井上星(1)
とある時期。
デン♪
ディン♪
ドン♪
一人の男性の部屋に、楽器の音が響き渡る。
ディン♪デン♪デン♪
ディン♪ディン♪デン♪
それは少し拙く、それでもかなり頑張って練習して、上手になっている音色だった。
そして、その音に釣られて、ガチャリと部屋の扉が開いた。小学生くらいの男の子がこっそりと扉から隙間くらいの間を開いて、くりくりとした瞳で部屋に覗き込む。
恐らく本人がバレないようにするつもりだろうが、部屋にいる男子は弾き止んで、苦笑いで扉の方向に視線を投げた。ガチャリという扉の音は楽器の音で防がなかった。
「星?」自分の名前が呼ばれた途端、星と呼ばれていた男の子はビクっと肩が震えた。ちょっと驚いた様子だ。
「兄ちゃん……」バレただとわかった井上星は、少し照れくさい、また申し訳なさとも含む表情で、ゆっくりと部屋に入った。
「どうした?」
「いや、ただまた三線をやっているなー……って、見にきただけ。」
「そうか……で?聞いてどう思う?」
「……きれいだと思う。」
微笑み。
それは優しくて、暖かいも感じられる一つの微笑みだった。
ただ……やはりどこかに寂しさも感じてしまうくらいの微笑みだった。
その微笑みを見て、井上星は気持ちが抑えられずに言った。
「兄ちゃんは本当に……三線をやめちゃうの?」
「……ああ。だって、元々同好会に近い性質の部活だし、これ以上時間かけても、たぶん実績とか出ないだろうし……」それに、もう高校三年生だし……この後の言葉は声が小さくても、やはり井上星の耳に届いた。
「でも、兄ちゃんずっと練習してきたよ!きれいに……上手になって!だから実績がなくても――」
「ありがとう!星。しかし、これは私が決めたことだ。だから……これでいい。」
「……」二人の間に、長いようで短い沈黙が流れている。
1、2、3……この沈黙の状態は3秒も続かなかった。それでも二人にとって長く感じられる。
「そうだ!星。」
率先してこの沈黙の状態を破ったのは、井上星の兄――井上凜である。
「ちょっと一曲、歌ってくれる?」井上凜は大事そうに三線を太ももの根につき、引くように「爪」を構える。
この様子を見て、井上星は一瞬ためらいながらも、すぐ頷き、「……うん。」と答えた。
ディン♪ディン♪デン♪
そして、民謡の曲に、可愛く歌っている小学生の男の子の声がすぐ部屋中に響き渡る。
それは優しくて、きれいな曲だった。また寂しさも、悲しみも感じてしまう曲だった。
****
昔からそうだ。
兄ちゃんはなんでも一人で抱え込む癖がある。
僕は伝えたいことが山ほどあるけど、語彙力のせいで、何も言えなくなる。
本当の気持ちが伝えたいとき、何もわからなくなる。
寂しい。
悲しい。
なにより、それを感じているのに、何も言ってあげられない自分が悔しい。
だって、自分はどんなに無力な存在だと知らされる。
本当……嫌な感じ。
だから、僕は嫌な気持ちを拭うために、よく歌う。
歌って、歌った。
そしてある日、家族の前にうたってしまった。
「あら!星!歌が上手だね!」それは姉ちゃんの前に歌ってしまった日。
「えっ、ちょっ!なんでねえちゃんがへやにいるんだよ!」僕はちょうど、小学生になった頃。
「何よ!ぶーぶ!ちょっと漫画をよみたいから、つい兄さんのベッドに寝込んじゃっただけだし。聞いてて悪い?」
「わるいにきまってるだろう!」勝手に人の部屋に入りこんで、あまり良いことじゃないと思うが、姉ちゃんはそんなの構わず、ただただからかってくるだけ。
「いやーそんなに照れなくてもいいじゃん。姉さんはね、気にしないからー!」
「ぼくはきにする!」
「あれーまさかわたし、嫌われている?」
「き、きらってるとかじゃない!ただ……きかれたくなぁいの!」
「まあまあ。星くん。大きくなったねー♡」
「う、うざい!」
「ちょっと、その言葉遣い!どこから学んだの――あ、わたしからか!えへ!」
ほんとう……うざい。その自作自演のネタもちょっとあきれるし……
でも――
「でも星。本気に言うけど、歌いたいなら、歌って。」
「……なんだよ。どういういみ?」
「だって、君が楽しく歌ってるのを見て、わたしも嬉しくなるから!」
「……!」
「素敵だよ。星。恥ずかしくてもいい。好きなように歌って。」
――兄ちゃんもそうだし、姉ちゃんは昔から何も変わらない。
でも……だからこそ、僕はずっと……歌いたい。
歌いたかった……