第七話 ハッピーエンドな描き下ろし
当初、私たちは慎ましく暮らす予定だった。
貯めた金はあるものの、無限ではない。
宿はなるべく安い宿を選び、食事も地元の人が通う店で済ませた。
ノエルは旅先の風景を見ながら時々紙に鉛筆を滑らせ、私は町ごとの物価や仕事を確認しながら時間を過ごした。
平民が強力な魔法を使えば、目立つ可能性が高い。
しばらくは肉体労働でも針仕事でも、目立たない仕事をしていた方がいいだろう。
落ち着く先では小さな家を借り、お互いできる仕事をしながら、質素でも静かな暮らしができればそれでいい。
その計画が大きく変わったのは、出国してしばらく経った、ある昼下がりだった。
宿の食堂で地図を見ていたノエルが、ふと指を止める。
「……ここ、ちょっと寄っていい?」
「何があるの?」
「遺跡。もしかしたらだけど。」
遺跡とは、また急な話である。
私は彼の隣から地図を覗き込んだ。
現在地からほど近い山の麓辺りに、彼の指が置かれている。
「旧王家の遺物って、設定あったじゃん。あれ、この辺に一つある予定だったんだよね。財宝とかも一緒に。」
「財宝?」
「結局、原作では使わなかったんだけど。頭の中にあっただけの設定って、どうなってるんだろ。」
ノエル自身も分からないらしい。
そもそも、この世界がどこまで彼の考えたとおりにできているのか、確かめようがない。
目の前に存在している水差しや屋台の料理まで、一つ一つ描いたわけではないだろう。
物語になかったものも、きちんと存在している世界なのである。
「何もない可能性もあるのよね?」
「ある。遺跡ごとないかも。」
「まあ、もう国境も越えたし、少し寄るくらいならいいんじゃない?」
そんな気軽な調子で道を外れた私たちは、翌日、苔むした石の門を前に唖然としていた。
ノエルのこっちかな、という不安そうな声について、一時間ほど山中の道なき道を進んだ先に、なんと遺跡らしきものがあった。
蔓をかき分けながら探ると、門もあった。
そして、そこへノエルが手を触れた途端、長く閉ざされていたらしい石の扉が、重い音を立てて開いた。
中も、あった。
壁の灯りが順にともり、暗がりの奥から金色の光が浮かび上がる。
積まれた箱の中には貨幣が詰まり、棚には宝石をはめ込んだ器や、用途の分からない魔道具が並んでいた。
埃は積もっていたが、明らかに金銀財宝という言葉に相応しい輝きだった。
光の一つ一つが、どう見ても私たちの全財産より高そうだ。
私はしばらく黙ってから、隣の男を見る。ノエルも、ぽかんとしていた。
「……あるんだ。」
「これ、一つだけでも相当の金額になるんじゃない?」
「むしろ、世に出せないものもあるかも。」
彼は近くの箱を覗き込み、貨幣を一枚持ち上げた。裏返し、光へかざし、それから妙に感心したように頷く。
「これ、想像してたとおりの紋章だ。旧王家の。」
「なんかもう、アカシックレコードだったりしてね。前世のあなた。」
「……また要素追加しようとしてない?」
「いやー、これはちょっと想定外だわ。昨日、我慢せずデザート頼めばよかった。」
最も安い宿を探し、一日に食費へ割ける金額まで細かに計算していた昨日までの自分を思い出し、私はそっと額へ手を当てた。
ノエルは気まずそうに貨幣を戻し、別の棚へ目を向ける。
「……ほかにも、何か所か考えてた気がする。」
「思い出して。今。」
その後の旅は、少しばかり趣向が変わった。
ノエルの記憶を頼りに寄り道をすると、朽ちた建物の地下に宝物庫があったり、誰も開けられない石箱が彼の手であっさり開いたりした。
旧王家の血筋とは、なるほど便利な鍵だったらしい。
王家が生かしておきたがった理由も、これでようやく実感できた。
もっとも、毎回当たるわけではない。
山道を歩いた末に、苔しか生えていない広場へ着いた日もあった。
そのときノエルは、「ここにも置く設定、考えた気がしたんだけどな」とぽつりと零した。
設定の不採用について山の中で長々と聞くのも面倒だったので、私は、深く追及せず、帰りに寄る町で美味しいものを食べようと提案した。
ともあれ、こうして私たちは旅の途中で、慎ましく暮らす必要のない程度には裕福になった。
◇
海を渡り、幾つもの港を経由して、最終的に落ち着いたのは、元の国から随分離れた、海に近い温暖な商業都市国家だった。
ノエルの言ったとおり、大きな町には絵を扱う店も多く、通りには職人や商人の活気があった。
そして、そこには商業国らしく、十分な金を納めれば、新しい身分と爵位を得られる制度まであった。
細かな手続きは専門の者へ任せ、必要な書類へ署名し、気がつけば、ノエルは伯爵になっていた。
「王位はいらないって言ってたのに、結局、貴族にはなるのね。」
「あると便利だって言ったの、ロゼリアだろ。」
「いやー、地位ほど便利なものはないわよ。お金の次に。」
「……涅槃を目指せと言った者とは思えない俗物的発言だな。」
屋敷は町から少し離れたところに買った。
日当たりのよい部屋があり、庭が広く、台所が使いやすい。
ノエルは光の入り方を確かめ、私は身体を動かせる場所を確認し、どちらも満足したので、その家に決めた。
使用人も雇ったが、最初のうちは妙に落ち着かなかった。
自分で運ぼうとした皿を受け取られ、掃除用の布を探せば、何か粗相があったかと心配される。
仕方がないので家の管理は任せ、朝の鍛錬と、二人で食事をする習慣だけをそのまま残した。
ノエルは新天地でも絵を描き続け、やがて町の店へ預けた作品が売れるようになった。
新しく来た伯爵はなかなかの絵を描くらしいと噂になり、肖像画や風景画を頼まれることもでてきた。
忙しくなっても、絵に夢中になると食事を忘れるところは変わらないので、結局、私が呼びに行くことになる。
私の方は、庭で稽古をしているところを見た使用人に、護身のために教えてほしいと頼まれた。
それをきっかけに、近所の者や、その知り合いまで来るようになり、いつの間にか数人の弟子を抱えていた。
このままいくといつか空手道場を開くことになるかもしれない。
ある日、庭から戻ると、ノエルが窓辺でこちらを見て笑っていた。
「何?」
「いや、楽しそうだなと思って。」
「楽しいわよ。久しぶりに組手やる?」
「今日は絵、仕上げたいから。」
「はいはい。」
この家での暮らしにも、少しずつ手順ができていく。
変わったことは多かったが、食卓の向かいに座る相手だけは同じだった。
ただ、周囲から見た私たちの関係は、少々分かりにくかったらしい。
新しく来た伯爵と、その屋敷で暮らす女性。
血縁ではないし、夫婦でもない。
婚約者なのかと尋ねられたことは何度かあったが、そういう話をした覚えがないので、返事に困った。
ノエルへも聞こうと思ったことがある。
しかし、聞いた途端に今の暮らしへ何か名前がついてしまう気がして、私はそのたびに、別の話をしてしまった。
彼の方も、時折、何か言いたそうにしては黙る。
そうして二人とも、肝心のことだけを話さないまま、出会いから丸三年となる春を迎えた。
◇
その日、食卓へ運ばれてきた料理を見て、私はふと日付を思い出した。
豆と肉を煮たものに、柔らかいパン。別荘へ移った日に食べた料理と少し似ていたせいかもしれない。
窓の外では庭木に若葉がつき、昼の間に開けていた窓から、まだ少し冷たい風が入ってくる。
向かいに座るノエルを眺めながら指を折り、私は小さく頷いた。
「そういえば、三年経ったわね。」
「……うん。」
彼は何かを確かめるようにこちらを見た。私が思い出すより先に、覚えていたらしい。
「どう? ロゼリアに対する煩悩、消えた?」
軽く尋ねたつもりだった。
今さら浮遊しながら坐禅をすることもないし、他人を自分のものにすると豪語することもない。
多少面倒くさがるところは残っているが、それは私にもある。むしろ最近では、早起きについては彼の方が真面目なくらいだ。
しかし、ノエルは妙に真剣な顔になり、手にしていた器を置いた。
「殆ど消えたけど、一つだけ……。」
「え、まだあるの? 今から滝行する?」
「しない。座ってて。」
腰を浮かせかけた私を、彼が慌てて止める。
この辺りに手頃な滝はあっただろうかと考え始めていたのだが、どうやらそういう話ではないらしい。
ノエルは一度息を吐き、上着の内側へ手を入れた。
取り出した小さな箱を、食卓の上へ置く。
私がそれを見ている間に、彼は蓋を開いた。
中には、緑の石をはめ込んだ指輪があった。
遺跡で見つけた宝飾品に比べれば、ずっと控えめなものだった。細い輪に小さな葉の模様が刻まれ、灯りを受けた石が、深いところで柔らかく光っている。
「これは、遺跡のやつ売ったお金じゃなくて。」
そこで言葉を切り、彼は僅かに伏せていた目を上げた。
「絵が売れた金で買ったんだ。あの、港を描いたやつ。」
どの絵か、すぐに分かった。
夕方の光が水面へ映り、港へ帰ってくる船を描いた絵だった。何度も現地へ足を運び、窓辺で長く手を動かしていたのを覚えている。
以前なら、こちらが怯もうと気にも留めず言葉を重ねていた男の赤い瞳が、今はひどく落ち着かない。
ノエルは箱を少しこちらへ寄せてから、私の顔を見た。
「だから、その……結婚、してほしいんだけど。」
私は思わず息を止めた。驚いたのもある。
しかし、それ以上に、自分がその言葉を待っていたことに気づいてしまったのだ。
彼と暮らす理由なら、これまで幾つも用意してきた。
監禁されないため、修行を続けるため、出国するため、新しい土地で助け合うため。
でも、本当はずっと、それ以外の理由を欲しがっていた。もう随分と前から。
だから、いきなり目の前に出されると、言葉が詰まった。
黙っている私を見て、ノエルの表情が強張る。
「あ、あの、今すぐじゃなくてもいいし。嫌なら、言ってくれていいから。その、このまま一緒にいられれば俺はもう、それで――」
慌てて言葉を足し始めた彼を見て、私はようやく息をついた。
三年前には、私の返事など必要とも思っていなかった男が、今はたった一言を待つだけで、こんな顔をする。
潤み始めた視界に、私は僅かに目を伏せながら、小さく笑った。
「監禁とかしない?」
「するわけないだろ!」
即座に返ってきた声が思ったより大きく、ノエル自身が驚いたように口を閉じた。
「将来の可愛いペットにするって言ってなかった?」
「……もう、まじで黒歴史だから。本当に、忘れてくれない?」
彼は片手で顔を覆った。耳まで赤くなっている。
「俺、何であんなこと言ったんだろ……。」
「知らないわよ。原作者に聞いて。」
「だから、もうやめてって。」
とうとう笑ってしまった。
約束どおり、見事に自分の発言を思い出して悶えている。今なら布団を持ってきてやれば、本当に中で転げ回るかもしれない。
もう、これで十分、あのときの借りは返せただろう。
私は笑いを収め、食卓の上に置かれた彼の手へ、自分の手を重ねた。
「いいよ。」
「……へ?」
「こちらこそ、末永く、よろしくお願いします。」
ノエルは顔から手を離し、しばらく私を見つめていた。
それから、確かめるようにもう一度聞く。
「本当に? 本当にいいの? 俺、あんなこと言ってたのに。」
「私こそ、キャラ崩壊してるでしょ?」
「いや、お前はお前だろ?」
「それ、あのときのあなたに言ってやりたいわね。」
私の言葉に、彼は少し顔を強張らせた。
ごめん、と短く漏らしてから、重ねた手へ目を落とし、もう一度こちらを見る。
「……今は、少しは稼げるようになったし、まともになったと思う。だから、お前に一緒に居て欲しい。」
ノエルは箱から指輪を取り出し、私の左手へそっと触れた。
あれほど細かな絵を描く指が、妙にぎこちない。
ようやく指輪が収まると、彼は長く息を吐き、肩の力を抜いた。
私は手元の石を眺め、それから椅子を離れ、彼の横へ立つ。
座ったまま、不思議そうにこちらを見上げた彼へ、身を屈めてそっと口付けた。
ほんの短いものだったのに、離れたとき、ノエルは完全に固まっていた。
赤い瞳がこちらを見て、口が僅かに開き、そのまま何も言わない。
「……なに、その顔。」
「いや、急だったから。」
「嫌だった?」
「嫌なわけ、ないだろ。」
返事は早かった。しかし、そこで私を見るのをやめてしまう。
耳から首の辺りまで赤くなっているのを見ていると、妙に可愛くて、もっと困らせたくなった。
これは、よろしくない傾向である。
「いやー、今や私の方が煩悩に塗れてるかも。」
呟くと、ノエルがこちらを向いた。
その顔にまた少し期待が浮かび、それを隠そうとしているのまで分かってしまい、私は笑いを堪えられなくなる。
「何だよ。」
「別に。可愛いなと思って。」
「それ、男に言うことじゃないだろ。」
「私の口は私が動かしてるの。」
そう返すと、彼は何か言いかけ、結局、困ったように笑った。
それから立ち上がると、そっと私の頬を両手で包む。
もう一度顔が近づき、先ほどよりも長く唇が重なった。
「随分ハッピーエンドな描き下ろしだな。」
『R18凌辱漫画の悪役令嬢に転生したら、ヒーローの中身が原作者でした。「原作どおりがいい」と言うので、三年かけて煩悩を叩き出します』 完。




