№16 『処女作』
さて、なにから始めようというのだろうか。
小生が見守っていると、いちじくちゃんは資材に向かうでもなく、死体に触れるでもなく、急にその場に膝をついた。
そして、両手を組んでこうべを垂れる。
……なんだっていうんだ。
こんなの、『祈り』以外のなにものでもないじゃないか。
これからすることは、『呪い』に他ならないというのに。
呆気に取られている間も、いちじくちゃんは祈りを捧げ続けている。
こんな呪われた世界にあって、一体どんな神様が祈りを捧げるに値するっていうのだろう?
今まさに世界に呪われているのは、他でもないいちじくちゃん本人だというのに、なぜ。
なにに祈っているのか、なにを祈っているのか。
黙祷なのか、懺悔なのか、祈願なのか。
それすらも、小生にはまったく理解できない。
しばらくしてから、いちじくちゃんの小さなくちびるから、ため息のような言葉がこぼれ出した。
「……As I do will, so mote it be.」
「……なんだい、その呪文は。学校で流行っているおまじないかい?」
我ながらしょうもない見解だと思った。
しかしいちじくちゃんは律儀に首を横に振って否定して、
「違う。うちはキリスト教だから、日曜日に教会に行ってた。そのとき、牧師さんが言ってた。『そうあれかし』って意味なんだって」
なるほど、たしか奥さんが元々クリスチャンだと海斗先輩から聞いていた。春原一家はキリスト教に帰依していたらしい。日曜礼拝に行くくらいには、日常的に。
幼いいちじくちゃんがそれにインスピレーションを受けていてもおかしくはない。むしろ、当然だ。
宗教とは、子供のころからの刷り込みだから。
なので、小生がなんの信仰心も持っていない、下手をすると教授を『呪い殺した』神様を恨んでいることは、なんら疑問の余地がない。
これもまた、当然のことだ。
そんな部分でも、小生といちじくちゃんの間には深い隔たりがあって、理解ができない。
……けど、受け入れることはできる。
小生はうなずいて、
「『祈り』が深い分だけ、『呪い』もちからを持つさ。存分に『呪い』たまえ」
「……うん」
頭を上げて立ち上がったいちじくちゃんは、今までに見たことがないらんらんとした光をその目に宿していた。まるで、追い詰められたケダモノみたいだ。
「地面をならして」
早速のご指示だ。
小生は資材の山から木材でできたトンボを取り出すと、ちからづくでその辺の砂地を平らにした。コンダラとかじゃなくてよかった。
いちじくちゃんは、ある程度平坦になった地面に、よく小学校にあるような車輪の着いた赤い白線引きで、なにやら大きな文字を書き始めた。
ぐねぐね蛇行して歩いては白いチョークの線を引き、少し離れてまた線を引く。
……結果として、それは大きな『SOS』の三文字になった。
「次。真ん中のところにお布団敷いて」
探してみたら、たしかに資材の中には敷布団なんてものがあった。言われるがままに、小生はOの部分に布団を敷く。
「そこに死体を寝かせて」
ベンチにもたれさせていた海斗先輩の死体を、その敷布団の上に横たえる。半開きの眼差しは、とても眠っているようには見えない。起きているようにも、もちろん見えない。
いちじくちゃんは死体の手を腹あたりで組ませると、真っ直ぐに寝ている姿勢にした。
そして、マジックペンを持ってくると、閉じかけていたそのまぶたを下ろし、その上に黒いインクを乗せる。
まぶたの上に開いている目を描かれた死体は、たちまち居眠りをごまかしているような状態になった。
さらに、いちじくちゃんはその辺の花壇へと向かう。かろうじて冬に自生している水仙の花をなんの躊躇もなく引っこ抜いてしまうと、根に土がついたままのそれを、ぱっくりと開いている致命傷へとねじ込んだ。
「おじさん、レシートある?」
「あるよ、たくさん」
「やっぱり。だらしないひとはお財布の中にたくさんレシート持ってるって、ママが言ってた」
……一言多いな。だらしないのは否定しないけど。
小生はまたばりばりと財布のマジックテープを開くと、そこにぱんぱんに収まっていたレシートたちをいちじくちゃんに手渡す。
レシートを受け取ったいちじくちゃんは、それさえも死体の致命傷へとぶち込んでしまった。
そして、自分のスカートのポケットにも残っていた、例のガソリンスタンドのレシートもまた、同じように傷口に差し込む。
「……お布団、かけて」
小生はいちじくちゃんの指示に従うことしかできない。言われた通りに死体に掛け布団をかぶせると、いちじくちゃんはそれをちょうど傷口が見える位置に修正した。
そして、最後に残った資材である発煙筒を数本持ってくると、封を切ってマッチを擦るように火をつける。
眼球に焼き付くような強烈な光を放ちながら、発煙筒はもくもくとのろしを上げた。
一本では済まない。二本、三本と発煙筒に火をつけていき、結局六本の発煙筒が布団を囲むように煙を撒き散らすことになった。辺りは光と煙でいっぱいになって、夜明け前の静寂が台無しになってしまった。
けれどそんな中で、いちじくちゃんはいきなりその場に倒れ込んでしまう。
「いちじくちゃん!?」
あわてて助け起こすと、青白い顔をしたいちじくちゃんは息を乱しながら、
「…………つかれた」
「…………は?」
「……これ、すごく疲れる……」
そこまで精神を削っての『創作活動』だったらしい。肉体がそれに追いついてこなくて、とうとうぶっ倒れてしまったとのことだ。
……心配した。
ついほっとしてしまった小生に、いちじくちゃんは老婆のようにかすれた声でささやきかける。
「……できたよ。これが、私の『作品』」
……ああ、できてしまったか。
『作品』だと言いきれてしまうものが。
『祈り』と『呪い』は成就して、いちじくちゃんの中で父親の『死』が、今やっと確定した。
父親が死んだという現実と、真っ向から向き合うことができたのだ。
……やっぱり、理解不能だ。
この『作品』にも、どういう意味や意図があるのか、小生には計り知れない。
しかし、ひとつはっきりと言えることは、これは明確な芸術作品だということだ。
理解できなくとも、感覚でわかる。
ひとがたましいを震わせたとき、そこにあるものが『芸術』以外のなんだというんだろう。
……そうだ。
小生は、たしかに胸を打たれた。
いや、打たれたなんてなまやさしいものじゃない。
こころを物理的にこぶしでぶん殴られたようなここちになった。蹴りを入れて、鈍器で滅多打ちにされたような。
感情を鷲掴みにして爪を立て、そこから果汁のように流れ出たものが、またも感情に彩りを加える。ぐ、ぐ、とちからを込めて握りしめられるたびに、どくん、どくん、とこころか脈打つ。このまま握り潰されてしまいそうだ。
……暴力だ。
これはある意味、芸術という体裁を取ったリンチだった。よってたかって暴行されて、小生のこころはすっかり傷だらけになってしまった。
しかし、別に『傷ついた』わけではない。
刺されたのではなく、殴られたのだから、傷は一切ない。あるのは、ただ重々しいだけの鈍痛だ。
傷のない痛み。
こんな衝撃の受け方は初めて体験する。
外側からではなく、内側からの打撃によって、小生は茫然自失状態になってしまった。
屋根のない空の下に敷かれた布団で眠っている先輩。起きているフリをしているけど、たしかに寝ている。
その致命傷となったのは、もしかしたら包丁ではないのかもしれない。たくさんのレシートと花。それが、喉を貫いた凶器のように見えた。
そして、その周囲には『僕を見つけて』とばかりにバカでかいSOSの文字と、救難信号の発煙筒。もう消えかかっているけど、大量の煙があかつきの空へと吸い込まれていく。
折しも、夜明けだ。
真新しい日差しに照らされて、海斗先輩はようやく実の娘におのれの『死』を届けることができたのだった。




