108、朧月
ほんの少しだけテネレッツァとドラゴン達が和解した時、ミュンツェが咳払いをして空気を変えた。
「アレスティア王女。アレストレイル王からの伝言をお聞かせ願えますか?」
彼は唐突にアレスティアに伝言の内容を尋ねてくる。彼女は一瞬戸惑った後、父から託された言葉を頭の中で反芻する。
「『先日の地震により、使われていなかった地下街の一部が崩落。また、ラルシャンリ領の被害を顧みて、王国は地震の原因とされる、ドラゴン、アルストロメリアを討伐することを決定した。このことは、各貴族に文書にて通達をする予定である。被害の大きかったラルシャンリ領領主には、先んじて知らせておく』……とのことですわ」
彼女の口から告げられた伝言に、ミュンツェは一言「承知いたしました」と頷いた。
「やめておきなんし」
その時、黙って話を聞いていたエレヴィオーラが異を唱える。
「その国王とやらは、事の重大さを分かっていないでありんす。本来の力を取り戻したアルストロメリアに、ただの人が挑むなど無駄死にもいいところでありんす」
どこか青ざめた顔色でそう言う彼女の只ならぬ様子に、事態の深刻さが伝わってくる。
「はい。しかし、お父様は討伐を取り消しはしないでしょう」
けれど、ゆるりと首を振るアレスティアに、彼女は冷たい視線を送った。
「なぜでありんす?」
人外の圧力に震え上がりそうになりながらも、アレスティアは背筋を伸ばし続ける。
「お父様は一度決めたことは何があっても、撤回しようとはしません。そして、勝算のない戦いに挑むようなこともしないのです」
「……馬鹿馬鹿しい。警告はしたでありんす」
父に対する絶対的な信頼を見せるアレスティアの言葉に、エレヴィオーラは短く吐き捨てる。
重くなりかけた空気を変えるように、ミュンツェがリックに話を振った。
「リック。今の村の被害はどうなってる?」
「はい。幾つかの住宅が半壊し、その下敷きになった住民が怪我を負いました。無事だった住宅にもヒビが入っていて、長く住むことは難しいと思います」
「……怪我人はちゃんと手当したから」
リックの報告に、テネレッツァが付け加える。ミュンツェは頷くと、きっぱりと言い切った。
「分かった。時計塔の余った修理費用を住宅の再建に回そう。村民には安心するように伝えておいてくれるかい?」
「了解いたしました。村長に代わり、深くお礼申し上げます」
頭を下げるリクエラを見て、アレスティアはセバスチャンに目配せをする。
「セバスチャン」
「承知いたしました。怪我人の治療ですが、僭越ながらワタシにお手伝いをさせて頂きとうございます」
セバスチャンの提案に、ミュンツェが顔を輝かせた。
「それは願ったり叶ったりですが、よろしいのですか?」
「構いません。困っている人がいるのに、放っておくことなどできませんわ」
アレスティアは微笑み、ミュンツェの合意を得る。話し合いはそれでお開きとなり、各々自分の部屋へ引き上げていった。
「アレスティア王女」
客間を出ていこうとしたアレスティアはミュンツェに呼び止められ、足を止める。
「屋敷にはお好きなだけご滞在ください。当家は、貴女様を歓迎いたします」
「お気遣いありがたく頂戴いたします。領地が大変な時ですのに、申し訳ありませんわね」
恐縮する彼女に首を振り、ミュンツェは口元に笑みを湛えた。
「お気になさらないでください。アレスティア王女も、イツキのことは気になることでしょう」
「ええ。早く、目を覚ましてほしいですわ」
頷き、怪我を負った少年のことを想うアレスティアの姿に、ミュンツェは痛まし気に目を伏せた。
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朧月の霞むような光に照らされ、少年の顔色の悪さが増々際立って見える。
椅子に腰掛けた少女はイツキの顔に手を伸ばし、その頬に軽く触れた。
「ここにいたのですね」
その瞬間、背後から声をかけられ、少女はゆっくりと振り返った。
昼間は結っていた髪を下ろし、濃いピンク色の縦巻きを幾つも背中に流したアレスティアが、少女の姿を認めて眉を顰める。
「探しましたわ、ティア」
「……見つかっちゃったか」
アレスティアと瓜二つの顔をした少女は、ペロッと可愛らしく舌を出して見せると、イツキから手を離した。
ティア、と呼ばれた少女は立ち上がり、アレスティアの前まで進み出る。向かい合った彼女達は全く同じ容姿をしており、どちらか一方は鏡なのではないかと疑いそうになるほどだ。
アレスティアは、あの時影から出てきた彼女のことを『ティア』と名付け、あれから何度か姿を見せた彼女と会話を交わした。
「全く、眷属がワタクシの手を煩わせるなんて」
「えー? 別にアレスティアはアタクシのこと、探さなくてもいいんだよ?」
「そんな訳にいきませんわ! 貴女、監視していないとすぐに何かやらかすでしょう!」
軽口を叩くティアに、アレスティアが声を荒げる。予想外に大きな声が出てしまい、慌てて彼女は口を押えた。
「……起きないね」
微動だにしないイツキに、ティアが寂し気に呟く。それに「ええ」と頷き、アレスティアはティアに視線を戻した。
「さあ、早くお戻りなさい」
「はーい」
彼女の言葉に素直に従い、ティアが影の中に戻っていく。アレスティアはドアを開ける直前にふと振り返り、イツキに声をかけた。
「イツキ様。皆さん、貴方の目が覚めるのをお待ちしておりますのよ。……ワタクシも、そうですわ」
アレスティアの手によって、ドアが閉められる。中には、掠れた月光のみが残された。