105、来訪
思考の海に沈んでいたリックの意識を、ノックの音が引き戻した。
「はい」
椅子から立ち上がり、ドアを開ける。そこにいたのは屋敷のメイドで、メイドが横に控えると彼女の背後に居た執事と少女の姿が明らかになる。
執事は老紳士という感じがし、キッチリと着こなした制服からは彼の生真面目さが伝わってくる。
濃いピンク色の縦巻きの髪。上等なドレスを身に纏い、漂わせる雰囲気がどこか高貴なその少女はリックの顔を見るなり、彼女の両手を取った。
「貴女がリクエラ様ですね? ワタクシずっと貴女にお会いしたかったのです! お手紙通り利発そうなお方! 今回のことは大変でしたね。ラルシャンリ領の被害は特に大きいようですから。村の皆さんはご無事かしら?」
「ええと……?」
早口でまくし立てる少女に目を白黒させていると、「姫様」と執事が彼女を窘めるように声をかける。
「姫様って、まさか」
「あら、ワタクシったら、またやってしまいましたわ」
彼の声に我に返ったようにリックの手を離すと、その手でスカートを摘まみ少女は優雅なお辞儀をした。
「ご挨拶が遅れました。ワタクシはクラウン王国の王女、アレスティア・クラウンと申します。こちらはワタクシの執事、セバスチャンですわ」
「ご紹介に与りました。セバスチャンと申します。どうぞお見知りおきを」
アレスティアに紹介されたセバスチャンが洗練されたお辞儀を返し、リックは慌てて頭を下げる。
「は、初めまして。わたしは村長の娘、リクエラです。王女様、いつもご丁寧なお手紙を送って頂き、ありがとうございます。深く感謝申し上げます」
「リクエラ様、そんなに硬くならないでください。どうかワタクシのことは、名前で呼んで頂けませんでしょうか?」
堅苦しい言葉遣いをする彼女に、アレスティアはぐいぐいと心の距離を詰めてくる。その気迫に呑まれ、リックが「わ、分かりました。アレスティア様」と言うと彼女は満足したように頷いた。
「ところで、アレスティア様はどうしてここにいらっしゃるんですか?」
今更ながらずっと気になっていたことをリックが問うと、アレスティアは表情を引き締めた。
「ワタクシはイツキ様のお見舞いと、お父様からの伝言をミュンツェに伝える為に参りました」
「伝言?」
「ええ。その前に、イツキ様に会わせて頂けないでしょうか?」
首を傾げるリックにアレスティアが要望を伝えると、彼女は慌ててドアの前から退く。
「あ、はい! どうぞ」
「ありがとうございます」
リックが部屋の中に招き入れ、アレスティアは会釈をしてから中に入った。
「まあ、イツキ様……」
イツキが眠るベッドの横まで進んだ彼女は、口元を手で覆って言葉を失う。心なしか色を失った顔色は、受けた衝撃に必死に耐えているように見えた。
「よろしければ、お掛けください」
「ありがとうございます。ですが、大丈夫ですわ」
椅子を勧めるリックの気遣いを断り、アレスティアは気丈に背筋を伸ばした。
「セバスチャン」
「畏まりました」
彼女に呼ばれ、セバスチャンが進み出る。彼は「失礼します」と断りを入れると、リック達の前で膝をつきイツキの手を取った。
彼の手首を掴むと、セバスチャンは静かに目を閉じる。次の瞬間、燐光が浮かび上がり魔力がイツキに注ぎ込まれていくのが『目』を使わなくても分かった。
「これは……」
「セバスチャンの『治癒』はどんな怪我も病も癒します。きっと、イツキ様のお怪我もセバスチャンが治してくれるに違いありませんわ」
息を呑むリックの横で、アレスティアが目の前の光景を説明する。しかし、その声は震えており、関節が白くなるほど固く指が組まれた手は、彼女自身がそうであってほしいと願っているように聞こえた。
不意にセバスチャンの眉が顰められ、瞼が開けられる。
「どうやら、既に治療は施されたようですな。これ以上は、ワタシの手に負えません」
「なんですって?」
彼の言葉にアレスティアが声を尖らせ、彼女が口を開く前に、慌ててリックは声を上げた。
「実は、イツキの傷はドラゴンの方々が手当してくださったんです。それでも、塞がりきらなくって……」
「やはり、ドラゴンですか」
リックの説明に納得したように頷くアレスティアに、彼女は意外そうに眉を跳ねさせる。
「ドラゴンと言われて驚かないのですか?」
「正直、驚かないという方が難しいでしょう。しかし、そうするとお父様の伝言も信憑性が増すのです」
「信憑性?」
リックが首を傾げた瞬間、ドアがノックされ廊下からミュンツェが入ってきた。
「アレスティア王女。イツキの様子はどうですか?」
「ミュンツェ」
見知った相手に表情を緩めたアレスティアは、ふるふると首を振る。
「セバスチャンの『治癒』でも、効果がありませんでした」
「そうですか……」
イツキに視線を投じ、痛ましげに目を細めたミュンツェは真剣な表情を浮かべた。
「アレスティア王女、イツキに起こったことをご説明いたします。どうぞ、客間まで足をお運び頂けますか?」