ひとりぼっち
その日、青年が食事を届けると昼に持ってきた盆が布に包まれたまま置かれていることに気付きました。いつもなら布はきちんと畳まれていますし、盆もきれいにしてあります。けれど、今日は盆に触れた形跡がありませんでした。そういえば、声をかけたときもなんの反応もありませんでした。たまにそういうこともあったので青年は気にしていませんでしたが、食事に手がつけられていないとなると気になります。
持ってきた食事を置き、置きっぱなしになっている方の盆の布を取りました。蓋を開けてみても、すっかり冷たくなってしまった食事が持ってきたときのまま、そこにありました。
青年は不安になりました。
きらいなものがあったのだろうか。でも手をつけていないのだから、ここに下りてきていないのかもしれない。もしかしたら体調が悪くて、動けないのか。
なにかあったのだろうかと、青年はそわそわと部屋の中を動き回ります。耳を澄ましてみても、なにも音は聞こえませんでした。迷って、青年は上に繋がる階段の下に立ちました。
「…食事をお持ちしました」
声をかけてみましたが、やはり反応はありません。
「あの、 …」
なにか言おうとして、青年はなにを言えばいいのか分からなくなりました。もともと口下手なので、こういう時になにを言えばいいのか知らないのです。
「…あの、なにか、ありましたか」
青年の声に不安が滲みます。もしかしたら寝ているだけかもしれないと思いましたが、二週間近くここに通っていて食事に手が付いていないことは初めてでした。最近は特に寒さが厳しく、青年の周りでも風邪をひいて寝込むものが多くいて青年は怖くなりました。
ひとりっきりで、体を壊しているのだとしたら、それはとても怖いことです。
青年はぐっと拳を握って、ゆっくりと階段を上がり始めました。ここまで上がってくるよりも、ずっと長く広い階段です。青年は時々足を撫でながら、はじめての階に辿り着きました。階段を上がってすぐに、平たく重たそうな扉がありました。小さな窓から、うっすらと明かりがもれています。
「守主さま」
青年は覚悟をして、扉を叩きました。しかし、返事はありません。けれど、確かにだれかの気配はするのです。青年はもう一度扉を叩くと、そっと扉を押しました。
そこは、広く、けれどものがない寂しそうな部屋でした。明かりは灯っているものの、じゅうぶんに部屋を暖めてくれそうな暖炉に火はくべられていません。寒い場所にいた青年にはほんのりとあたたかく感じましたが、それでも外とそう変わらない室温です。
「守主さま」
青年は部屋に入ると、きょろきょろと室内を見回します。そして、部屋の隅の広い寝台に、小さな膨らみを見つけました。丸くなった布団の端から、あの日見た真っ白な髪が覗いています。青年は慌てて駆け寄りました。
「あの」
返事はありません。青年は不安になって、いけないことだと知りながらもそうっと布団をずらしてみました。
守主は目を閉じていました。ぜいぜいと荒く短い息を吐き、頬は真っ赤に染まっています。寒い室内で薄く汗をかいていて、青年は思わずその小さな額に触れました。青年の冷え切った手でも分かるくらいに、守主は熱を持っていました。
青年は慌てます。まずは暖炉に駆け寄りました。近くにあった薪をくべ、火をおこします。それから、部屋の隅にあった小さな台所で自分の持っていたタオルを濡らし、部屋にあったコップに水を汲んで守主のところに戻ります。守主は体を横向きに丸くしていたので、額にタオルをのせることはできませんでした。仕方がないので、冷たいタオルで額や頬に浮かんだ汗を拭い、布団をかけ直します。守主が起きたなら水を飲ませようと思いましたが、起きる気配はなく、コップは机に置きました。それから、様子を見ていました。守主は苦しげながら、ぐっすりと眠りこんでいるようでした。それに少し安心して、守主の部屋を出ると急いで階段を下り、塔を出て、自分の家へ向かいます。今日ほど自分の走れない足を疎ましく思ったことはありません。家につくと大慌てで氷嚢やタオルを袋に詰め、作り置きの果実の蜜煮の瓶も持ちました。家を出ると、もう閉まっていた薬屋に無理をいって開けてもらい、普段自分が使うよりも高い、質のいい薬を買います。薬屋の主人は慌てた様子の青年に驚いていましたが、いつもは静かな青年が慌てているので余程のことだろうと思い、急いで薬を包んでくれました。
青年は荷物を抱え、塔に戻ると氷嚢に雪を詰めました。そして、今度は手も使って階段を上がりました。普段なら絶対にしないことですが、こうすればはやく階段を上がることができます。再び重たい扉を叩いて、返事も待たずに室内に入ります。出た時と同じ格好で、守主は眠っていました。
青年は荷物を置くと、守主の顔を覗きこみます。まじまじと見てみると、幼さと肌の白さが目立ちます。けれど、今はひどく赤みがさしてかわいそうだと青年は感じました。守主は青年が想像していたよりもずっと幼く、小さな体でした。
持ってきた氷嚢を頭にあて起こさないように仰向けに寝させると、持ってきたタオルで汗を拭います。先ほど使った濡れたタオルはもう一度水に晒して、冷たく冷やすときれいにたたんで額にのせました。
青年は恐る恐る守主の細い首に手を当ててみます。首のあたりが腫れている時は注意しなければならないと母親から教わっていたので、どうしても確かめておきたかったのです。触れた個所はとても熱く不安になりましたが、腫れておらず青年はほっとしました。
布団をしっかりと肩が隠れるまでかけ直すと、青年は下の階に置きっぱなしになっていた昼と夜の食事を持ってきます。両手に食事を持ったまま階段を上がることは大変でしたが、青年は慎重に、スープを一滴も零さず守主の部屋に運びました。
昼の献立と夜の献立をざっと確認して、体調が悪くても食べられそうなものを考えます。
昼の野菜のスープはもう少し煮込めば食べやすくなる。
肉と豆の煮物はやめた方がいい。
パンは夜のミルクのスープでふやかせばいいだろう。
守主の部屋には、小さなコンロがひとつだけありました。使われた形跡のない鍋や包丁もあります。簡単な調理はできそうでした。青年は鍋を軽く洗うと野菜のスープをうつして水を少し足し、火にかけます。弱火でじっくりと煮込む間に、パンを食べやすく小さくちぎります。あとは守主が起きてから調理をしようと、青年は近くにあった小さな椅子に座りました。足を曲げるとつらいので、怪我をした左足だけをぐっと伸ばして、軽く揉むように撫でます。今日は久し振りにたくさん動かしたので、じくじくと鈍い痛みがありました。きっと明日はもっと痛みが酷いでしょう。けれど、青年はそれでも構わないと考えていました。
王宮のだれかに報告をした方がいいのでしょうが、今日はもう階段を下りる気にはなれませんでした。守主の部屋に勝手に入ったことで罰を受け、きっとこの仕事から外されるだろうと考えるときちんと最後まで見届けたいと願いました。
時々鍋の中をかき混ぜたり、暖炉の火を見たりして時間を潰していたら寝台が軋み、青年はそこへ歩み寄りました。守主はぼんやりとした表情で、うっすらと目を開けて天井を見ていました。
あまり近付きすぎてもいけないかと思い、青年は少し離れたところから声をかけます。
「守主さま」
守主はびくりと身をすくませ、青年の方に顔を向けました。銀色の瞳を目一杯に見開いて、驚いたように固まったあと、ぱっと体を起こし怯えたように布団を抱き締めます。
青年は慌てて膝をつき、深く頭を下げます。
「驚かせてしまって申し訳ありません。王宮に仕える人間です、どうかお許しください」
青年は守主の許しがあるまでその場から動かないつもりでした。ですが、守主が動く気配があるものの一向に許しが得られません。五分ほど経ってから伺うように少し顔を上げてみると、守主は戸惑い、泣きそうな顔でおろおろと視線を彷徨わせていました。青年が動いたことに気付くと、手を振り顔を上げるようにと伝えてきます。青年が顔を上げると、ほっとしたように表情を緩めました。
どうやら不審者だと疑われてはいないらしいと、青年はほっとします。その場で膝をついたまま、青年は守主を見上げました。
「私は王宮に仕える料理人です。昼の食事に手がつけられていなかったので、気になって …、勝手なことをして、申し訳ありません」
守主は探るように青年を見ていましたが、なにかに気付いたように視線を青年から外すと不思議そうな顔をします。青年もつられてそちらを見て、鍋を火にかけたままだと思い出しました。はっとして立ち上がると守主がびくりと身を小さくしましたが、鍋を放っておくわけにはいきません。
「すみません」
慌てて鍋の火を止めに行き、中を確認します。これなら食べやすいだろうと、青年は安心しました。その場で寝台の方を振り向くと、守主は布団を抱きしめたままじっと青年を見つめています。
「なにか、食べられますか」
青年が尋ねると、守主は少しだけ迷うような素振りを見せた後に小さく頷きます。青年はスープを持ってきた金属の器ではなく、部屋にあった木の器に注ぎました。スプーンでかき混ぜ、少し冷ましてから守主の元へ持っていきます。
「熱いので気をつけてくださいね」
守主は恐る恐る器を受け取ると、湯気を立てるスープに目を輝かせました。スプーンですくって、嬉しそうにそれを見つめます。そっと口に含むと、熱かったのかきゅっと眉を寄せました。けれど、いやそうではありません。
「パンも食べられますか」
青年が言うと、守主はこくりと頷きました。青年は笑顔になると、今度はミルクスープを鍋に入れて温め、そこにちぎっておいたパンを浸します。守主の部屋には先ほどの器しかなかったため、今度は鉄の器にそれをうつしました。そして、持ってきていた果実の蜜を少しだけかけ、ひとかけらの蜜漬けにした果実をのせます。もともと甘いスープなので、甘い果実は良く合います。
守主のところに持っていくと、守主はすでにスープを全て飲みほしていました。眠ったことで、体調はかなり回復していたようでした。それに安堵しつつ、空の器を受け取ると青年はパンの入った器を差し出します。守主はきらきらと目を輝かせてそれを見つめました。
「ミルクのスープにパンを浸してあります。甘いので食べやすいと思います」
青年が言葉を添えると、パンをひとかけすくって口に運び、数回瞬いたあと嬉しそうに目を細めます。青年はほっとしました。寝台のそばで膝をつくと守主が食べる様子を眺めます。守主は体調が悪かったのがうそかのように食事をぺろりと平らげました。空になった器を受け取った青年が嬉しそうに微笑むと、守主はただじっと青年を見ていました。青年も同じように守主を見ましたが、まだその頬に赤みがさしていることに気付くと器を流しに持っていき、水と薬を持って守主のそばに戻ります。
「薬です」
守主は困ったような顔で青年と薬とを交互に見ます。もしかしたら薬を知らないのかもしれないと、青年は思いました。
「体調を治す粉です。体にいいものですよ」
守主は薬の包みを受け取ったものの、口に含もうとしません。青年は別の包みと器に水を汲んで持ってくると守主の目の前で開き、ざっと自分の口に流し込みました。質のいい薬だけあって、妙な苦さや味はしません。それを水で飲み込みます。
「大丈夫ですよ」
安全なものだと伝わればいいと思いました。守主はじっと手もとの薬を見た後、青年と同じように口に流し込み、水で飲みこみます。薬本来の味は美味しいものではなく、薬草や薬味の独特の味があります。青年の予想通り、守主は飲みこんだ後に顔を歪めました。青年は少しだけ笑います。
「味は我慢してくださいね」
守主は青年を恨めしげに見ます。青年が平気な顔をしていたので、薬を飲んだのでしょう。青年はすみません、と謝ると、守主からコップを受け取りました。
「そのまま眠ってください。次に起きた時には、体調が良くなっていますよ」
青年に促されるままに守主は寝台に横になります。
「おやすみなさい」
青年は布団をかけてやると、安心させるように微笑みました。守主はすぐに眠ってしまいます。青年は流しに立つと使った食器と鍋をきれいに洗い、いつものように盆を回収します。薬と果実の蜜漬けの瓶を机に並べて置き、部屋を出る前にもう一度ぐっすりと眠る守主の顔をのぞき見ました。きっともう、この部屋に上がることはないでしょう。
穏やかな寝顔を見て、罰を受けても後悔はない、と思いました。




