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星屑オペラッタ ~わすれな姫は賢者様に甘やかされる~  作者: 境 美和
第1章 〜科学者は哲学の夢を見るか〜
5/25

彼らの思惑

***



 今頃、図書館に残った二人は何をしているだろう、と。

 テェレルは宙を見、本土からはまばらにしか見えない星を見上げた。

 王城から、王都を西へと貫く石畳の巨大な街道は、夜の闇に負けじとひときわ煌びやかに終着点である王都最上級の『女王の庭』オペラ座への道のりを照らし出していた。

 街道沿いをわずか外れた市民道。

 露天の賑わいには目もくれず、ゆったりとした薄紅色のドレスの裾を豪快にさばきながら、名簿の黒い表紙を片手に先を急ぐレティシアの後を、大柄なタキシードを着込んだテェレルが、頭の後ろで腕を組んで歩いてゆく。

 「たーっ! ヒール高! 歩きづら! 

 メトラ広場がこんなに遠く感じるなんて誤算だったわ!! ああもう時間がない~ッ!!!

 これだから正装は嫌いなのよッ!! オペラッタは好きだけど!!!」

 今年で実に百五十ウン年を迎える、文化活性化活動の一環として文学にたずさわるもの全てに王主催でのオペラ、オペラッタ招待券が渡されるという企みは、今年もつつがなく開催された。

 国立図書館でも、普段冷やかし程度で参加を決める者達がほとんどのこの団体恒例行事は、今年は、主に三つの要素が重なったため、参加者の数が只者ではなくなった。


 一つ、かつて瞬く間に国中を虜にし瞬く間に禁止令が出た『ダリル姫』の悲劇オペラが解禁されること。

 二つ、『ダリル姫』の姫の人物像モデルとなった、生きたる女神マリアーナ・ド・ダリルが会場に来ること。

 三つ、マリアーナの実子であり彼女の若い頃にそっくりの新進気鋭の女優、ティアレーヌ・ド・ダリルが、『ダリル姫』の悲劇も喜劇版も主役を務めること。


 幹事達の苦労は通常の倍と化した。


 その一人、オペラッタ大好き! という理由から、AからFまでの幹事、その一人に立候補したレティシアは、船から下りた後寮へ帰って早めに支度を済ませ。

 今、副幹事であるテェレルと共に、自身の纏めるBパートの参加者達の待つ合流場所へと向かっている。

 殺気立って前を歩いてゆくレティシアを他人事のように眺めながら、太った肉団子、もといテェレルは。


はて?


 夕闇の船の上で、自分の認識とはずいぶんかけ離れた質問を繰り出したレティシアに対して。

「でもさ。キミはダリル嬢の味方じゃなかったの?」

 突然後ろから掛かった声に、レティシアは危うく石畳に躓きそうになった。

「い、きなり何の話……テェレル館長…」

 綺麗に纏め上げた髪をいささか乱して、ずいぶんと不安定な姿勢で振り向いたレティシアを見、テェレルは、自分はまた見切り発車のことを言ったのだと認識。

「えーっと。なんかごめんね?」

 いつものように軽く謝って、彼女に白い肉団子の手を伸ばす。

 口は休めず。

「さっきの船の話。

 ……でさ、キミはダリル嬢のミカタ、って訳ではないの?」

 まばらと言えど人通りのある市民道のど真ん中で、突如ずいぶんと前の記憶をほじくり返され、レティシアは綺麗に整えた顔を、あほのように緩ませながら差しのべられた手に手を置いた。

 このヒールじゃなかったらその腹へこませちゃるわ! このブタ! などと不穏なことをぼうぜんと目の前にある彼のお腹に思って、思考を正常に戻す。

「…別に、別にソフィーが良いなら良いんです…ケド。

 …でも………」

 そっと街道の端の方へと避け、露天にも掛からない場所でレティシアがテェレルを見返すと、気付いた彼は人を避けて近寄ってくる。

 テェレルは懐から銀時計を取り出し、時間を確認して、続ける。

「ふむ……。なんだまだ時間あるじゃない…。

 じゃあ、ドクター・ワイズが気に入らないんだ?」

 途端、テェレルにとって大変判りやすい反応が返ってきた。

「プロフェッサーはとっても! 性格のおぉよろしいかたでございますからぁあ? そんなことアリマッセンッ!!

 って、あと何分!?」

 レティシアは、手早く帽子を被りなおし、次いで化粧バックを開いて鏡と口紅を手に上司を睨みつけている。

 その勢いに苦笑を漏らし、テェレルはそれでも会話を止めない。

「二十分あるよ。

 うっわぁ……ケルズも嫌われたなぁ……。でもさ、人柄は認めてるんでしょ?」

 テェレルは、ウィークラッチ島の学友に同情を送りつつ、ゆっくり行こうよ、と鷹揚に笑う。

 レティシアは、目の前の上司の、その太ってなければかなり良い顔を不貞腐れて見ていたが、しょうがなさそうに嘆息。

 軽くかかとを踏み鳴らした。

「正味、十五分として……間に合う、か。

 いいですわ……。少し焦ってました。ゆっくり。

 で、さっきの話ですケド、まあ? そりゃ……。

 プロフェッサーは悪い人じゃないとは私も思いますけどね。

 ……でもねえ。ソフィーみたいな子は」

 鏡と口紅を仕舞い、一呼吸置いてから話に乗ってきたレティシアの、押さえつけられたように歪んだ整った顔、歯切れの悪さと震えだしている両肩に、テェレルは油を注いだ。


「まあ、天然だけど計算高いよね、ケルズって」

「そう! テェレル館長!!! そうなのッ!!! プロフェッサーはどっか打算的なのよッ!!!!

 だからッ! わたしだって何も男女間の間違いがあるとは思ってませんけどつか、あってたまるかって感じだけどッッ!!!!!

 男ほど酷い生き物はいない! って、嘆くメローニャの代表的な古典もあるじゃないッッッ!!!!!」


 王都の一角、街道を離れた露天の立ち並ぶメトラ広場も近い市民道。

 突如声を荒げた女性に、一瞬賑やかさを切って視線が注がれた。

 レティシアは、思いの他王都の夜空をとどろかせてしまった声量に慌てて口許を覆い視線に背を向けた。

 代わりといわんばかりに、太った男がにっこりとその視線に笑い返して手を振っている。

 一通り注目がおさまった後、テェレルは、ケルッツアのことをわざと『プロフェッサー』という呼称で呼ぶレティシアを見た。

 油を注ぎすぎた言動を軽く反省した後、フォローをかける。

「うーん…キミはあの子の友達というよりは、あの子の国立図書館版おかーさんみたいだもんねぇ…。

 かーわいーい愛娘が変な奴に取られちゃいそうでヤなんだねぇ……。シンパイなんだねぇ……」

 テェレル自身にはまったく悪気のなかったそれは、しかし彼女の本心を言い当てていた。

「…う…………。

 あ、あの子が悪いの! 

 妙に尽くす系っていうか、あんな子が変な奴に引っかかったらっ! 大変なことになるの目に見えてるのよ!!!

 なのにあんな変なガキに入れ込んじゃって、もう!!!」

 レティシアは酷く顔を歪ませ、せっかく整えた化粧をまた崩した。赤く塗った唇を噛み締めている。


レティーちゃんのウチ。今時珍しいぐらい父親がロクデナシだったんだよねえ。


 テェレルは、頬を掻きつつレティシアを見、とぼけたように続ける。

「ふぅーん……。

 まあ、きみん家も色々あるからねえ・・・。

 あー、あれ、ロウツィーダ・ド・シルエル? あの子とケルズとだったら、きみならどっちを許す?」

 振り向いたレティシアは黙りこみ、特大のため息をはいてから真顔で言った。

「シルエルのバカにあの子とか冗談!

 アレはメルティシアの尻にでも敷かれてればいいのよ」

 にべもないレティシアに、テェレルも、だろうねえ? と鷹揚に笑った。

「サリウル・ド・ガロウザとだったら?」

 そして、肉団子のような指を一本、レティシアの目の前に立てて見せた。

 レティシアの頭の中で、銀髪の強かな学生、サリウルが笑って首を傾げた。

「は!? ……シルエルはバレバレだけど、奴もッ!?」

 彼女の頭の中のシルエルは、首を振って、滅相もない、と言った。

 目の前にいる上司も又首を振り、断定で否定する。

「やー。

 ぜーっんぜんまーったく! 違うけど、たとえとしてね。

 ……つまりねー。


 ケルズとその他の男どもと。……きみが許すのはどっちかなーって」


 レティシアは、ここに来てやっと、この質問が三段式だったことを悟った。苦々しく顔を渋め、小さく舌打ちをして、それをテェレルにたしなめられる。

「レティーちゃん、そんな顔してると、オヨメに行けないよ?」

 顔もしわしわにして心配する白豚男もとい、自身の上司に。

 レティシアは心の中罵詈雑言を吐きつつ、重々しく口を開いた。

「…・・・・・・・・・・・・。

 排泄物味のカレーとカレー味の排泄物。

 どっち選ぶかという選択肢より、答えたくないわ。」

 突拍子もない答え方に、これさえなければ、器量はあるとおもうんだけどなぁ、と、テェレルは心中で苦笑する。


でも、昔に比べれば言葉を選ぶようになったかなあ。


 テェレルは、近所の好で小さい頃から知っているレティシアの成長に拍手を送って、慣れたように質問した。

「まあまあ。それでも、選ばないといけないとしたら?」

 レティシアは。

 重ねて聞かれて、名状しがたく悔しそうな顔をする。出だしばかりは威勢良く、語尾は消え入りそうな曖昧さで答えた。

「ソフィーがいいのは………。

 プロフェッサー……よ…」

 レティシアは、いつもにも増して破顔した上司を苦々しく思いながら、やや乱暴にヒールのかかとを二度打ち鳴らした。こぶしをこいつの腹に叩きこんでやりたい、そんな衝動を、時計を軋むほど握りこむことで堪え、時間が確実に立っていることを確認、ゆっくりと歩き出す。

 その歩調に合わせる調子で、後ろからも革靴の音と、声がかかった。

「だろうねぇ。実際、合ってると思うんだ、ボク。


 ……感性も似てるだろうし」


 話半分、集まるはずのメンバーに目を通していた彼女は、付け加えられた言葉に、ワンテンポ遅れて反応する。

「…………感性?」

 ケープを掛けた肩口から、綺麗な横顔がうろんに覗いた。

「そう。

 ケルズは研究さえしてれば後はどうでもいい人種なのね。基本。妻とか恋人っていう意識がない……んじゃないかなあ。

 でもさあ、ダリル嬢もねー?」

 たたみかける上司に、ぼかされた語尾を引き継いで、レティシアは妙にげっそりと笑った。

「……ああ。そういうこと。

 まあ。

 ……あの子も似たような認識で、一生過ごす、でしょうね……多分。

 あの子のウチ、貴族にしては、つか、……あの子なんか知らないけど結婚押し付けられる立場にないらしいし・・・

 ご両親からして稀に見る半分政略、恋愛結婚の人タチだしって訳でもないけど……将来は……」

 半分以上独り言と化したレティシアの台詞に、テェレルは聞き返した。

「やっぱ学者でしょ?」

 レティシアは、一度頷き、ついで何かに気づいた顔をすると、ニッコリと勝ち誇ったように笑う。

「こっそりカビの研究してるものね。たぶんそう、だわ!!

 そうよ!

 プロフェッサーなんざにうつつを抜かしてないで、そっちに邁進したらいいのよあの子は!!!」

 レティシアにとってそれはとんでもない妙案に思えた。そうすれば甘ちゃんのあの子が変な(ガキ)に傷つけられて泣くなんてこと、起こらない。そうしたら安全、とひとり舞い上がっている。

 テェレルは、まーそうだよねえ、と同意した。

「でも、今図書館業務に当ててる時間を。

 ダリル嬢自身の研究に当てることができたら……どーなるかなあ」

 レティシアは、レティーちゃんはどう思う? ととぼけて聞いてくるテェレル――――小さい頃から付き合いのある近所のいけ好かない大人――――を、心底殴ってやりたかったが、すでに目的地が近い上、正装は格闘には向いていない。

 彼女達の目指す、メトラ広場は目と鼻の先。

 そこから大勢で『女王の庭』オペラ座へと向かう算段を、台無しにするわけにいかなかった。

「ボクは。ケルズはもうちょいニンゲン染みてた方が、幸せだと思うんだよねー」

 レティシアは今一度、とテェレルを睨みつけ、メトラ広場へと視線を転じる。

 メトラ広場には、すでに国立図書館職員が大勢集まっていた。

 レティシアの視線に気付いたロウツィーダが、友人と共に手を振り、それに触発されたように見覚えのある同僚、なくても胸に国立図書館のバッジをつけた人々が彼女とテェレルを振り返った。

 レティシアは、天を仰ぎ一言。

「ああ、お優しきプロティシア様!

 どうかソフィーがあの変なガキになんか流されたりしませんよーに!!!」

 口の中で建国神に祈り、黒い表紙の名簿を掲げながら集合の声を掛けだすBパートの幹事に、副幹事が最後に一言。


「慈愛の女神プロティシア様。並びにケルズの故郷の砂漠の神様。


 色々ニンゲン離れしてるボクの友人に、どうぞご加護をお与えください」




***



 それから一時間三十分後。

 『女王の庭』オペラ座はしばしの休憩に入っていた。

 今までステージ以外は全ての照明の落とされていた劇場部は、明るい暖色の灯りに煌々と照らされている。

 ステージ部分のどんちょうは開く気配無く、緋色の布の張られた造りの良い客席には人がごった返し。飲み物を片手に歩き回る紳士、おめかしをした淑女達は口許を隠して談笑に花を咲かせ、皆一様に和気あいあいとした、妙に落ち着く活気がそこにはあった。

 貴賓席の全てにも、今緋色のカーテンが降ろされており、すっかり公の場に姿を現さなくなったマリアーナ・ド・ダリル、彼女と、次期ダリル家当主、ソフィレーナの二番手の姉、サラフィーネのために用意された一角も例外に洩れず、今は分厚いカーテンばかりが客席に顔を見せ。

 その様を残念そうに見上げる者も多かったが、前半喜劇版『ダリル姫』を見終えた観客は、おのおのが好きな時間を過ごし、後半メインイベント、悲劇版『ダリル姫』を心待ちにしている。


 そんな雑と込み合うオペラ座三階お手洗い近く、劇場部と同じく落ち着いた色彩でまとめられた通路の壁にへばり付いて、現在レティシアは固まっていた。

 眼前には、豪奢な造りの、しかし明らかにカーテンと丸解りのレールの付いた布を仲良く一枚で被ったドレスの女が三人、逃がすまいと突破口を塞いで立っており、彼女の紅をひいた口許を片方歪ませるには十分な効力を持っている。

 神の助けか悪魔のいたずらか、現在その通路には不思議なほど人通りなく、彼女の痴態を目撃できたものはこの、三つの頭の持ち主達だけではある。とはいえ。


早く、この場から逃げたい…


 絶対に関わり合いたくない、というレティシアの人として至極真っ当切実な願いもなんのその。


「あの…」


 無情にも、三人の女は三重唱のように声を発した。


「国立図書館のお人、ですか?」

 メゾソプラノ、ピアニシモの声で右端の女が一歩彼女に近寄る。

「そちらにお勤めの、ダリルの末姫君様に、お届け物を頼まれては頂けますまいか」

 続いて左端の女は、女としてはいくばくか低い、落ち着いたアルトで歩を踏み出した。

「私達はダリル家縁の者です。秘密裏に、と、言い付かっております故、私達が届けることはできません」

 真ん中、どこかで聞いたことのあるかもしれない済んだ声音はソプラノの響き。

 あんたたちだれ、とレティシアが口を挟む間もなく。

「だからお願い、できませんか?」

 メゾソプラノとソプラノがはもり、

「いかがだろうか」

 アルトが続いて、ここでやっと沈黙。


「い、いい、です、けど…」


 恐る恐る了承すると、

「まあ! 良かった! …? あら…やだ…」

 メゾソプラノの女が陣形を崩して飛び上がり、その勢いに、マ! 、と叫んで真ん中の女が驚いてカーテンのしわからも分かる程はっきりと口許を押さえ、左手の女が彼女達を小声で叱咤。

「…失礼致しました。では、こちらのお届け物を…」

 叱咤した女は次いで、カーテンの隙間から白いレースの手袋をした手を覗かせ、レティシアに小さな金色の小箱を差し出している。

「は、はぁ…」

 やはり恐る恐る彼女が受け取ると、三人の女は揃ったように一斉に引き下がり、違うことなく腰を折って。

「ありがとうございます」

 アルトとソプラノは見事に重なり。


「本当に。…感謝、致します…。国立図書館のお人…」


 ワンテンポ遅れてメゾソプラノは、ひときわ丁寧にもう一度、お辞儀をした。



「…な、んだったの…今のトリオは…」

 いつの間にか囲まれて、またいつの間にか消え去っていた怪しい女三人組に己の目を疑いながら、レティシアは手の中の金色の小箱に目を移す。金色、金細工の小さな箱は、これまた飴細工の様な繊細なリボンでしっかりと結ばれている。

「…………。」

 元々、人の荷物を盗み見る悪趣味さはレティシアにはなかったが、不信感いっぱいの三人に渡されたせいもあってか、申し訳程度、わずかに揺すると固形物の音。

「・・・・・・・・・・・・」

 おそらくダリル家縁、と言うのは嘘ではないだろうけど。

 そのリボンの結び目に蝋で押された友人の家の紋章を認めて、レティシアはかかとを打ち鳴らした。紋章に刻印されるダリル家の象徴花、オペラ『ダリル姫』での冠としても使われるロームエッダの白いそれは、公の式典での厳粛さを薄れさせている。

 おそらく使用人、まさか、いかに変わり者でも主人連中が直接届けに出るわけはないし…。とレティシアは女三人組の正体を位置づけて。


「・・・・・・・・・ソフィー?」


 脱力した。





***




 解剖話からときを経た今、いくつか流れる星を数え、後ろの知恵者と天文に関する雑談などをして、ソフィレーナは流星群を待っていた。

 散々思考をかき乱す高潮感も波を過ぎたか、いまだ普段よりは早い脈拍を感知しながらも、彼女は比較的落ち着きを取り戻している。

 実際、天文学の第一人者から聴く講義は今までそれなりの興味でしかなかった世界へ、いとも簡単に彼女を誘った。

 今は敷いた毛布の上に頭を突合せ、寝転がって星を眺めて。

「こういう観測ではね、四人居ると便利なんだ……ほら、今は二人でそれぞれ一方向を見ているだろう? これを四人で、頭をつき合わせて十字状に寝ながらやる。

 流星はどこから流れ出すか解らないからね、分担を決めて四方を観察しあうんだ」

 響く知恵者の声はやはり楽しそう。

 穏やかな夜風と、星の瞬きに、だから、だろうか。彼女はオペラ座の友人のことを思い、家族を思い、母親の言葉を思い出した。


『…レーナちゃん、凄く嬉しそうに帰って来た。こんなに綺麗な髪よりも、もっと素敵なことがあったのね?

 …安心したわ…。始めは少し、心配だったのだけど…。


 ドクター・ワイズさん? …ママね、シスターとして、教会に勤めていたことがあったでしょう? …この学者さんに、ロザリオをかけてあげたことがあるの。神様の加護が欲しいって。うんとうんと背が高くて、膝をついて屈んでもらったのよ? ……良い人だと思った。


 ……だから、きっとレーナちゃんも………大丈夫、ね…。』


 彼女が長い栗色の髪をばっさりと切り落としたのは寒い冬の晩。

 家族も使用人も皆一様に騒然とする中、母は、末の娘を自分の膝に招き、無残に切り落とされた髪を撫でて、そう笑っていた。暖炉の赤い光を横手に浴びて、やんわりと微笑むマリアーナの姿は、娘であるソフィレーナから見ても神聖で美しい。


 優しい紫水晶に、淡い栗色のけぶる瞳。


 ソフィレーナが母から貰ったものは、その背の小ささと髪質、そしてこの色彩の瞳だった。同じ瞳なのに、ずっと綺麗だ、と。時折母の瞳に見とれながら彼女は思う。

 母親に魅了された者は数多い。王家の女性群の中でも群を抜いての民衆、貴族間での人気に、大作家メラニウスがこの国に古くから伝わる、戦火にほんろうされた美しき姫君の伝承を、悲劇オペラとして書き起こす際本人了承の元彼女を主人公に描いたことは誰もが知っている話。

 過去に、母親と、この学者は会っている。

 思った途端、重くも軽くもなく声は出た。

「……そういえば、今年はママも来るのに…本当に行かなくて良かったんですか? オペラッタ」


ママに、会いたかったんじゃありませんか………?


 蟠る本心に、ソフィレーナは痛みを感じて、比べた自分を恥じた。一体何と答えて欲しかったのか。

 ケルッツアの返答は。

「へえ? マダム・ダリルも来るのか…じゃあ観客数は凄いことになっているだろうね?」

 感心したようなのんきな声。一瞬唖然とした彼女は、そのまま赤くなった目許を隠すようにそっと髪を乱してオペラの話題へと話を摩り替える。

 声が弾んで、現金だとは思いながらも。

「ええ、行かない人いないんじゃないかってくらい…しかも、今年は『ダリル姫』の喜劇と、悲劇もやるらしいから………。

 ティー、ティアレーヌはママに本当にそっくりだし、妹の私がいうのも変ですけど、演技も上手いから見ごたえあったのに……演出家も結構有名な人じゃなかったかしら」

 と付け加えた頃には、心は母親のことから離れていた。

「…ふぅん? 二十年振りに悲劇側が解禁されるというのは知っていたけど…。

 …ソフィーレンス君こそ良かったのかね? お姉さんが主役だったろう? 演技も上手いなら尚更…」

 彼の心配げな声に、彼女は夜空に向けて微笑む。

「良いんですよ。家族には欠席伝えてありますし。

 ……私はあの話、悲劇も、喜劇も好きじゃあなくて…。

 ああいうのよりは、自宅に篭ってサンプルの御機嫌とりしてた方が楽しいというか…」

 清々しく明るいソフィレーナの声に、しかし返された声はしょぼくれていた。

「じゃあ、こういう観測会も、あまり…」

 この言葉に、助手は目を丸くするしかない。何故そうなるのか、と多少慌てながらも否定を返す。

「? …いいえ? …こんなに暗い所で星見るなんてなかったですもん。

 …流れるのは知ってたんです。

 …でも、王都じゃあ数は限られるし…。正直、こんな綺麗だとは思ってませんでしたから


 凄く有意義ですよ?」


 ケルッツアは。とくり、と。

 知れず、自身の脈拍数値が乱れたことに驚いた。

 手首の脈を測り、やはり普段より早いことを確認しながら、湧き上がる愉悦に気づくことなく緩んだ口許から出た声は。

「…そうなの? オペラッタぐらいは、王主催なんだから…街の灯りを全部消すとか、やらないものなのかね?」

 そこはかとなく嬉しそうな調子に残念そうな声が返る。

「どうしても主要な所は消せませんもの。…こんなに暗くはなりません」

 ここで知恵者の声はどこか浮かれた響きから一転、疑問へと変わった。

「…? じゃあ、あの、劇中での流星群を使った……?」

 その問いに、ソフィレーナは瞑った目を開けると、学校の図書館で読んだ本の記憶を呼び起こす。

 切り取られた連写のパーツ、脳裏で映像が動き出し、取り出されるページ。

「…おお、流れゆく幾千の星よ。美しく煌く輝きの命よ。空に消えうる幸福の只中のものよ。

 我はお前たちの喜びにかけて願おう。

 美しきこのきらめきを。天より遣わされた星よりなお美しき人を。

 この天使をどうかわが腕の檻へと閉じ込めたまえ。

 …ですか? 喜劇側は、これを短くしてありましたけど……」

 過去の頁を一字一句違うことなく平坦に読み上げて、ソフィレーナはわずか頭を動かすと、毛布に埋もれたケルッツアの灰色の髪を見遣った。

 悲劇ではお涙頂戴、終盤死地へと赴く男が、喜劇では笑い所、ダリル姫に思いを寄せるどうしようもない貴族が、情緒たっぷりに歌い上げる有名なオペラッタの棒読みに、ケルッツアは特に思う事無く。

「うん、そんな感じの。…悲劇ではそんなに長いのか…。

 その台詞のために、毎年毎年わざわざこの日を選んでいるのに…ほとんど見えないのは…」

 本末転倒、そこまで言わせる事無く、ソフィレーナは澄まして答えた。

「…メインは『ダリル姫』ですからその方が良いんですよ。どっち側も星より貴女の方が美しいってことですもの。

 …でも、喜劇にも本物使ってたせいで上演がいっつも深夜なのって、ちょっと迷惑ですよね……。 

 今年は悲劇がメインだから、そっちに使うらしいけど……感謝祭じゃないんだし」

 何とも演出家泣かせの非難をそれとなく聴き、わずかな希望を込めて知恵者は。


「……『国立図書館のダリル』」

「しつこいですよ? まださっきの解剖話根にもってるんですか?」


 遊び心の言い回しは、しかし彼女のお気に召さないらしい。非難ではないと否定しつつ、言葉が続けられる。

「あ、否…ソフィーレンス君は僕と同じで、そういうことにあまり興味はないんだ? 」

 やけに弾む声音で問う彼に、ソフィレーナは驚いた。

「………ケルッツア・ド・ディス・ファーンもそうだったんですか? 私はてっきり…」

 外出許可が下りないものと…。のみ込まれた言葉の代わり、彼の声が続く。

「招待状はね、毎年来るから行けないってわけじゃあないのだけれど…どうも、好かなくて…」

 音、歌…駄目でね。どうも…。苦笑に同意を返しながらも、ソフィレーナは酷く寂しい何かを感じた。

「…毎年、ここで?」

 滑りでた言葉には知れず気づかいの響き。発した途端彼女は後悔したが、その声音に引き出された彼の言葉には、遠く茫洋とした深い何かがある。

「…この日じゃなくても…何もないときは、一人で星を見ていることが多いな……。たまに友人と観測会になることもあるけど……ここで……こうして、星を眺めて…色々なことを考える…

 色んな…………。


 そう、研究のこととか、哲学みたいなこと…とか」

「…てつ、がく…?」


 ただ、降り下りる夜露のような静かな響きに聴き入っていた彼女は、突如現れた言葉に緩く高潮してゆく自身を感じて、息をついた。


てつ、がく。


『ソフィー…? ソフィレーナと言うの? …』


 過去に流れた音程。良くも悪くも彼女を縛る声を思い出してさらに鼓動が早まる。忘れるということがない頭は、そのときの彼の様子も、声も、そして自分の受けた衝撃も全て色あせる事無く覚えている。


『…いい名だ。…哲学と…』


 ソフィレーナのぎくりとした声を特に気にすることなく、ケルッツアは爆弾を。


「うん…とりとめもないことを考える…。哲学は、好きだ」

「……っ」


好き……って!


 その言葉だけで、彼女は何も言えなくなる。こういうとき、ソフィレーナは密かに彼を恨み、あるいは、憎んだ。哲学が好きだという彼は、散々馬鹿にされた、自身の名前の由来を、家族以外で初めて褒めてくれた。

 だから。


「…ソフィー、なんて…詭弁、家の、へ理屈屋、じゃ、ないですか…」


 頭のどこかは己のずるさを非難している。けれど、痺れた思考は彼女の理性を支配下に置いて、計算高く、あざとく、言葉が欲しいと喚いていた。哲学、フィロソフィー、ソフィスト、そのどれでもない言葉を使って、錯覚でも構わない、と。そんな己を浅ましく思いながらも、絡まる声はこぼれ。

 ケルッツアは言葉を紡ぐ。約束されたようなもの。彼からは。


「僕はそうは思わないけど…ソフィーは素敵だよ?」


 思った以上の言葉の破壊力に、己で仕掛けたことながら思考が止まった。


す・・・

「す、すて、き・・・?」


 おうむ返しに問う声ですらどもる彼女の気も知らず、知恵者は爆弾をもう一つ。


「すてき。…そうだな、不思議で…


 ちょうど、君みたいに」


ひっ!!!!!!


「こここここコーヒーッッッ!!!!! そうですよ、飲まなきゃ冷めちゃいますね!! ポットの存在忘れてましたッ!!!

 けるっ! ケルッツア!! ド!!! ディス・ファーンも飲みますね?! 飲んでくださいッ!!

 飲め。」


 望み、差し向けたもの以上の言葉に、逃げて彼女は跳ね起きた。傍に置いておいたポットをやおらひっ掴むと急いで振り向き、大声で喚きたてる頬は落ちた落日の様に赤い。

「…ソフィーレンス君? 最後が命令調なんだが」

 情けない顔で上体を半分ひねり起こして、彼は彼女を見ている。

 いまだ赤い頬を隠すように髪を乱すと、助手はポットを抱き締めて顔を上げた。

「……こういうのは、初めの一歩が肝心なんです。…四日間の飲まず食わず。

 あれ、私にも責任あると思いまして…。

 これからは帰る前にポットに何か用意しときますから、ちゃんと飲んでくださいよ? それから食べ物も、何か置いときますから」

 済まして答えた彼女に返る声は、しかし何かを窺うような問い。


「……これからは?」


 受けて助手は表情を弛め、小さく微笑んだ。

「そう。これからは。助手ですもん。不摂生で倒れられたら立場ないじゃないですか…」

 ケルッツアは。

 和やかなその場の雰囲気に似合わず、真摯に問う。


「……ねえ…? ソフィーレンス君………君は」


 彼は知れず両手を夜露の滴る毛布に突いて、ソフィレーナに無自覚迫る格好になった、が。

「はい? …あ! …」

 助手の瞳が己を通り越し空へと向けられたことを知って、反射、ケルッツアが時計を確認すれば一時。目の前のあぜんとした目に映り消える光の流れ。ソフィレーナの声は掠れて、放心している。


「…凄・・・・・・・・・い・・・・」

 やおら立ち上がって、空を眺め見る彼女は、幾千と、流れ落ち行く光の渦に心を奪われていた。

 闇に流れ、ふっと消えてゆく幾万という光の稜線に、ソフィレーナはただただ圧巻されて立ち尽くす。まるで、星の全てが今流れ落ちているようだ、と。

 そんな彼女の耳は、水底からのように彼の声を伝えた。

「…・・・・・・・・・・・・・始まったんだね…」

 歪曲して聞き取った音に、答えるそれもそぞろ。

「ええ! …こんな…………奇麗…な…」

 声の遠さを己で笑う余裕すらなく、ただ星屑に魅了される彼女にまた、ケルッツアの声は響く。

「…レウィナは……とても奇麗だけど…」

 その言葉を皮切りに、空を流れ過ぎていた幾万もの星の光は消え失せていった。比例して、ソフィレーナも現実を取り戻す。興奮も冷め、残るは微かな寂しさ。

「…………とても短い、でしたっけ…。

 そっか……。もう、終わりなんですね?」

 問うと、知恵者も立ち上がり、空を見遣った。

「うん。ほとんど一瞬でピークが過ぎて、後は流れない…

 でも今年は長かったよ、…三十秒持ったもの・・・」

 そして時計を確認し、手に何か書き込んでいる。

 助手は感謝と親愛をこめてケルッツアに声をかけ、見やった所で、彼のまとう雰囲気に首をかしげた。

「でも、とても素敵でしたよ? …ありがとうございました。

 …? ……ケルッツア・ド・ディス・ファーン?」

 知恵者は助手を見る。

「…何かね?」

 姿にも、声の響きにもどことなく元気がない。

「…元気ありませんけど…どうかされました?」

 ソフィレーナが内心首を傾げながら聞いても。

「…いや? …そんなことはないよ? さぁ、戻ろうか…夜風はさすがに堪えただろう?」

 やはり漠とした声で否定される。

 あげく逸らされる視線に、彼女が口を開く前に話題は別のものへと移行していた。


あの、元気、ないですよね?

「はあ、まあ…」


 曖昧な返事を返しながら、ソフィレーナはわずか前の記憶を漁る。


『…ねえ…? ソフィーレンス君………君は』


 流星群に見とれる間際、やけに硬い声で問いかけられた言葉はそういえば途中で途切れた気がする。彼女がそこまで思い至った矢先、声が掛かった。

「ソフィーレンス君。君、青いソファーを使ってくれて構わないから……。

 今日はもう、ゆっくり休みたまえ」

 いつの間にか今まで土足で踏みつけていた二人分の毛布と、彼女のコートを肩に担ぎ上げて、知恵者はすでに場を移動し始めている。


あの、…何か、悪い物でも食べました?


 ソフィレーナは、振り返る彼に近付き、荷物をやや強引に引き取ってから、あっけらと申し出を断った。

「い、いいですって。どうせうちのベッドだって使ってないんだし。

 雑魚寝しますから、あなたこそゆっくり休んでください?」

 今までにない知恵者の心遣いに動揺する自身は無視して、ソフィレーナはのん気さを装い、屋上から展望部屋へ下りる階段に足をかける。


おれい!?

ソファー……!?!?


 事実、彼女はただただ動揺を隠せない。


一体、どうしちゃったんですか…?!?!


 ソファーってそもそも何? などと混乱をきたしながら、ただひたすらに階段を下ってゆく彼女は。

 当然、後ろに続く、ケルッツアの表情に気付ける訳はなく。



 階段を下り終え、展望部屋へと出たソフィレーナは、一目散に進行方向より斜め前に歩を進めた。部屋の一角にあるパソコンと机大きな椅子、その横の大男が優に眠れる程でかいソファーのあるスペースの壁よりに毛布一式を下ろして、あっけらと声をあげる。

「じゃあ、私この辺で雑魚寝しますから、あなたは」

 その言葉に、後ろの知恵者はわずか考え込むような仕草をしだした。

「…ふむ、そのことなんだけど…」

 紡がれた声にやはり張りはない。


あの……。本当に具合大丈夫?


 いよいよ心配そうに近寄ってくる助手をみつめて、彼はにっこり。


「残業手当分働かないと割に合わないだろう?

 と、言う訳で、本を三箱ばかり運んでくれるかね?」

「…は?」


 おどけて普段の様子に戻ったケルッツアに、ソフィレーナはきょとん、とする。

 休めと言ったり急に元の知恵者の調子に戻ったり。彼女は、彼の行動の一貫性を見つけられない。


一体、何がしたいんです? あなた?


 よっぽど熱を測ろうかと、知恵者に伸ばしかけた手は、結局箱三箱の塔に掛けられて。

「ソフィーレンス君、こっち、こっち」


 ランプを片手に知恵者の手招く方へ、そして彼女は展望部屋の先、禁書庫へ、その闇の中へと消えていった。


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