こころ
青年の両目から、涙が溢れました。
神さまは微笑んだまま、青年の頬に手を這わせると涙を拭います。青年は目を伏せ、苦しげに息を吐き出しました。
「…それが、この塔の、この国の、本当のお話なのですね」
物語はいつしか、手が加えられ、悪意が、もしくは善意が加えられ、ねじ曲がってこの国に残ってしまいました。
神さまはひとを恨んでなど、憎んでなどいないのです。
ただ、恋をして、失って、傷ついただけなのです。
「悲しい、…つらいお話です。私は、勘違いを、していたのですね」
守主は許しを請っていたわけではありませんでした。祈りに苦しんでいるわけではありませんでした。
神さまの拠りどころであるこの塔を守り、神さまの深い悲しみを受け止めていたのです。一緒に悲しんでいたのです。
涙を流して悲しむ青年に、神さまは優しく微笑んだまま、あたたかな掌で肩を撫でます。それから、自分の喉をゆっくりと、撫でました。
「さみしかった」
それは神さまの声でした。
「あのひとがいなくなって、ひとりきりで春を迎えることが怖くて、逃げてしまった」
神さまは膝を抱えて、青年の瞳を覗きこみました。
「ひとりで閉じこもって泣いているうちに、春を忘れてしまった。ただ、ずうっとそばにいてくれる彼らがいてくれればいいと願ってしまった」
神さまが守主を手招きます。守主は神さまの隣に同じようにしゃがみ込むと、涙をこらえながら青年の手を握りしめました。
「この子たちにも、私があのひとを愛したように愛するものがいるんだと、そんな簡単なことも忘れてしまっていた」
神さまは守主の小さな頭を撫でました。守主は神さまを気遣うように、小さく頭を横に振ってみせました。神さまは同じように、青年の頭も撫でました。
「あなたとこの子が接するのを見ていたら、またひとりになると怖くなった。この子はいつだって、私のことを思ってくれていたのに、怖い気持ちに負けてしまった」
青年が顔をあげると、神さまは美しい顔に少しだけ切なさをうつしていました。
この塔の揺れと轟音は、孤独を恐れる神さまの心の震えだったのです。
「私は、この子たちを孤独にしてしまっていたんだと、気付けなかった」
守主が、神さまの手も握りました。神さまは嬉しそうに目を細めると、その手をそうっと握り返します。
なにかを隠すように、自分の目元を指でなぞりました。
「あなたと接するこの子は、昔の私とあのひとのようだった。ひとのあたたかさに触れ、私といるときには見せない顔をして、あなたのことを嬉しそうに私に話す。そのときにようやく私はこの子の孤独に気付き、…けれど、私は、孤独ではなかった」
神さまは最後にもう一度青年の肩を撫でると、立ち上がりました。
守主は青年の手を一度ぎゅうっと握ってから、指を解いて神さまと同じように立ち上がります。
「この子が教えてくれた。私はいつだってひとりではなかったということ。あのひとや、あのひとのきょうだいや、それからもずっと私と共にいてくれた彼らは、今だってずっと私のそばにあること」
神さまが優しい表情で守主を見ると、守主はそうだというように頷きました。
そして、青年に向かって微笑みました。それは、青年がはじめてみる守主の笑顔でした。
神さまは切なげに目を伏せます。
「私は、…きっと、はじめから間違っていた。あのひとの死を受け入れ、春を迎え、だいすきだった花を供えてあげなければならなかった。冬の中で立ち止まるのではなくて、春を、夏を、秋を、ひとりだとしてもまた生きていかなければならなかった」
神さまは自分の胸に手を当てて、静かに目を閉じました。
大切な思い出を、ひとつひとつ感じているようでした。
青年が涙を拭ってふたりを見上げていると、守主は神さまにからだを寄せ、優しい表情で頷きます。青年に向かって、孤独ではないと、伝えているようでした。
だから、青年も頷きます。
守主には神さまがいました。ひとりきりではなかったのです。
「あなたに、お礼を言わなければ」
神さまは目を開き、切なさをしまい込むと青年に微笑みました。
「あなたがこの子を愛してくれたから、私は春を思い出せた。進まなければと、ようやく思うことができた。ありがとう、心優しいひと」
青年は恐れ多いと、頭を振ります。ただ、青年は自分がしたいようにしただけなのです。
神さまはふいに、外に目を向けました。
青年が同じように目を向けると、降り止むことがなかった雪は、一粒も降ってはいませんでした。




