109、回想列車
ハッと我に返ると、俺は列車のボックス席に座っていた。
青いベルベットの張られた座席はふかふかと心地よく、景色が流れ去っていく窓は開かれており、冷たい風が入ってくる。やけに古びた造りの列車だなと思った瞬間、けたたましい汽笛の音が鳴り響き、俺はビクッと肩を竦めた。
車内にはひと気がなく、俺だけが乗っている。いや、違う。
きょろきょろとせわしなく首を動かしていた俺は、目の前に誰かが座っており、窓から外に顔を出していることに気が付いた。
その時、その少年が窓から顔を引っ込め、俺の方を振り返る。
綺麗な純白の髪は肩につかない程度でカットされ、耳にかけている。薄いグレーの瞳は印象的で、その顔立ちはどこか見覚えがあるような気がした。
服装はどこかリックと似通っているような気がするが、上から羽織られた真っ白な上着に目を引かれる。
座席に座り直したその身体は線の細さが目立ち、まだ成長途中という感じがする。不意に、彼の耳に付けられた耳飾りの白い鈴がチリンと鳴り、その音にますます既視感が募っていった。
「起きた?」
俺はにこやかに話しかけられ、軽く面食らう。その声はまだ甲高く、声変わり前だということが分かった。
「えっと、君は……? ここは、何だ?」
状況が把握出来ず、俺は戸惑う。何とか思い出そうとしても、記憶が霞みがかったように思い出せない。
すると少年は大きく両手を広げて、笑みを見せた。
「ここは『回想列車』。乗客は僕とイツキだけの特別車両だ!」
「え、俺の名前、何で知ってるんだ?」
「なんでだろうな?」
腕を戻し、はぐらかすように少年は首を傾げる。俺は答えが返ってくることを諦めて、窓の外に目を向けた。
暗闇の中を何かがきらきらと反射しながら舞い落ちており、目を凝らすとそれが桜の花びらだということが分かる。数え切れない程の花びらが通り過ぎていき、その内の一枚がはらりと窓から車内に入り込んできた。
「次は、桜の記憶駅だから、たくさん花びらが舞っているんだ」
「桜の記憶駅?」
聞き慣れない言葉に少年の方を振り返ると、彼は窓から手を出し、花びらを掴もうと躍起になっていた。その時、身体の下から伝わってくる振動から列車が減速していることに気付く。
「イツキ、準備して。ここで降りてみよう」
「お、おう」
少年に促され、俺は立ち上がり揺れる車内を歩いてドアの前まで進む。歩いている内に列車が完全に止まり、ドアが自動で開いた。
先に少年が降り、振り返って俺を呼ぶ。
「ほら、イツキ。早くしろよ」
その声に列車から足を踏み出した瞬間、視界がぐにゃりと湾曲し暗くなった。
ハッと目を開けたとき、俺は耳鳴りがするほどの静寂の中で、自分の視界に映る全ての光景が酷く色褪せ、薄っぺらく見えるような、そんな錯覚に囚われた。
しかし、それも束の間のこと。一瞬止まっていたように感じた心臓もその遅れを取り戻すかのように活発に動き始め、口から息を吸い込むと無意識に呼吸が停止していたのか肺が痙攣するように思わず咳き込んでしまった。
「……ん?」
中々治まらない咳を昼休みに自販機で買ったジュースの残りで何とか抑え込み、一息ついたところで涙の滲む俺の目は、机の端に積まれた教科書の山に気付いてしまった。
取り敢えず一番上に乗っかっていた国語の教科書を裏返してみると、そこには掠れた黒マジックで書かれた「隠神 一期」の名前。
確かに俺の名前だ。ということは、これ全部俺の物か。
よくよく見ると、その教科書は去年使っていた一年生用の物。持ち帰るのが面倒だったので部室に置いておいた筈なのだが……。
そのときマナーモードに設定していたスマホが制服のポケットの中で震えた。
取り出してみると通知自体は広告メールだったが、ステータスバーの端っこに同じ部活仲間からの連絡が表示されていた。
アプリを起動させると、数時間前から幾つかメッセージが送られている。
「新年度になったから部室の掃除しろって生徒会から部長に言われたらしいから、今日の放課後やるってさ
サボらず来いよ笑」
「いつき早く来い! 先生めっちゃ怒ってる‼」
「お前ずっと教室で寝てたの? わざわざお前の教科書持ってきてやったんだから、明日自販でなんかおごれよ!」
そして最後に「分かった?」と人差し指を突き出した少女のスタンプ。
「うざっ」
思わず密かに笑い声を上げながら、俺は「えー…」と面倒くさそうに顔を顰める猫のスタンプを送る。
すると即座に既読がつき、次いで「ムキ―ッ!」と怒りを露わにするモンスターと、「言うこときかないと燃やしちゃうんだから!」という台詞付きの魔法少女のスタンプが送られてきた。
そのスタンプが気になり、タップすると詳細が現れる。
どうやら、この前人気になったアニメのスタンプのようだ。
聞いた話だと魔法のグラフィックが話題になっていたようだが、確かにスタンプにも魔法の描写が多い。
「…………違う」
画面をスクロールし、気になったスタンプを拡大している内に無意識に俺の口から呟きが漏れる。
「……違う、こんなんじゃない」
俺が知っているのは、これではない。
自分の声が耳に届いた瞬間、俺は我に返り思わず手で口を覆った。
「俺、今……」
咄嗟に自分の言ったことの意味を考えようとするも、思考の手を記憶がすり抜けて思い出すことができない。
「やば、寝惚けてんのかな」
ぶつぶつと誰にともなく独り言を言いながら椅子から立ち上がり、取り敢えず鞄に詰めようと教科書の山に手を伸ばす。
その瞬間、握力の足りなかった上と下に挟まれた間の教科書達がずり抜け、俺の上履きをクッションにしながら床に散乱し、否応なしに目を覚まさせてくれた。