その1 旅立ちの朝
オズの西国、シャキの町。乾いた明るい冬の朝、冷たい空気の中を、一人の少年が軽く走りながらタバコ屋へと走りこんできた。ばらばらと小銭をカウンターの上のカルトンに乗せながら、
「おばちゃん、タバコちょうだい。いつものヤツ」
……いや、ぱっと見は少年に見えるが、実は違う。短めのまっすぐな黒い髪も、だぼっと着崩した大きめの外套も、荒っぽい言葉遣いも、少年のようにしか見えないが……少女、という呼び名が正しい。より正確に言えば『美少女』だ。緩めの服に隠されてはいるものの、よく見ればほっそりとした華奢な身体のラインに気付くだろう。やや吊り上がった黒い大きな瞳、抜けるような白い肌。
そして、さらに言えば彼女は大きく尖った耳を持っている。この耳は、このオズの国では、魔力を持つ者の特徴だ。
彼女の名前はアリア・コーダ。西国の魔術師、齢は若干十四歳。
「なあ、聞こえないの?いつものヤツだってば!」
店の前で声を張り上げた彼女に向かい、タバコ屋のおばちゃん……もとい女主人は、洒落た銀の煙管を咥え、朝刊を広げた姿勢のまま、すっと店先の上の看板を指差した。看板の下の辺りには、タバコの銘柄とその一箱当たりの金額がベタベタと貼り付けてある。
アリアは指差された方を怪訝そうに見上げ、「げっ」と小さく声を上げた。
「値上がりしてんじゃん。また?」
「また?とか言うんじゃないよ、この小娘が。今は何でもかんでも値上がりしてるんだよ、あんただって知ってるだろ。文句があるなら他の店に行きな」
「いや買うよ、買うけどさ」
そう言ってアリアは慌てて財布を広げ、不満そうに口を尖らせながらも小銭を追加してカルトンに乗せた。
「あーあ、一箱でこんなにかかるのかぁ。マジで禁煙しよっかな」
聞こえよがしにぶつくさいうアリアの言葉に、女主人は煙管を口から離して煙を吐き出しながら、意味ありげに口角を挙げた。
「珍しいこともあるもんだねぇ、あんたの口から禁煙なんて言葉が出るなんて。タバコがないと生きていけないとか言ってたくせに。そういやあんた、オトコができたらしいじゃないか。なかなか男前の彼氏だって聞いたよ?シルヴィアから」
「………」
アリアは無言で、にやついた女主人からタバコを受け取った。シルヴィアは、アリアが居候している居酒屋『アルテミス』の店主だ。美人で優しくて面倒見のいいシルヴィアだが、正直、口が軽いと思う。
なぜ、アリアに彼氏ができたことを町のほとんど皆が知っているのか。そういうプライベート且つデリケートな情報は、もっと極秘に扱うべきなんじゃないだろうか。
「彼氏に言われたのかい、タバコはやめた方ががいいよ、とか。あんたもかわいいところあるじゃないか、ええ?」
「……別に、言われてねぇし……かわいくねぇし」
素っ気なくそう言って立ち去ろうとすると、タバコ屋の女主人は「お待ち」と一言声を掛け、同じ銘柄のメンソールタバコを二箱、すっと彼女の方へ差し出した。
「え、何、これ」
「餞別だよ。……引っ越すんだろ、持ってきな」
大したもんじゃなくて悪いけどね、と付け足して、女主人はぷかりと煙管をふかした。
「まぁ、元気でやりな。引っ越しても禁煙しても、たまにはうちに顔を見せとくれ」
寂しくなるよ。そうぽつりと呟いた女主人の横顔を、アリアは驚いたように凝視した。愕然とした表情を崩さないまま、声を落として、
「おばちゃん、……………死ぬの?」
「なんでそうなるんだい⁉縁起でもない、失礼だとは思わないのかい!」
「いや、だってさぁ!今まで寂しいとか、冗談でも言ったことないじゃん。あれだな、やっぱり人は年を取るとだんだん気弱になっていくんだな」
「おだまり!そうやって人を年寄り呼ばわりするなら、これは返してもらうよ!」
女主人は出したタバコを引っ込めようと手を伸ばしたが、アリアがそれをかっさらう方がわずかに早かった。
「まぁ、そう言わずに。せっかくだから、ありがたく受け取っておくよ」
「くっ……相変わらず、手癖の悪い……」
「嫌な言い方するなよ。……でもおばちゃん、冗談じゃなくてさ。俺が今読んでる小説、順番に人が死んでいくんだけど、一番最初に殺されるのがタバコ屋の女主人なんだよね」
真面目な顔でアリアがそう言うと、女主人はふん、と嫌そうに眉を寄せた。
「なんて物騒なものを読んでるんだい、あんたは。そんな簡単に殺されてたまるもんか」
「うん、まぁそれはただのお話だし、大丈夫だと思うけど。でもさ、今の世の中何があるか分かんないから、おばちゃんも気を付けて」
アリアは片手を軽く挙げて、微笑を浮かべた。それは、今しがたあれこれとやりあった女主人ですら、思わず見惚れるようなきれいな笑顔だった。
「タバコ、ありがと。また俺が戻ってくるまで、元気で長生きして」
女主人は、少女の意外な言葉に毒気を抜かれたように、「そのつもりだよ」と小さく頷いた。朝の冷えた空気の中で凛として佇むアリアの姿は、老婆と言っても差し支えない年齢の女主人の目に、ことのほか眩しく映った。
ふと思いついたように、彼女は尋ねた。
「ところで、引っ越し先はどこなんだい?シルヴィアは何も言ってなかったけど」
アリアはそれを聞き、透明に晴れた空を見上げた。その瞳は、明るい光に満ちていた。
「中央国だよ」
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