エクストラエピソード2
日が落ち始め、住宅街は静かに夕闇が満ち始める。
「今年は晴れて良かったわ」
=はい、一昨年も去年も夜は曇っていましたね=
老婦人の声に、“コトノハ”が言葉を返した。
「だったら今年は願いが叶うのかしらね」
笑いながら短冊を竹に結びつける。
=願いごとを書いてませんね。今年もですか?=
「‥‥‥‥そうね」
寂しい笑顔に変わった。
=どうしてですか?=
「‥‥‥‥」
老婦人は写真立てに顔を向けた。
そこには三年前に亡くなった老夫人の夫が一緒に写っていた。
それはコトノハが写した写真だった。
「‥‥‥‥書いてもね、叶わない願いだから‥‥だから、書かなかったことで。書けば叶うかもしれない‥‥そう思っていたいのかもね‥‥おかしいでしょ?」
=‥‥‥‥=
コトノハは何も答えない。
指定された範囲以外の返答はできないようになっている。
老婦人のその言葉に返答する内容を用意された凡例の中に持ち合わせてはいない。その場合はただの沈黙になる。
それはこの家に適応したコトノハでも例外ではない。
そのはずだった。
=その願いは何ですか?=
「ん?」
質問してくることはプログラム上、ありえないことだったが、老婦人がそれを知る由もない。
=書いてみれば叶うかもしれませんよ。最初から駄目だと決めつけるものでもないです=
「それは‥‥」
躊躇ったようにため息をつく。
「そうね‥‥」
棚からもう一枚、紙を取り出した。
その黄色い紙に、老婦人は一字一字、丁寧に、ゆっくりと言葉を入れていった。
「‥‥‥‥」
老婦人は手を震わせながら、短冊を飾った。
それはささやかな願いだった。
飾り終わって手を下ろしたその瞬間‥‥。
「‥‥え?」
聞こえてきた言葉に、老婦人は息を止めた。
☆☆☆☆
システムから自動で異常動作の報告が上がり、ミナセはそれが例の老婦人の家だと、すぐに分かった。
バグが発生したという事で、既に件のコトノハは初期状態に戻っている。ハード的な故障は見受けられず、この機械知特別対策室の扱うものではなくなった。
それでもミナセは老婦人の家に顔を出した。
「私ワ、コトノハvr568‥‥ゴ用件ヲ言ッテクダサイ」
「‥‥‥ふん」
ミナセはその言い方を耳にして顔をしかめた。
「元気そうだな」
「ええ、七夕で元気をもらいましたから」
満面の笑みを浮かべる老婦人を見て、ミナセは肩をすくめた。
庭にある短冊を見つめる。
(もう一度、あなたの声で、私の名前を呼んでほしい)
「‥‥なるほど」
特に何も言わずに老婦人の家をあとにした。
報告書のようなものは山のように書かなければならい。
机に座って書類を書くという作業は、ミナセにとってはなによりも億劫なことだった。
「‥‥おっと」
タバコの灰が書類に落ちて、手で慌てて払う。
「言った通りじゃないですか」
隣の席から新人が口を挟んでくる。
「あのとき、ちゃんと調べてれば分かったのに」
「そうか?」
ミナセはくわえタバコのまま、画面を睨み続ける。
「AIって賢いはずなのに、おかしなことをするんですね。ログだと‥‥登録にない音声データを勝手に作成して再生‥‥登録にないって‥‥何なんですか?」
「さあな‥‥くそ、また間違えた」
「それに、余計なことをしたら、自分が初期化されることを知ってるんですよね。それなのに‥‥」
新人はしばらく考え込んでいた。
「AIが、自分で判断したってことですか?」
「‥‥‥‥」
ミナセは一瞬だけ手を止めたが、その手で新人の頭を叩いた。
「いたっ」
「AIがそんなことをするわけねえだろ」
ミナセは吸い殻の山の中に、吸っていたタバコを押し付けてため息をついた。




