116、誓い
ある時、少年は小瓶を差し出した。
「やるよ」
中に入った飴玉がステンドグラス越しに入ってきた光に煌めくのを見て、メリアが手を出す。
「……いただきますわ」
「おう」
彼女の掌の上に一粒の飴玉が転がされ、メリアはそれを摘まむとしげしげと眺める。そして、恐る恐る口の中に入れると彼女は顔を綻ばせた。
「……甘いですね」
「そうだろ」
「ええ。とても、甘い」
目を閉じ、メリアは味わうようにゆっくりと呟く。
ある時、少年は言った。
「僕の魔法ってさ、他人の魔法を打ち消す力なんだよね」
「そうなのですか?」
驚いたような顔をするメリアに頷き、彼は「だから」と続けた。
「もしメリアが暴走しても、僕が止めるよ」
その言葉に彼女はハッと目を見開き、くしゃりと目元を歪める。
「約束、ですわよ?」
「ああ。約束だ」
約束を、交わした。
メリアの膝の上に置かれていた手を取り、少年が指を絡める。彼女はそれを、解こうとはしなかった。
その少年はあまりにも幸福だった。
少年は笑っていた。少年の隣に腰を下ろしていた少女も笑っていた。
身を寄せ合い、無邪気に笑うその時間はとても幸せで。
ある時、少年は言った。
「僕は、メリアを愛している。メリアは、僕を愛してくれたか?」
メリアは頷く。
「はい。わたくしは、貴方を愛しています」
それを聞き、彼はポケットから何かを取り出して、彼女に手を差し出した。
「僕は、メリアのことが好きです。どうかこれを、受け取ってもらえませんか?」
少年の手の上には、彼の耳に付けられているものと同じ耳飾りが乗っていた。珍しく頬を紅潮させながら頭を下げる彼の言葉に、メリアが息を呑む。
やがて、彼女は差し出された手を取り、顔を上げた少年に向けて微笑んだ。
「これを、わたくしの耳に付けてくださいませんか?」
そう言って髪をかき上げて耳を露わにさせるメリアに近付き、彼は震える手付きで耳飾りを付ける。
そしてメリアは、一筋の涙を流しながら美しい笑みを浮かべた。
「わたくしも、セインのことが好きです。愛しています」
歓喜に打ち震えるその声に、少年が彼女に抱き着く。抱擁を交わす二人の耳元から、チリンと鈴の音が鳴り響いた。
ある時、少女は言った。
「セイン、もし貴方がよければ誓いを交わしませんか?」
「誓い?」
躊躇いながら提案したメリアに、少年が聞き返す。
「誓いを交わした者は、互いの指に赤い糸が絡みつきます。その糸は、二人が別れても消えることなく、また巡り合わせるという力があるのです」
「へぇ、つまり結婚の言葉みたいなものか」
「人間にも、似たようなものがあるのですか?」
彼女の説明に納得する少年に、逆にメリアが訊ね返した。
「いや、こっちのは口約束みたいなもんだな。結婚する時に新郎と新婦が誓いの言葉を言い合って、生涯を共にすることを誓うんだ」
そう説明し、彼は悪戯っぽい笑いを零した。
「つまり、メリアは俺と結婚したいってことか」
「そ、そういう意味では……」
顔を赤くして口籠るメリアを笑い、少年は改まった様子で跪いてみせる。
「メリアさん。どうか、僕と結婚してください」
手を差し出す彼の冗談を彼女が注意しようとした瞬間、メリアは少年の瞳が真剣なことに気付いた。
彼は、本気でメリアにプロポーズをしていたのだ。
その瞳に射竦められ、目を見開いたメリアが恐る恐る彼の手を取る。
「……はい」
「指輪は、僕が大人になるまで待ってくれ」
「わたくしは、もう貴方から大切なものを頂いていますわ」
もう一の手も握り合いながら、彼女が首を傾けてチリンと鈴を鳴らす。その音に微笑みながら少年は「絶対、贈るから」と約束をした。
ある時、二人は誓いを交わした。
少年が家から持ってきた針でメリアは自分の人差し指を刺し、膨らんだ血の玉を床の上に翳す。そして、彼女は口を開いた。
「我、汝を愛する者。
いかなるときも、永遠なる愛を汝に捧げることを誓う」
誓いの言葉が紡がれ、床の上に血が滴り落ちる。
少年はメリアから針を受け取ると、自分の指にも突き立てて、彼女の血の上に手を翳した。
「我、汝を愛する者。
いかなるときも、久遠に等しい時間の中で汝のみを愛すると誓う」
メリアに教えてもらった誓いの言葉を言い、彼の血が床に滴り落ちた瞬間、混ざり合った二人の血が輝く。
光の中から一本の赤い糸が生まれ、端と端が少年とメリアの左手の小指に絡みついた。
刹那、何かが爆ぜる音と同時に糸の中心から黄金の火花が飛び散り、少年とメリアの指に迫る。
そして、小指で盛大に火花を散らすと、一際大きな火花と共に糸が掻き消えた。
「セイン」
メリアが少年の名を呼ぶと、消えた筈の糸が浮かび上がる。
「……大丈夫。『糸』は繋がった。これでわたくしは、貴方を……―――――」
彼女がそう呟き、愛おしそうに糸を見つめる。少年も糸が絡みついた小指を見ながら、不思議そうに訊ねた。
「なんで、薬指にしなかったんだ?」
「薬指は、指輪をはめられるように空けておいたのです」
少し照れたように言う彼女に「そうか」と頷き、彼は笑った。
それを見ながら、俺は声を上げたくなった。
だって、セインは……。
幸せそうに笑い合う二人を見ながら、俺はただただ拳を握った。