鍛造のキャンプ
沖縄の強い日差しが、山本健司の異常な密度の肉体を照らしていた。
他の新人選手たちが未だ仕上がってない体型でアップを始める中、健司は一人だけ、まるで重機がグラウンドに迷い込んだかのような異彩を放っていた。
160cmの低身長に対し、横幅は常人の二人分。
特注の練習着は、胸筋の圧力で今にも弾け飛ばんばかりに波打っている。
「おい、あれがドラ1の山本か……」
「鉄塊が歩いてるみたいだな」
先輩選手たちのヒソヒソ声を、健司は鋼のような目をつむり聞き流していた。
彼の意識は今、ここにはない。昨日、入寮直前に横浜の駅で見送ってくれた美春の、あの少し寂しげで、でも誇らしげな笑顔に向けられていた。
『健司、無茶しちゃダメだよ。…でも、誰にも負けないでね』
美春の185cmの長身から放たれたその言葉が、健司の心を脈動させる。
「山本! まずはフリー打撃だ。お前の『パワー』、見せてもらおうか!」
打撃コーチの声に、健司は獰猛な顔つきで頷いたが。
「『山本さん』や!」
彼が手にしたのは、昨夜、寮の部屋で美春とビデオ通話をしながら入念にグリップを確かめた、あの「ルール限界の長尺バット」だ。
ケージに入り、彼特有であるゴルフのドライバーショットのような構えをとる。
打撃投手が投じた初球、135キロの直球。
――ガキィィィン!!!!!
それは、木製バットがボールを叩く音ではなかった。
金属が激突し、空気が爆発したかのような衝撃波。
ボールは放物線など描かない。ライナーのまま、瞬時にしてバックスクリーンの防護ネットを突き破り、その背後の森へと消えていった。
「……え?」
打撃投手の動きが止まる。周囲のコーチ陣、そして足を止めて見ていたベテラン勢の顔から余裕が消えた。160cmの男が、ただの「軸回転」だけで、物理法則を無視した弾丸を放ったのだ。
野球のバッティングでは無い。
一切のステップを捨てたスイング。
「……野球特有のステップを伴ったスイングはどうやってもスイングにブレがでるがワイのハンマー投げで培ったパワーと回転力があればステップの必要はあらへん。それをバットの芯に乗せれば。まあ、単純な物理学ですわ」
健司はボソリと呟き、二球目を待つ。
その夜、健司は宿舎のベッドから美春にビデオ通話を繋いだ。
「美春、おん。初日終わったわ。……まあ、ネット一枚壊したくらいや。大げさやねん、周りの反応は」
『また壊したん!? もう、健司は加減を知らへんのやから』
画面越しの美春が、185cmの長い指でデコピンをするような仕草を見せる。健司はその画面を愛おしそうに見つめながら、丸太のような腕をさすった。
「…加減なんかしてたら、生きていけへんのは今更の事や。ワイは、ワイたちの『形』が間違ってないことを証明しに来たんや。美春、お前が胸を張って『私の彼氏、凄いやろ』って言えるように、このキャンプで常識、全部粉々にしたるからな」
『……うん。期待しとるよ。私の、自慢の健司君』
今はただ、一人の男が愛する人のために、その圧倒的な「質量」をプロの舞台に刻みつけようとしている、熱いキャンプの夜だった。
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「……おい、冗談だろ」
マウンドに立った中堅右腕の佐々木は、捕手のミットを構える位置を見て、思わず呆然と立ち尽くした。
打席の山本健司は、決してしゃがみ込んでいるわけではない。
ハンマー投げ由来の爆発力を生むために、どっしりと腰を落とし、地圧を最大限に利用する「投擲選手の理想的な構え」をとっているだけだ。
しかし、160cmの彼がその構えをとると、ルール上のストライクゾーン――肩から膝までの範囲――は、マウンドから見れば「細いスリット」のようにしか見えなかった。
「佐々木さん、遠慮せんと放ってください。俺の理論上、ここが一番『飛ぶ』ポイントなんですわ」
健司は不敵に長尺バットを構える。
捕手のミットは、地面スレスレの、通常なら「超低め」と呼ばれる位置に構えられている。だが、健司にとっては絶好のミートポイントなのだ。
「……投げる場所がねえよ!」
佐々木が意を決して投じた初球、渾身の145キロが内角へ向かう。
佐々木からすれば完璧なコントロール。しかし、健司の構えに対しては「高すぎる」のだ。
「ボール!」
審判の声が響く。佐々木はガックリと膝をつきそうになった。
「今の、俺のベルトの高さだぞ!? 普通ならストライクだろ!」
「俺にとっては、ただの高めのボール球ですわ。……そんなとこに放ったら、空気が薄くてバットが振り抜けませんわな」
健司は微動だにせず、二球目を待つ。
続く二球目、三球目。佐々木は必死に低めを狙うが、健司の膝元の「ストライクゾーン」は、針の穴を通すような精密さが求められる。
わずかに逸れればボール、入れば「破壊」の二択。
「……くそっ、もうここしかない!」
カウント3-1から、佐々木がヤケクソ気味に投げた「膝元の直球」
健司の計算していた、最もエネルギー変換効率の高いポイントに白球が入り込んだ。
――ガォォォォォン!!!!!
火薬を爆発させたような打撃音がスタジアムを震撼させる。
健司のバットの質量が、低い重心から一気に回転エネルギーへと変換され、ボールを粉砕せんばかりの勢いで弾き飛ばした。
打球は、センターを守っていた若手の頭上を、まるで「大砲の弾」のような速度で通過し、そのままフェンス上部にたたき込まれた。
ゆうゆうのツーベースヒット。
「…………」
静まり返る球場。
コーチ陣は手元のスコアブックを見つめ、震える声で呟いた。
「……これは無理だ。ゾーンが狭すぎて投手が自滅するか、置きにいって破壊されるか。物理的に、攻略のしようがない」
その夜、ビデオ通話にて
『健司、また審判の人困らせたんだって? ストライクゾーンが狭すぎるってニュースになってたよ』
画面の中の美春が、おかしくてたまらないといった様子で笑っている。
「おん。俺はただ、物理的に正しい構えをしとうだけなんやけどな。……審判も、俺の身長がもっと伸びるのを待つより、自分の動体視力を鍛えたほうが早いわ」
『もう、相変わらず不遜なんやから。……でも、健司が打席で堂々としてるの、ニュースで見るとすごく安心するわ。私の、自慢の彼氏やもん』
「……おん。明日は守備練習や。地響き立てとるから、美春もバスケの試合、地面が揺れるくらい暴れてこいや」
健司は、画面越しの美春の笑顔に、少しだけ照れくさそうに、けれど決意を込めた眼差しを返した。
160cmの「狭すぎるゾーン」と、120kgの「重すぎる一撃」。
その不揃いな武器を引っ提げ、健司はプロ野球という戦場を、物理とルールで支配し始めていた。




