第20話 ◆安定の侍従。
「それで、金貨は無事だったんですか。」
あれから、しばらく経った日の朝。
ウルリックは、
主人の長い金の髪に櫛を通しながら尋ねた。
「……一枚だけ足りなかった。」
心底悔しそうに、
エドリックは歯噛みしていた。
ウルリックが運んだ金貨、六千六百枚。
逃走時の持ち逃げを防ぐため、
全て袋から出した状態で支払った。
あの日、現場にいた人間は、
商会側の者も、客だった者も、全員捕らえられている。
逃げたのは、元締めだった《貂》ディアオと、
側近の《小兎》シャオトゥだけだ。
それでも、一枚足りない。
ということは――
「だから、鼬鼠は嫌いなんだ。」
苦々しく、エドリックは顔を顰めた。
「……似た者同士は嫌い合いますからね。」
髪を三束に分けながら、
ウルリックは返した。
「一緒にしないでよ。僕はあそこまで悪趣味じゃない。」
……似ている自覚はあるらしい。
エドリックは頬を膨らませている。
「鼬鼠の侍従に、《小兎》だなんて。趣味が悪すぎる。」
貂は、兎を捕食するからだろう。
「あんまり動かないで下さい。」
「……面白くないね。」
エドリックは、素直に真っ直ぐ座り直した。
束ねた毛束へ軽く力を加えながら、
順に交差させていく。
「それで、流出した商品の行き先はわかったんですか?」
「一部はね。まだ全部じゃない。」
「……時間がかかりそうですね。」
安心と、安全。
それを守るために、
このような仕事が必要らしかった。
「できました。」
しばらくして、
エドリックの背に、真っ直ぐな一本の三つ編みが出来上がった。
前にやった時とは、雲泥の差だった。
「なかなかいいね。」
「どうも。」
手鏡を見たエドリックは、
少々機嫌が直ったらしい。
「じゃあ、次は……。」
そう言って、エドリックはウルリックの背を見る。
そこにはすでに、
同じ三つ編みが出来上がっていた。
「なんだ……。」
ウルリックの髪を編むつもりだったエドリックは、残念そうな声を出した。
「侍従、ですから。」
当然のように、言ってやった。
「ですので、特別手当をお願いします。」
やっと侍従の仕事をやり切ったウルリックの笑みは、とても晴れやかだった。
◆
その日の午後。
仕立て上がったばかりの衣装を着せられ、
エドリックに連れてこられた先は――
ウルリックの自宅だった。
「今日はね、お祝いなんだ。」
「ここ、俺の家ですけど??」
「だから、引っ越し祝い。」
見たこともないほど豪華な花束を抱え、
エドリックは微笑んでいた。
「いや、そんな急に……。」
「エドリック様!」
馬車から降りると、
中からソニアが出迎えに現れた。
なぜか、義母も、姉も、母までいる。
しかも全員、
普段より心持ち華やかな服装をしていた。
「初めまして、ソニア嬢。エドリック・エーレンベルグです。」
見惚れるほど優雅に、
エドリックは王族式の礼を取った。
「お待ちしておりました。」
ソニアも、王族式の礼を返す。
――なんなんだ。
初めて見る妻の姿に、
ウルリックは複雑な気持ちになった。
「こちら、新居のお祝いに。」
「まあ……!」
エドリックが、
手にした花束をソニアへ渡した。
「ありがとうございます。」
……ソニアは、嬉しそうだった。
「ウルリック。」
「はい。」
エドリックに促され、
その花束は、そのままソニアからウルリックへ渡された。
「ありがとう。」
「……うん。」
ソニアから礼を言われる。
……いや、持つ。
侍従でなくても持つ。
夫として当然だ。
だが――
なんだろう、この違和感は。
「どうぞ、中へ。」
「ありがとう。」
エドリックは、
まるで何度も来たことがあるように、
迷いなく門をくぐった。
義母も、姉も、母も。
皆それぞれ、
エドリックへ優雅な礼を取っている。
――ここ、俺の家だよな?
いつもとのあまりの空気の違いに、
ウルリックは表札を見た。
……俺の家だよな。
広く作られた居間へ通されると、
客人はその真ん中で、優雅に紅茶を口にしていた。
……そこは、いつもの俺の席だ……。
母はエドリックを見て、
「若い頃のギャリックみたいだ」と血迷ったことを話している。
そんなわけあるか。
「ああ、そうだ。ウルリック。ご婦人方への贈り物を。」
言われるまま、
手にしていた小包をエドリックへ渡した。
――あれ、義母のだったんだ。
――あれは母の。
――こっちは、姉のだったのか……。
開封された贈り物には、
それぞれが好みそうな品が、
きちんと選ばれていた。
ソニアには、淡い若草色のショール。
とてもよく似合っている。
……少し、悔しい。
「ところで、ソニア嬢。お父上が作られた棚はどちらに?」
「こちらです。」
ソニアの父は、家具職人だった。
娘夫婦の新居のために、
急遽作ってくれた棚。
……なぜ、エドリックが知っているんだろう。
「うん。いい仕事だね。」
義父の仕事を褒められて、
ソニアも義母も誇らしそうだった。
「今度、王弟家に書斎を増やすことになってね。ちょうど、腕のいい職人を探していたんだ。」
「まあ……」
「お父上に頼めるかな?」
ソニアと義母の顔が、ぱっと明るくなる。
「ああ、それにしても。お手紙にあった通り、本当にいい家だね。」
エドリックは、辺りを見渡した。
――手紙?
「以前の持ち主は、音楽をされていたそうなんです。時々、この居間で演奏会をされていたそうで……」
「なるほど。いい趣味だ。」
エドリックは、極めて上機嫌だった。
ウルリックは、妻にそっと耳打ちした。
「ソニア。手紙って何。」
「え? エドリック様からのお手紙よ。」
妻は、不思議そうに首を傾げた。
「あなたの今後の予定や、私の体調を気遣ってくださって……」
「知らない。」
「――言ってなかったかしら?」
「言ってなかったかな?」
エドリックとソニアは、
二人で顔を見合わせている。
どうやら二人は、手紙のやり取りをしていたらしい。
――俺に黙って。
「あ、そうだ。ウルリック。」
「なんですか。」
「君に、お祝いを預かっているよ。父上と、イーサンと、エリオットから。」
卓上へ、三つの包みが置かれる。
「それと、これは僕から。」
四つ目が、その隣に並んだ。
「……こんなに?」
「うん。みんな、君を必要としている。」
「…………。」
「それに、式もまだなんだろう?」
「はい。」
「ソニア嬢の花嫁姿は、さぞかし美しいだろうね。楽しみにしているよ。」
「……ありがとうございます。」
ソニアは、少し頬を赤くしていた。
どれも、
ウルリックには断る理由のない厚意だった。
だが……。
やはり――
囲われている気がする。
『安心、安全、安定』
安心と安全は、怪しいが。
どうやら、安定だけは残ったらしい。
――俺と、エドリックが死なないかぎり。
「ウルリック。来月は黎明国へ行くよ。」
「……え。」
「大丈夫。ソニア嬢はご存じだ。」
身重の妻は、笑顔で頷いていた。
俺は全然大丈夫ではない。
「今回は、ただの観劇だよ。」
今回は。
僅かに顔を顰めたウルリックに気づかないふりをして、主人は平然と紅茶を飲んでいる。
「騎士とご令嬢の恋物語だそうだよ。」
「騎士!?」
姉のエマが突然、驚いたように声を上げた。
「エマ嬢は、オペラはお好きかな?」
「は、はい……。」
姉は何かを思い浮かべたらしく、
赤い顔をして俯いている。
「僕が紹介した音楽家が手がけたんだよ。今度、黎明国で初上演される。そのお祝いにね。」
「――音楽家。」
ふと、その言葉が引っかかった。
ウルリックは、
ゆっくりと居間を見渡した。
演奏会が開けるほど、広く作られた部屋。
王弟家から貸付金が出ることを知った、
その日。
妻の実家の隣に、都合よく売りに出ていた。
――この家。
嫌な予感がした。
それって。
もしかして――
「……楽しみだね?」
主人は素知らぬ顔で、
春の日差しのような微笑みを浮かべていた。
俺の他には、誰も気づいていなかった。
この主人、やっぱり――
相当、性格が悪い。
【fin】
『妻子ができたので死ねません!
酔いどれ重騎士の息子が堅い職の侍従を選んだら、物騒な主人の専属にされたので特別手当を請求します。』
全20話、完走いたしました。
ここまでウルリック達のお話を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
妻子のために絶対に死ねないウルリックと、
穏やかな笑顔で物騒な仕事を持ってくるエドリック。
住宅貸付。
結婚資金。
出産費用に、
子供の養育費と将来の進学費用。
そして、老後のための貯金。
これからますます、
辞められない理由ばかりが増えていきそうなウルリック。
狐な主人と、狼の侍従。
そんな二人の初任務は、
今回、無事に(?)果たされたこととなります。
もしも面白いと思っていただけましたら、
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最後までお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。
――ウルリックは、最後まで侍従です。
たぶん。
灯ノ森みつき




