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港の夜景を背に、二人の影はあまりに不揃いだった。

横浜みなとみらい、コスモワールド。巨大な観覧車の光が、海面に万華鏡のような色彩を落としている。

山本健司は、隣を歩く美春の腰に手を添えていた。

160cm120kg体脂肪率5%の肉体は、厚手のMA-1の上からでも、鋼でも生易しいのような異様な硬度を伝えてくる。

対する美春は、185cmの長身にスレンダーな肢体。バスケットボールで鍛えられたしなやかな背筋を少し丸め、健司の顔を覗き込んで微笑んだ。


「健司、見て。あの観覧車、うちらが初めてデートした場所よりずっと大きいやん」

「ああ…。来年は、あの頂上よりも高いところに連れてったるわ。ネイビー・スターズの契約金、全部美春に預けるから、好きなもん買いいな」


健司の言葉に、美春は小さく吹き出した。


「もう、気が早いわ。でも…健司なら本当にやっちゃいそうで、ちょっと怖いかな」


二人が歩けば、誰もが足を止める。25cmの逆身長差。だが、健司にとってはこれが「完璧なバランス」だった。

幼い頃から「低身長のバケモノ」と蔑まれてきた自分と、「デカすぎる女」と疎まれてきた美春。

社会の規格から弾き出された二人は、互いの欠落を埋めるように寄り添い、それぞれの競技――ハンマー投げとバスケ――で、誰にも文句を言わせない記録を打ち立てることで、自分たちの存在を証明してきたのだ。

だが、その神聖な夜を、耳を刺すような下卑た笑い声が切り裂いた。


「――ぶはっ! なんだよ、あの凸凹コンビ! ギャグかよ、マンガかよ!」


声の主は、街灯の光の下で数人の男たちと連れ立っていた。

高価なブランドもののライダースを羽織り、いかにも「選ばれし者」という傲慢なオーラを隠そうともしない男。明日、横浜ネイビー・スターズが本拠地で迎え撃つ王者、東京ジャイアンツの絶対的守護神――火野だった。


「おいおい、どっちが保護者だ? 160センチの豆タンクが、自分より頭一つデカい女を連れて歩くなんてな。まるで動物園のゴリラと飼育員じゃねえか」


火野の取り巻きたちが、ドッと下品な笑い声を上げる。

美春の肩が、びくんと跳ねた。

彼女がかつて、その身長ゆえに受けてきた無数の罵倒。それが今、大好きな健司との大切な時間に、土足で踏み荒らされたのだ。

美春の長い指が、健司のMA-1の袖をぎゅっと掴んで震える。その瞳には、こらえきれない悔し涙が滲んでいた。

健司の瞳から、光が消えた。

彼は美春の手を優しく解くと、一歩、火野の方へと踏み出した。

120キロの質量が移動しただけで、石畳を伝って火野の足元まで地響きが走った。


「…今、こいつを何て呼んだ」


低く、重い声。まるで地の底から響いてくるような重低音に、火野の笑いが一瞬止まる。だが、火野はすぐに鼻で笑い、健司の胸元を指差した。


「あ? 聞こえなかったのかよ、飼育員って…うわっ!」


火野が言い終える前に、空気が爆ぜた。

健司の右拳が、火野の鼻先の空間を猛烈な速度で切り裂いたのだ。拳は当たっていない。

だが、あまりの風圧と、一瞬で平衡感覚を奪われたかのように、火野は悲鳴を上げてよろよろと取巻きに倒れこんだ。


「…ひッ!?」

「今のは挨拶や。ハンマーの回転に比べりゃ、お前の160キロなんて止まってるようなもんやで。それにや、ワイの事を知らんちゅうのは自惚れが過ぎるんちゃうか?世界でやり合って来たワイと日本の狭い中しか知らんお前と比べるのはチャンチャラおかしいわ」


健司は冷徹な眼差しで、地面に這いつくばる火野を見下ろし指をバキバキと鳴らす。

その背後では、美春が必死に健司の腕を掴んでいる。


「健司、あかん! 明日は試合でしょ!」


健司は美春の震える手を感じ、岩のような筋肉をゆっくりと弛緩させた。彼はもう一度だけ火野を睨みつけ、吐き捨てるように言った。


「明日、球場で分からせたる。美春を笑ったこと、その安いプライドと一緒に粉々にしたるわ」


震えながら立ち上がろうとする火野を置き去りにして、健司は美春の肩を抱き、再び歩き出した。

美春は、健司の厚い胸板に頭を預け、震える声で囁いた。


「健司…明日、あの鼻柱、バットでガツンといわしたってや」

「ああ。分こうとる。…俺の女を泣かせて、無事で済むと思うなや」


みなとみらいの潮風が、一瞬にして殺気を含んだ熱風へと変わった。

翌日の開幕戦。

それは単なるペナントレースの始まりではなく、愛する人を傷つけられた一人の男による、無慈悲な復讐劇の幕開けとなったのである。


そして迎えた、ハマスタの開幕戦。

9回裏、2対3。ネイビー・スターズは1点差で追い詰められていた。

だが、ジャイアンツの中継ぎ陣が突如乱れ、三つの四球で二死満塁。絶好の、そして最悪の場面で、あの男がマウンドに上がる。


「ピッチャー、火野」


不敵な笑みを浮かべ、火野がマウンドで吠える。

対するスターズのベンチが動いた。


「代打、山本」

「監督さん。最高のタイミングやで!」


地鳴りのような歓声の中、山本が打席に入る。

身長188cmの火野が、28cm下の山本を見下ろして嘲笑う。

初球、内角への威嚇。二球目、三球目、四球目。カウントは1ストライク3ボール。

追い込まれたのは、火野の方だった。

満塁、スリーボール。一歩間違えれば押し出し。逃げ場を失った火野の顔から余裕が消える。

そこで、山本が不敵に口を開いた。


「もう、逃げ場は無いのう。……楽しゅうなって来たやないか」

「うるせえ、チビがッ!」

(くっそ!チビなせいでストライクゾーンが狭い。投げ難いじゃねーか!)


そして火野が勝負に出た。伝家の宝刀、145キロの高速スライダー。

山本はそれを常識外のスイングスピードで迎え撃つ。

――ガキィィィン!!

レフトポール際、場外へと消える特大のファール。

球場が静まり返る。山本は、マウンドの火野を凝視し、ニヤリと笑った。


「今の落ちる球はスライダーか? 軸は捉えたぞ」


火野の額に、初めて一筋の汗が流れる。

(嘘だろ……あのスライダーを、初見で合わせやがった……!)


極限のプレッシャーの中、火野が選んだのは、自慢の低め直球だった。

渾身の力を込めた、時速158キロ。

だが、山本健司にとって、それはただの「止まった標的」に過ぎなかった。

ゴルフのドライビングコンテストの如き、地面から力を吸い上げる爆発的なスイング。

160cm120kgの極限の低重心大質量から放たれる力がルールギリギリの長尺バットの芯という一点に凝縮され、音速を超えて振り抜かれる。

――ドォォォォォン!!!!!

打球は放物線を描かなかった。

それは、地表と水平に突き進む、真っ直ぐな「光の筋」だった。


「……あ」


火野が反応する間もなかった。

直線的に放たれた白球は、マウンド上の火野の頬を砕き尚、衝撃波で空を切り裂きながら通過した。

火野はあまりの風圧と恐怖に、腰から砕け落ちてその場に崩れる。

ボールはそのまま、全く高度を落とすことなく、バックスクリーンの「特注掲示板」の中央へ、大砲の弾丸のように突き刺さった。


「…………」


スタジアム全体が、思考を停止した。

サヨナラ満塁ホームラン。

だが、誰もがその「弾道」の異常さに言葉を失っていた。

山本は、震えながら地面に這いつくばる火野の横を、ゆっくりと通り過ぎる。

土まみれ血塗れの敵エースに聞こえる様に、彼は一言だけ低く重い声を叩きつけた。


「ザマァみさらせ!」


山本は一歩一歩、地響きを立てながらベースを回る。

ホームベースを踏んだ瞬間、彼は待っていた美春の前で、丸太のような両腕を天高く突き上げた。

ハマスタの夜空に、壊れた掲示板の火花が、勝利の祝福として降り注いでいた。


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