徒手空拳
法田法律事務所の一室は、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。葵は苛立ちを隠せない様子で、ポケットに手を突っ込んでいた。宝貝が封じられてから、彼の特技であったけん玉は、特技である天魔夜光剣を操るための集中力補助具ではなくなり、今はただの手持ち無沙汰を紛らわせる衝動の残滓だった。
「チッ……こんなところで死んでたまるか、って気分だぜ。宝貝がなきゃ、俺たちは何の力も発揮できねぇだろ」
横でデータパッドを操作していた徳彦は、顔を上げずに言った。
「問題はない、葵。その不満は、君の『龍理の土台』を強靭にする。龍理は肉体と知性の延長だ。衝動的な勢いを制御するための訓練こそが、我々に課せられている」
その時、ドアが開き、真紀子が姿を現した。細マッチョな彼女の立ち姿は、静かな威圧感を放っている。
「新たな任務だ」
真紀子が示したデータパッドには、ふたりのテロリストの顔写真が並んでいた。小野塚晴人と望月朔夜。夜野焔のテロ計画に便乗しようとした、元芸人だという。
「夜野の事件から、模倣犯や便乗テロリストが活性化している。このふたりは、龍理テロリスト予備軍だ。確保しろ」
「宝貝は?」葵が問う。
「無論、なしだ。君たちの肉体と知性を土台にしろ。彼らは小野塚が宝貝の天地槍、望月は拳銃を所持している」
現場は、都心から離れた廃墟ビル。ふたりはドローンからの映像と熱源データを、データパッドの補助システムによって瞬時に処理し、情報を共有した。
「ターゲットは7階、西側の部屋に籠城中だ」
徳彦は階段を上がりながら、冷静に分析する。
「小野塚の体型から、爆発的な初速は期待できないが、望月が持つ拳銃は速射性が高い。葵、過剰な勢いを制御しろ。我々が優先すべきは、小野塚の天地槍の無効化と、望月の射線の封鎖だ」
葵はポケットから手を出し、指を開いては握る。彼の特技は、今や衝動的な勢いを制御するための集中力補助具だ。『こんなところで死んでたまるか!』という本能的な衝動が、身体の芯を駆け巡る。
「だが、問題はない。彼らの手札は限られている。まずは、小野塚の天地槍を無効化する」
7階。ふたりがドアを蹴破ると、望月が即座に拳銃を構えた。
「トレビアン。随分と、お早いお着きどすな」
次の瞬間、徳彦は床を滑るように突っ込み、肥満した望月の足元にタックルを仕掛けた。拳法の体捌きが生み出した低重心の動きは、望月の射線と体勢を崩すことを優先した。
「舐めるな、われ!」
小野塚は、破られたドアのすぐそば、狭い室内のため槍の間合いを活かせず、慌てて天地槍を突き出した。その強烈な一撃に対し、葵は、一歩踏み込んで危険な間合いに侵入し、突き出された天地槍の柄を、鍛え抜かれた体幹が生む瞬発力で、素手の前腕で叩きつけ、軌道をわずかに逸らした。これは、「こんなところで死んでたまるか」という衝動を制御し、嫌いな訓練に耐えて磨かれた、反射速度と体捌きの賜物だった。命中により天地槍の軌道がわずかにズレ、狙いは逸れた。
「問題はない。その体勢では、重心が一点に集中しすぎている」
徳彦はタックルで体勢を崩し、銃口を床に向けさせたまま、望月の手首を掴み、拳法の関節技で制した。望月は激痛に顔を歪め、拳銃は鈍い音を立てて床に滑った。
一方、天地槍の勢いを殺した隙を逃さず、葵は小野塚の足元に入り込み、訓練で磨かれた体幹を活かし、重い体躯をひっくり返すように突き上げた。小野塚は倒れながらも、天地槍を手放すまいと固く柄を握りしめた。葵は、もつれる身体を制御し、素早く背中に回って天地槍ごと小野塚の腕を極め、完璧な制圧に持ち込んだ。
「論理的な帰結だ。君たちの動線は、既に解析済みだ」
宝貝を持つテロリストを、素手で屈伏させたのだ。葵の息は荒かったが、その瞳には、初めて『補助』の訓練を終えた達成感が宿っていた。
事務所に戻ったふたりを待っていたのは、真紀子所長だった。
「良好だ。龍理とは、肉体と知性の延長だ。宝貝に依存せず、その土台を強靭にするという任務。君たちはそれを達成した」
彼女は徳彦のブレスレットと、葵の宝貝である天魔夜光剣が封じられたブレスレットを静かに差し出した。
「筋肉は裏切らない。土台は強靭になった。許可する。過剰な力を、再び組織の道具として使え」
葵は、ポケットから手を出し、宝貝を掴んだ。徳彦の瞳は、静かな冷たい炎を再び燃やし始めた。ふたりは、一皮剥けたバウンティハンターとして、再び夜の街へと送り出されることになる。




