笑えないな
前日と同じく、王宮の正面には魔王軍の諸将が集まっていた。アスカたちの足音に真っ先に気付いたのはドレイクである。彼を最初にしただけで、あとは一斉に視線が向けられる。
「……」
思わず引き返してしまいたい衝動にかられたアスカの背中を思い切り叩いたのはエレナとクルセルドだった。
「逃げんな、最後まで付き合え」
クルセルドは正面を見据えたままでそう言った。
「……それはもう、こっちの台詞だな」
ふっと、アスカは小さく笑って前を向いた。その隣には高く結わえた金髪を揺らす少女。朝、ドレイクの屋敷を出る前に「待っていてもいい」と言ったアスカに「冗談でしょ」と笑って見せた。父の最期を見届ける権利が自分にはあるのだと、そう言って。
「ぶぇっきし!」
「あら、風邪ですか?」
「ううん……、今朝は何だか冷えたからなあ」
緊張感のないやりとりはザッシュとミシェルである。ずび、と鼻をすする音が聞こえて、クルセルドが肩を落とした。「お花畑とスライムが」などとぼやいている。
五人が合流すると、ドレイクたちは軽く礼をして、雑談など一切せずにすぐに王宮の図を広げた。どこかから借りているのだろう広いテーブルの上には、見取り図といくつかの木片が置かれた。
「先程、斥候が戻りました。なんというか……、非常にやりにくい」
ドレイクは渋い顔をして木片を図上に置いていく。黄色が人間や文官、赤色が魔王軍の部隊長クラスのものだ。そして、三階の玉座に置かれた黒がゼルディス。
「最短ルート以外が全て塞がれています」
「罠、と考えるのが当然だが」
クルセルドやザッシュ、ミシェル、そして魔王軍の全員が困惑しているようであった。しかしアスカは薄く苦笑いをする。
「なるほど、あんたの父親とは気が合いそうだ。ぐだぐだ細かいこと考えるの嫌いだろう」
「そうだけど……、お父さんの気分次第なんだから、気を抜いたら駄目よ」
これは、罠ではない。魔王の白旗だ。アスカは今更ながら思わず大声で笑ってしまいそうになる。もとより魔王ゼルディスは倒される気満々なのだ。理性で以て闇を押さえつけ、ゼルディスはアスカを待っている。「早く来い」と、そう言われている気がした。
「作戦変更だ、エレナ。正面を全速力で突っ切る」
「いや待て。君が全力で走ったら誰も追いつけない」
「そうよ。君は絶対に前に出ちゃ駄目。いい?」
「おい怪力女。いっそのことこいつ抱っこして運んでやれよ」
「私は構いませんが、アスカさんはそれでよろしいですか?」
「よろしくないな」
両手を上げていわゆるお姫様抱っこの格好をして見せたミシェルに、アスカはすかさず拒否を示した。そして小さくため息をついて、クルセルドを見やる。アスカは彼と特に打ち合わせをしたわけではないが、少年は頷いて見せた。
「俺が魔法で弾幕を張る。アスカとエレナは離れるな」
「クルセルドさんだけでは無駄撃ちしそうですわね、援護します」
「ああん?」
うふふ、と笑うミシェルと睨みつけるクルセルド。昨夜は仲良くお勉強していたというのに、また別のところで喧嘩でもしたのだろうか。アスカは呆れたが、ザッシュは楽しそうに笑った後で「そういうことで」とぽかんとしているドレイクたちを見た。
「作戦なし。中に入ったら勝手に暴れます」
「馬鹿な!」
声を上げたのはサファテである。普段は冷静な男であるが、大きな音を立てて机を叩いた。
「これがどういう意味を持った戦いかお分かりか?魔族の平穏、ひいてはイリウス全体の平和がかかっているのです!そのように浮ついた状態で――」
「どうでもいいな」
すらり。アスカは短剣を抜き放ちその切っ先をサファテだけでなく、魔王軍そのものに向けていた。
「魔族も世界も、今はどうでもいい。俺は俺自身が生きるために戦う。仲間に、父親を止めてほしいと頼まれたから行く。それが飲んだくれの暴力おやじだろうが魔王だろうが、同じことだ」
「いや、同じわけないでしょう」
「そうか。王様倒したら王様になるんだよな。だったら、文句言わずに従え。俺の仲間に妙な真似をするな。後で痛い目を見るのはそちらだぞ」
サファテは、優秀な魔導士である。一族は炎術士と呼ばれ、火の精霊ととても相性がいい。サファテはその長だ。それなのに、目の前にいる涼しい顔の若造に戦慄した。理由は分からない。相手の魔力は低く、戦闘能力は人間にすれば並み以上だがザッシュほどでもないし、ましてや魔族の戦士とは比べるまでもない。ただ、言えるとするなら。
――なんだ、サファテ。俺の采配が気に食わないか?
彼の王は静かにそう言った。姫君が拾ってきた、半魔の少年。あまりに強大な力故、制御もままならないのだとはすぐに分かった。それを、何とか形になったという程度で部隊長にしようというのだ。反対しない方がおかしい。
――あの子供は強すぎます。何かあっても、誰も止められません!私も、我が息子サキアも、誰もです!
――ふうん、それはいいな。あれが何かするとしたらそれは、止める必要のないことだ
あの、何を腹に抱えているのか分からない、そしてそれを絶対に曲げたり譲ったりするつもりもない、彼の王。その王に、目の前の青年は少しだけ、似ていた。
サファテはふっと息をつき、「グリフォンを」と配下に声をかけた。
「跳ね橋は上げたままです。堀を越えるのはグリフォンを使ってください。ただし、残りの一頭ですので、すぐに返していただきますよう」
ちらりと見れば、剣を収めたアスカはバシバシとエレナとザッシュに背中を叩かれている。もはや強打と言っていいのか、情けなくもむせ返っていた。
「なあ」
くい、と。ローブを引いた手があった。無礼な半魔の子である。
――あんた、まほう、おしえてくれるのか?
同じようにしてそう聞いてきたあの頃からするとすっかり生意気で気に食わない小僧になってしまっていた。
あの日、汚らわしい血だと振り払わなければ少しは違ったのだろうか。そんな彼らしくもないことを考えて無言でいると、クルセルドは手を離して視線を逸らした。
「……サキア、は。どうしている?」
「誰かの代わりに避難民の護衛ですが」
「そうか、ならいい。あいつがいるなら何とかなる」
そう言ってグリフォンを珍しがる仲間のもとへ向かう少年の口元には、笑みが浮かんでいた。
「ドレイク殿……、陛下は、何故クルセルドを軍に入れたのでしょう」
「王妃様が、軍にいるのがもっとも安全ではないかと進言をしたと聞いているが」
そう、確かに表向きは暴発しかねないクルセルドの魔力を適度に発散させつつ制御を身につけさせるため。けれどゼルディスはサファテでなくドレイクに任せた。半魔を嫌悪しているのは両者同じだったというのに。
「……ドレイク殿、あなたは陛下に狂わされてはいけませんよ。無論、ソフィア殿も」
「は?そうならないように今だな」
やれやれ、とばかりにサファテは首を横に振った。
※
アスカたちを乗せたグリフォンは、ひとつ咆哮して天高く舞い上がった。グリフォンは魔物の中で高位に位置し、魔王軍では兵が騎乗する。ただ、そのグリフォン隊も、ほとんどが狂暴化して逃げ出してしまっていた。
「ありがとう。でも怖いよね。少しだけ、我慢してね」
エレナは金糸を風になびかせて、漆黒の毛並みを優しくなでた。グリフォンは嬉しそうに喉を鳴らすと、二、三度旋回する。
「王宮の作り自体はゾアゴと大して変わらない。王の間は三階、中央の階段を突破して一直線だ」
「へえ……、じゃあ地下はどうなってるんだ?」
「宝物庫なら今度ゆっくり教えてあげるから今は忘れてもらっていいかしら」
ぎろりと睨んでくるエレナにアスカは苦笑して肩をすくめた。決してそのためだけに聞いたわけではなかったが、彼女の言うことはもっともだ。
グリフォンはゆっくりと降下する。下手をするとゾアゴ以上に濃厚な闇が肌に触れてぴりりとした。顔をしかめたアスカの後頭部をいきなり押さえつけたのはザッシュである。
「全員伏せろ!」
ゴッ、と、ザッシュが耳元で素振りでもしたのかというような音がした。それまでアスカの頭があった位置を駆け抜けたのは一本の矢である。きらりと何かが光ったのは王宮のテラス。翻るのは漆黒の髪と魔王のローブだ。
「お父さん……!」
「空中はまずい!降りろ!」
グリフォンは悲鳴じみた声を上げて急降下した。しかし、放たれた矢はその右翼を的確に貫く。
「きゃあ!」
「エレナ!」
ザッシュが手を伸ばしてエレナを引き寄せる。
「我の息吹は神の息吹、以てここに破邪の壁を築かん――ウォール!」
「っそたれ!――エアリアル!」
ミシェルの防御魔法壁が展開し、さらに地面との間にクルセルドが空気の塊をぶつけた。アスカたちの身体が地面にぶつかる前に、クルセルドとミシェルの魔法が互いを相殺して衝撃を和らげる。
よろめきながらも市街地側へと戻ったグリフォン、そして無事着地したアスカやエレナたちを見届けた魔王ゼルディスは実に楽しそうに笑い、建物の中へと引っ込んだ。
「おいおい、王様やる気だぞ」
「違うな。俺たちがやりやすいように挑発してるんだ。本気なら最初の一撃でアスカの首が落とされている」
背負った大剣を抜き放ったザッシュの声音は硬い。そして珍しく、そのこめかみには青筋が立っていた。
「まったく、何年たっても嫌な男だな……!」
「基本的に真顔で人をおちょくるのが好きな人だから……」
「笑えないな」
は、と吐き出したアスカの前に少年少女が立つ。じゃらん、と三節棍の鎖が小さな音を立てた。
「では、参りましょうか」
その言葉を合図にして、クルセルドの手から火球が放たれ、閉ざされた入り口の門扉を吹き飛ばした。
「お前本当、破壊することに躊躇いないよな……」
アスカは建物には忍び込む、静かに開錠するのが信条で力技は是としない。それをしてしまったら盗賊ではなく略奪者になるからだと昔教えられていた。呆れ顔の青年に、少年魔導士は、ふん、と鼻を鳴らす。
「邪魔なものはぶっ壊すのが一番だからな」
「それでも物を壊すのはよくありませんわ」
「じゃあお前だったらどうするんだよ」
「穏便にお願いしますわね」
「状況考えろよ!」
駆け出しながら、先頭で半魔と半聖のやり取り。エレナが額を抑えて、ザッシュはいつも通りに笑った。
そして一歩、王宮に踏み込む。アスカたちは何も馬鹿ではないので、この時点で魔族やら動く死体やらに大歓迎を受けてもおかしくないと思っていたのだが、ホールはがらんとしていた。
普段は行政官――ゼルディスの時代、これには人間がついていることも少なくない――が行きかう場所はまるでぽっかりと空いた穴のように静かで暗い。
「何にもないっていうのも逆に怖いなあ」
「俺は今お前にそういう感覚があったことに驚いたよ」
へらあ、と笑ったザッシュにクルセルドは毒を吐く。一気に駆け抜けたいところだが、どこから何が来るか分からないのであまり速度は上げない。
そして彼らの足は二階に到達した途端、ぴたりと止まった。錆びた鉄と腐った肉のにおいがした。ザッシュやクルセルドですら顔をしかめる。
多くはない窓から光が差し込んでいるが、それでも薄暗いと言っていい城内。アスカたちの目の前には、折り重なる人間の死体があった。床は彼らの血液で赤黒く塗りたくられたようである。
「……」
クルセルドが炎を躍らせて、魂の抜けた肉体を燃やした。照らされる人間たちの顔。恐怖や痛みに歪み、驚く間もないまま静かに。その表情はさまざまであった。
「……」
「アスカ?……アスカ!」
バシン、と頬を張られて、アスカはゆっくりとその漆黒の瞳をひっぱたいてきた少女に向けた。
「……しっかりして」
「ああ……、悪い」
きっと、エレナやクルセルド、ザッシュには知った顔もあるのだろう。彼女たちがしゃんとしているのだから、アスカがあまり動揺してはいけない。脳裏をよぎった過去の光景を、彼は頭をふって打ち消した。
二人の様子をちらりと一瞥したミシェルは、炎の前に膝を折った。
「これは精霊の炎、精霊の加護。亡くなられた方も、安らげることでしょう」
目を閉じて指を組み、祈るミシェルを、クルセルドは少々不満げに見ていたが、彼にしては珍しく文句を口にすることはなかった。
しかし、とクルセルドは通路の向こうを見やる。彼は決して慈悲や弔いの心で遺体に火を放ったわけではない。魔王が扱う闇属性の魔法は死体を操るからだ。素通りした挙句後ろから襲われるのを防ぐためであるが、この状態で全く仕掛けてこないということは、本当に魔王は大人しくやられてくれるつもりということだろうか。
「おいザッシュ、お前どう思う」
「え?何が?」
「……」
聞いた自分が馬鹿だった。クルセルドはひらりと片手を振って終わらせた。
※
王の間、玉座のある場所。そこにいるゼルディスは、いつも臣下に囲まれ慕われていた。当然、彼の方からも信頼を置いていた。しかし常にどこか一線を引いているようでもいて。腹の奥底は誰にも見せなかった。
「最初から最後まで何考えてるか分かんねえ王様だな」
「本当にここまで仕掛けてきませんでしたわね」
先制攻撃と防御を担う二人の混血はドアに手をかけ中の様子を窺った。魔王軍の将や行政官がずらりと並んでも余裕のあるその部屋は、やはり閑散としている。できることならこのままゼルディスが「はいどうぞ」と両手を広げて待っていてくれるのを望むのだが、彼がどこまで正気を保っているのかが分からない以上気は抜けない。
アスカは短剣を握りなおして、ミシェルへ視線をやる。彼女は当たり前のようにファストを唱えた。
「お前、勇者っていうか暗殺者っぽいよな」
「不快だが否定しない」
ひとつ、深呼吸。振り返った先には、力強い翡翠の瞳。エレナは神妙な面持ちで大きく頷いた。そして、彼女の隣の剣士を見上げる。
「エレナを頼む」
返事など、聞くまでもない。アスカは「行くぞ」と小さく言って王の間へ踏み込んだ。
「ああ、よく来た勇者」
玉座に座る魔王の声は、アスカが想像していたよりも高めだった。おそらく何事もなければ朗らかな若い男のもの。しかし、今はどこかぞっとするような冷たさと歪みを含んでいた。
「エレナに手を出してはいないだろうな?」
「残念ながら好みじゃないんでな」
「美しく聡明な我が娘が眼中に入らないとは、大層な趣味だな」
「手を出してほしいのか欲しくないのかどっちだ」
とても今から殺し、殺される関係のやり取りではない。しかしゼルディスはともかく、アスカの方は決して緊張していないわけではなかった。手は震えているし、喉はカラカラに乾いた。
「何だかあちこちであんたに似ていると言われるんだが、それなら俺の要求は分かってくれるよな」
初対面したゼルディスはなるほど黒髪黒目。それだけで若干雰囲気は似通ってくるのかもしれないが、決して顔立ちのことではないのは確かだ。なかなかお目にかかれない程度の美青年。エレナが生まれるのも納得である。アスカも顔の造形が悪いわけではないけれどゼルディスほどではない。ならば、似ているのは中身だ。
「面倒くさいから、大人しく死んでくれ」
アスカとゼルディスの声がぴったりと重なった。ゼルディスは唇に笑みをたたえ、立ち上がった。
「俺も、最初はそれがいいと思っていたんだが。それじゃあお前は苦しいだけだし、エレナは悲しむし、世界は壊れないだろう?」
「お父さん!」
「エレナさん、いけません!」
ミシェルが踏み出そうとしたエレナを押しとどめる。やはり、ゼルディスはおかしい。一歩、また一歩。近づくたびに彼の体内に押し込められているようだった闇があふれ出す。
「まったく、馬鹿娘が。学習せずにのこのこと。せっかく助かったならどこかに隠れていればいいのに」
「っ……、私は、お父さんを止めたいの!助けたいの!お母さんだって、望まないもの!」
「そう、エリシアではない。俺の望みだ」
魔王はゆっくり、その左手をかざした。薬指にあるのは、エレナが持っているものと同じ銀色の指輪。
「誰も救わない神、誰かに苦悩を押し付けるだけの民衆。たった二本の人柱で支えられるこの世界の、どこに価値がある」
闇が、広がる。窓の外は明るいはずだが、光はアスカ以外にも分かるその闇で遮断された。
「アスカ」
声を潜めたクルセルド。視線は魔王に定めたまま、告げる。
「お前の間合いに入ったら足を止める。魔王は確か近距離戦闘は苦手なはずだ。ミシェルにウォール張ってもらって、つっこめ」
頷いたアスカを見て、魔王はにたりと笑う。そして、指輪を外した。右手の親指と人差し指で持ったその指輪は、エレナの持つものよりもくすんでいる。
「ところで、これは俺も誤算だったんだが……、お前たちにも誤算だろうな」
ピン、と弾く。回転しながら、小さな指輪は宙を舞った。
「気を付けて。アンジェリカ・シルバーには闇属性を打ち破る力があります。魔王が自身にかけた封印の可能性が――」
「残念、時間切れ。夢の、終わりだ」
ミシェルの言葉が終わらぬうちに、魔王からあふれた闇は指輪を包み、そして砕いた。その、瞬間。
「え……」
アスカの隣で、鮮血が噴き出した。ゆっくり、スローモーションのように見えたのは魔導士の少年の身体が倒れる様。肩から背中へ、斬撃が走っていた。
「お前たち相手に動く死体百体なんぞ無意味。だが、一騎当千の剣士なら、釣り合うだろう?」
振りぬかれたのは、ラテムの職人が使い手に合わせて鍛え直した魔鉱石の大剣。後ろからクルセルドを斬りつけたのは、大柄で、よく笑う、少し抜けたところがあって、皆が頼りにしてきた剣士だった。




