、そもそもそうせざるを得ないようにしたのは。
「女神ライトと、聖女アンジェリカ……」
二千年前、聖魔戦争を終結させ平和を導き、今この聖都を中心としてイリウス全土で信仰される存在。その教えに基づいて聖族や人間は行動する。かつて敵対した魔族も、表立って反発することはない。
「あくまで私の想像だが……、二百年も生きていると、そういうことも考えるのだ。おそらく、私が勇者であったときのゼルディスもそうだったのだろう」
シランはカップに茶を注ぐ。ふわりと湯気が立ち上り、部屋には香りが広がった。
「だがあの方は、それを誰にも話さなかった。言葉ばかり、信じているとか頼りにしているとか言うけれど、あの方が腹の底を見せることは一度もなかった」
「……」
「当時私は、それはあの方が魔王だからだと思った。やがて同じ立場になる者として、私が唯一の理解者であり逆も同じだと。だから私は戦って、王になった」
けれど、と悲しそうに目を伏せて、シランはカップを持ち上げた。さらりと揺れる繊細な髪と上品な所作のせいで、初対面のときと違って儚げな印象すら与える。
「私は、傍にいたかっただけ、誰よりも理解したかっただけなのだが、あの方は私にひどく失望したようで……、私が王になってからは一切話してくれなくなった。手紙を書いても、ウィリアムに言伝を頼んでも。ことごとく無視だ」
ふるり、震えた指先。少し赤い茶が波打った。
「……そして忘れもしない十五年前……、初めて手紙が来たかと思ったら、妻と娘がいるとか、だからアンジェリカ・シルバーの指輪がほしいとか……!」
「あんた……」
アスカは元々表情の多いタイプではないが、この反応に困った。笑えばいいのか呆れればいいのか、それとも悲しめばいいのか。
話の軌道がそれてきたことには本人も気付いているようだ。シランは「すまない」と一言言って咳払いした。
「ライトはかつてイリウスに平和をもたらした光の神……、とはいえそもそもダークと戦争していた張本人だろう。ただ、勝者だというそれだけで。アンジェリカにしてもそうだ。どれだけ史料を漁っても、彼女がどういう経緯と方法で邪神を封印したのかさっぱり分からない」
「そりゃあ、二千年前の話なんて誰も知らないだろう」
「さあ、それはどうかな」
シランはもう一口茶を飲み下し、カップを置いた。
「いるだろう、一人。『お前が勇者だ』と、律儀に言いに来たくせして、あとは見物人を決め込んでいる妙な者が」
「!」
「お前に何と言ったかは知らんが、あれは私のときにわざわざ王宮に来て父に伝えたぞ。『シラン様が此度の勇者です』とな」
「レックス……!」
シラン曰く、彼が勇者であった二百年前にもあの青年の姿で、それどころか五百年前ゼルディスのときにも変わらぬ姿でちょっかいを出していた。
「いや待て。あいつ人間や聖族じゃ……!」
「少なくとも人間ではない。聖族かどうかは微妙だ。神龍族や天狐族なら千年ちょっとは生きるんだが」
「まさか、あんたたちと同じ……」
「死なないかもな。試してはいないが」
ガタン、と大きな音を立ててアスカは立ち上がった。シランを睨みつけて、伸ばした腕はその胸倉を掴んだ。
「だったら、あの男を問い詰めればいい!何を知っているのか吐かせろ!」
「できたらとうの昔にしているし、ゼルディスも私も苦労していない」
シランは驚くこともなく、そっとアスカの手に己の手を添え離させた。
「何者かも分からない。戦闘能力は最高クラス。何よりもあの時空魔法だ。瞬間移動で逃げられるか、時を止められるか巻き戻されるか……、あれをどうにかするのは不可能だ」
「ッ……!」
珍しく露骨な動揺と苛立ちを見せたアスカだが、ややあって、脱力したようにまた席に着いた。うなだれる彼は、散らばったチェインの駒を見つめた。
狂った王を、女神と聖女が選んだ勇者が倒す。初めて聞いた時にアスカはお伽話のようだと思った。さっさとその勇者とやらが倒してくれればいいのにと思った。そうすれば安穏とした生活を送れるはずであると。
しかし、結局アスカは自分自身が勇者として戦いに身を投じて、以前勇者として狂王を倒した聖王のもとに身を寄せている。そして魔王を倒したところで、彼は次の魔王となり、また聖魔どちらかの王が狂い勇者が立つ。
そういう世界だと割り切ればそこまでだ。けれど、シランの言うようにこのイリウスが神の遊ぶゲームの盤上だとすれば、王を倒すことに意味などあるのだろうか。
「魔王は……、言っていることが支離滅裂だった。俺に自分を倒せと言ったり、だがそれでは世界が壊れないと言ったり。エレナが傷つくようなことばかりするくせに、隠れていればいいと言った。守りたいのか壊したいのか、死にたいのか生きたいのか……、分からなかった」
「……そうか」
「あんたは、分かるのか」
「そうだな……」
シランは少しだけ考えた後、薄く微笑んで告げた。
「さっさと死んで、ついでに世界を壊したい」
聖王はゆったりとした動きで指を組み、小さな窓の外、空を見上げた。青い空、けれど彼の目には違って見えていることだろう。
「ゼルディスの目的は妻の蘇生と聞いたが、本来であれば望むはずがない。娘を危険にさらすこともだ。ならば私は勇者を全力で支援し、あの憎々しい小娘は何を犠牲にしてでも守り通そう」
シランははっきりと力強くそう言った。アスカは駒を見つめたままで、問いかける。
「じゃあ俺はどうすればいい」
返事は、すぐに来なかった。暫くしての返答はといえば、噴き出した笑い声である。
「……何がおかしい」
「いや、すまない」
口元を押さえたシランは肩を揺らし、アスカを見る。
「私も昔ゼルディスに同じ質問をした。アルカディアの騎士団を全滅させてしまって、気づいたらボローディアでな。たぶん今のお前たちと同じようにレックスに運ばれたんだろうが」
違うのは、彼がたったひとりであったこと。仲間を持っていなかったことだ。打ちひしがれるシランに、ゼルディスの答えは実にあっさりとしたものであった。
「知るか、と切り捨てるように言われた。私も同じ答えをお前に返そう」
笑いながら言うシランと、それを受けてさらに表情をこわばらせるアスカ。シランはこらえきれないようで、僅かに声を漏らしている。
「おい……」
「いや、当時、私も同じ反応をして……」
ああ、と彼はひとつ目元を押さえて、今度は穏やかな表情で告げた。
「私は、お前が早く魔王を倒して解放してくれればと思っている。それがあの方の最大の願いだからな。だが、それはあくまで私たちの望みであって、勇者であるお前の行動を決定するものではない」
「は……?」
いまひとつ要領を得ないアスカは首を傾げた。アスカは今後の行動について尋ねたのだが、シランの受け取り方はどうも違うようだ。
「私も、おそらくはゼルディスもそうだったのだろうが、渦中にいると気づかぬものだな」
「どういう……」
「お前、魔王を倒せと命令されたことがあるか?私に仕向けられたことはあっても、直接神や聖女の声を聞いたか?」
「!」
「レックスも『魔王を倒す力がある』とは言っても、『だから倒せ』とは言わないのだ。それを言うのはな、神でも聖女でもなく、民衆だ」
アスカの脳裏に、ラテムで聞いたドワーフたちの言葉がよぎった。怯えた、縋るような目。魔王を倒してくれと懇願する言葉。あの時アスカは、彼らに嫌悪感を覚えた。
「何もしない、という選択肢もある。まあ、その場合私がミシェルあたりを人質にしてでも無理矢理引きずり出してくれるがな。目と耳をふさぎ混血ひとり見殺しにして聖魔戦争を再発させる覚悟があれば、お前は行動しなくてもいい」
シランの声は淡々としていたが、どこかで似た言葉を聞いた気がした。それはもっと甘い声で、くらりとするようなものだった。
――魔王として破滅の待つ未来を生きるのではなく、ただの人として普通に生きて死ねる、という話なのですが
悪魔族のフェーレン。彼の目的は邪神の復活ないしは勇者を抹殺し聖王および女神を倒すこと。彼の示した理屈にはアスカも頷いた。
世界を犠牲に自分の身を守る。そんな悪魔の選択肢を、まさか聖都セルーゴでしかも聖王の口から聞かされるとは思わなかった。
「あんた、本当に聖族の王なのか……?」
「一応な。だが、魔王も聖王も、元々はお前と同じ人間だ。悩みもするし、狂いもする」
アスカはゆっくりと顔を上げ、シランを見つめた。柔らかく細められた菫色の瞳に、哀愁が浮かぶ。
「そういえば、お前は少しゼルディスに似ているな」
「……それ、よく言われる。魔王はそんなに面倒くさがりか?」
「まさか。第一そういうタイプの者が、わざわざ半魔を育てるものか」
ではどういうことだろうか、とアスカは不思議そうにした。彼は実際にゼルディスと対面しているが、自分と似たところは髪色以外に見当たらなかった。
彼の様子を受けて、シランは苦笑する。「言っただろう」と。
「あの方は、口先ばかりで本心は誰にも告げなかった。孤独も悲しみも周りに漏らさず、意図することも口に出さない。実際、二百年前に私を助けた本当の理由など、魔族の誰も知るまい」
「それが……?」
「先程の問い、聞く相手が違うだろう、と言っている」
「!」
「この話もそうだ。私は小娘の同席を拒んだが、それは単純にあれが嫌いだからだ。お前が望めば通してもよかった」
シランはようやく転がった駒を手にすると、掌に集めては箱の中に収め始めた。ひとつひとつの駒が整然と詰められ、ボードも棚に戻される。
「お前の仲間は、この話を聞く必要が本当になかったのか?小娘は、必要性の有無にかかわらず知りたかったことではないか?お前が相談するべきは私なのか?」
少なくとも、とチェイン・ゲームの片づけを終えたシランはカップを手に取りのどを潤した。
「私が小娘の立場なら今頃怒り心頭だがな」
立ち去るエレナを思い出し、アスカは僅かに震えた。それを見るシランは、今日一番いい笑顔を見せたのであった。




