その17 青魔の器
アリアとシンシアが中庭のガゼボで話している、ちょうどその頃。
セイアは自室の片付けの真っ最中だった。衣服や小物類はそこまで多くないものの、とにかく本が多い。受験を控えているせいで参考書類も増える一方だし、元々読書が趣味ということもある。
空いている部屋の中でも『できるだけ大きな本棚があるところ』という希望を出し、あてがわれたのが元のファイアの居室だった。確かに壁の一面がまるまる本棚になっていて、これは非常にありがたい。
よく使う参考書類は机の上、それ以外を機械的に本棚に収めていると、ふいにノックの音が響いた。
「どうぞー」
声だけ返すと、ガチャリと音を立てて扉が開いた。そこに立っていたのは、ラトスだった。
「悪いな、片付け中に。ちょっとだけいいか」
ラトスはそう言うと、セイアの返事も待たずにずかずかと部屋に入ってきた。手に、数枚の書類を持っている。部屋の中央に置かれた丸テーブルにそれを置くと、ラトスは近くの椅子にどさりと腰を下ろした。
「神魔就任にあたって、いろいろと本人に書いてもらうものがあってな。誓約書とか諸々、今すぐじゃなくていいから、目を通してサインしておいてくれ」
セイアは一度作業の手を止め、ラトスの向かいの席へ座った。テーブルに置かれた書類を手に取り、ぱらぱらとめくる。そこまで細かい内容ではないが、組織としての方針や神魔としての心構えなどが書かれていた。また、契約として、月々の報酬額や福利厚生などが書かれた書類の他に、就任式までの仮スケジュール表まで付けられている。
「難しい顔してるなぁ。気になることでもあるか」
ラトスに問いかけられ、セイアは複雑な表情のまま、彼の方へ顔を向けた。
「気になるっていうか……今更ですけど、本当に俺が青魔でいいんですか。俺は、アリアのおまけですよね。他にふさわしい人がいるなら、そっちにするべきじゃないんですか」
迷いつつも、確認せずにはいられなかった。
セイアは、元々アリアと共にセラディ・ソーサラーズへ入会するだけのつもりだったのだ。大学受験のための費用も一部負担してくれるという話だったし、こんな好都合なことはない、くらいの軽い気持ちだった。
だが実際は、神魔就任がお膳立てされていた。戸惑わないはずがない。
「まぁそう言うな。後出しみたいな形になったのは認める。でも、セイアが適役だろう、って話になったんだ。主に俺とシンシアの間で」
「いくらラトス様とシンシア様が推したからって……組織の人全員が承知している訳じゃないでしょう。俺は『北国の悪魔』ですよ?俺の就任が公表されたら、絶対に内部からも『辞めさせろ』って声が出るんじゃないんですか」
セラディ・ソーサラーズは大きな組織だ。魔術師団体として有名であるのはもちろんだが、災害における救助活動などが認められ、一般人の認知度もそれなりに高い。故に、トップに立つ神魔のイメージが大切なのは、言うまでもない。
「……おまえの名前に悪いイメージが付いて回るのは、確かに事実だがな。それでも、組織として必要な人材ではある」
セイアの様子を見て、ラトスも表情を改め、テーブルに身を乗り出した。
「まず、おまえレベルの高い治癒能力を持つヤツは滅多にいない。これは結構重要だ。次に、さっきも話したが、今回の神魔はアリアを中心に布陣を敷いている。アリアの隣に信頼できる彼氏が立つのは『おまけ』以上の価値がある、と俺は思う」
「別に神魔にならなくたって、ちゃんとアリアを支えるつもりですよ、俺は」
セイアは言い返したが、少しだけ声が弱くなった。ラトスはそれを聞き逃さなかった。
「でもそうなると、おまえじゃないヤツが青魔になるんだぞ。神魔四人は行動を共にすることが多いし、連帯感も強くなる。……ま、それでも俺はステアを取られたからな、あまり参考にはならんが」
最後の方になると、徐々にラトスの声も弱くなった。何だか気の毒になりつつも、セイアはラトスの言葉の意味を考えていた。
確かに、アリアが翠魔になることがほぼ確定しているのならば、セイアとしても同じ立場になりたいとは思う。せっかく晴れて恋人同士になれたのだ。だが、自分のせいでアリアの評判を下げたくはない、という気持ちもある。
セイアが黙っていると、軽く咳ばらいをして、ラトスが意外なことを口にした。
「迷うのも分かる。だが、俺はすごく個人的な感情で、おまえには青魔になってもらいたい」
どうして、というセイアの問いかけも待たずに、ラトスは先を続けた。
「俺はおまえに会うまで、勝手に『北国の悪魔』について偏見を持ち続けてた。おそらくろくな育ち方をしてないだろうし、ろくなヤツじゃないだろうってな。そしてそう思ってる魔術師は、決して少なくないと思う。俺はそいつらに、今のおまえの姿を見せたいんだ」
静かだが強い口調でそう言い切られ、セイアは思わず息を呑んだ。その言葉だけで、彼がただの思い付きでこれを口にしている訳ではないことが伝わってきた。
〈 『北国の悪魔』は、生まれてすぐに父親を殺した。 〉
世間一般に出回っている情報は、ほぼこれだけ。だがこれだけで十分にダメージの入る情報だ。
これまではひっそり、できるだけ目立たないようにしてきた。この先もずっと、一生そうやって生きていくつもりだったのだが。
「……ラトス様にそう思っていただけるのはありがたいですけど。でも、『北国の悪魔』の現在がどうかなんて、分からない人には分からないままでいいですよ」
複雑な気持ちで、呟くようにそう言った。
ラトスの考える通り、自分が表舞台に立つことで、イメージを改めてくれる人もいるだろう。だが、「人殺しが目立ちやがって」と苦々しく思う人もいるはずだ。どう転ぶかは、その時になってみないと分からない。




