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焼準のミナトミライ

キャンプの全日程が終了し、一軍・二軍の命運を分ける振り分け発表の日。

主力組が揃うホテルの大広間には、独特の、肺が潰れるような緊張感が漂っていた。


「――代打枠、山本 健司」


その瞬間、ホテルの大広間に満ちていた緊張感は、一気に「戦慄」へと変わった。

三浦監督が読み上げたのは、球界の常識を物理法則でねじ伏せてきた、鋼鉄のドラフト1位の名だ。


健司は、特注のスーツのボタンが今にも弾け飛びそうな胸板を誇示するように、悠然と座っていた。

キャンプ地を破壊して回ったバットの重みとその質量。それはもはや、新人選手のそれではない。


「山本。お前の打撃は文句なしだ。……だが、守備はまだ『工事現場』のままだな。三遊間のゴロに地響き立てて突っ込んでいく気合は認めるが、まだプロの繊細なバウンドにその丸太のような指が追いついとらん」

監督はリーゼントを揺らし、不敵に笑う健司を真正面から見据えた。


「まずは『代打の切り札』だ。スタメンで球場を壊される前に、相手投手の心を物理的に折りに行け。文句はあるか?」


「なに言うてますのや。俺をベンチに置いとくんは、相手のピッチャーに『心の準備』をさせるための慈悲やと思っておきますわ。……代打でもなんでもええ。俺が一度バットを振れば、試合の流れごと粉々にしちゃるさかいな。それと『山本さん』や」


その夜、横浜への移動を控えた健司は、ホテルのベッドをギシギシと鳴らしながら美春にビデオ通話を繋いだ。


「美春、おん。……一軍、決まったわ。まあ、俺の密度を放っておくほど、この世界はバカやなかったみたいやな」


『健司……! おめでとう! 本当に、本当によかった……!』


画面の中の美春は、しなやかな肢体を躍らせて喜んでいる。その弾むような笑顔が、健司の灼熱の熱量を、ふっと心地よい温度まで下げていく。


「……でもな、当面は代打や。守備がアカン言うてな。お前にスタメンの俺を見せられんのは、ちいとばかり癪やけどな」


『何言ってるの。代打って、一番かっこいい場面で出てくる「真打ち」でしょ? 健司がベンチに座ってるだけで、横浜の空気は重くなるはずや。……私、開幕戦、絶対にスタジアムの最前列で見てるから!』


「……おお。分かっとるわ。……あ、そうや。横浜戻ったら、明日、ちょっと時間取れるか?」


『えっ、明日? 移動日だけど、大丈夫なの?』


「……ミナトミライ、少し歩きたいんや。開幕前に、あそこの潮風を吸っておかんとな。……お前の185cm、俺が横でしっかり支えて歩いたるさかい」


健司は照れ隠しに、丸太のような二の腕をさすりながら言った。

まだこの時、彼は知らない。

その翌日、潮風吹くミナトミライで、小賢しい羽虫に出会ってしまうことを。


「……明日、待っとるわ。美春」


『うん、約束や! おやすみ、私の最強の切り札くん』


通話を切った後、健司は長尺バットをバッグに詰め、静かに拳を握った。


---


キャンプを終え、横浜へと戻った移動日の午後。

潮風が鼻腔をくすぐるミナトミライのプロムナードを、二人は歩いていた。


「健司、見て! 観覧車、あんなに大きやん!」

「……そやな。あんな構造物、物理的に言えば風圧の計算が大変そうやな」


情緒のない返事をしながらも、健司は美春が風に煽られないよう、さりげなく海側に立って防風壁の代わりになっていた。

その横幅は、海からの突風をいとも容易く遮断する。


「もう、健司はすぐそうやって物理の話ばっかり。……でも、嬉しいな。こうして二人で横浜を歩けるなんて」


美春が嬉しそうに健司の太い腕を抱き寄せた。

彼女が少し屈み、健司が堂々と胸を張って歩く。周囲の視線を「質量」でねじ伏せるような二人の歩調は、どこまでも力強い。


「……腹、減ったな。美春、なんか食いたいもんあるか」

「うーん、せっかくだし中華街まで歩いちゃう? 健司なら、肉まん20個くらい余裕でしょ」

「20個じゃ足らんわ。俺の基礎代謝、なめたらあかんで」


そんな軽口を叩きながら、健司はふと、水平線の先にある横浜スタジアムの方角に目をやった。

明日、あそこで初めて、プロの「本気」とぶつかる。

かつて自分の身体を、存在を、色眼鏡で見てきた連中に、白球を通じて「山本 健司」を叩きつける時間が再び始まる。


「……美春。明日、俺が打席に立ったら、余計なことは何も考えんでええ。ただ、ボールが消える瞬間だけ見とけ」

「え? 消えるん?」

「せや。俺が打ったら、弾速が速すぎて人間の動体視力じゃ追いきれんさかいな」


健司は、ポケットの中で自分の拳を固く握った。

キャンプで磨き上げた重核は、すでに臨界点に近い。


「それに来年は、あの頂上よりも高いところに連れてったるわ。ネイビー・スターズの契約金、全部美春に預けるから、好きなもん買いいな」


健司の言葉に、美春は小さく吹き出した。


「もう、気が早いわ。でも…健司なら本当にやっちゃいそうで、ちょっと怖いかな」


その時だ。


「――ぶはっ! なんだよ、あの凸凹コンビ! ギャグかよ、マンガかよ!」


そして叩き上げられた鋼の物語は冒頭へと巻き戻る。



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