第1話:全台激熱
【名無しさん@探索中】
鳴神大迷宮の最深部にさ、パチンコ屋があるって噂知ってる?
なんか青いネオンが光ってて、全台激熱らしいぜ。
【名無しさん@探索中】
出たよ定期オカルト。そもそも迷宮の底に電源ねえだろ。
それに全台激熱って言っても、激熱は当たり確定じゃないからな? 普通に外れるだろそれ。
【名無しさん@探索中】
それな。激熱外して発狂した探索者がモンスター化するんだろ、知ってる。
【灰帽子】
取り返しがつく失敗だけを繰り返せ。
命の期待値は計算するな。死んだら次の回転はない。
あの与太話のような書き込みを見てから、今日で十九日目になる。
鳴神大迷宮、第八層。
ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく石造りの広間の中央で、真壁蓮司は薄汚れた手帳を半開きにしたまま、前方に立つ巨大な影を見据えていた。
身長は二メートル半ば。分厚い岩のような皮膚を持ち、手には錆びた巨大な戦斧を握りしめている。第八層の門番として君臨する『岩窟鬼』だ。
蓮司の装備は、型落ちの合成樹脂プロテクターと、手入れだけは欠かしていない刃渡り三十センチほどの短剣のみ。身体能力は平均を少し上回る程度で、魔力の才能も剣術の心得もない。倉庫の夜勤明けに潜って日銭を稼ぐ、二十九歳のFランク探索者だ。
「……十三回目」
乾いた唇から、ぽつりと声が漏れる。
手元の防水ノートには、びっしりと汚い字でメモが書き連ねられていた。
一回目、接敵から十秒で斧の風圧に吹き飛ばされて撤退。
四回目、右への回避は壁に追い詰められる確率八割。肋骨にヒビ。
七回目、連続攻撃の三段目は必ず大振りになるが、直後の蹴りが初見殺し。回復薬を使い切って逃走。
九回目、十一回目、十二回目――。
同じ門番の前に立つのは、これで十三回目だった。まともに斬り結べたのは三回だけ。残り九回は、初撃を見た時点か、ノートと違う動きを認めた時点で逃げた。逃げて記録を持ち帰るところまでを、蓮司は一回に数えている。
ズォオオオッ!
岩窟鬼が咆哮を上げ、床の石畳を砕きながら突進してきた。圧倒的な質量が迫る。
蓮司はノートを懐にねじ込むと、短剣を逆手に構えて姿勢を低くした。恐怖はない。あるのは、十二回の敗走で脳裏に焼き付いた確定情報の羅列だけだ。
(歩幅は三歩。予備動作で右肩が二センチ下がる。くるぞ)
初撃の水平薙ぎ払い。
蓮司は見てから避けない。岩窟鬼が踏み込んだ瞬間に、あらかじめ決めていた左斜め前へと身体を滑り込ませた。頭上を巨大な刃が通り過ぎ、前髪が数本斬り飛ばされる。
知っていれば避けられる。速さの勝負ではない。タイミングの暗記だ。
(二撃目、振り下ろし。ここは大きく後ろへ)
轟音と共に、目の前の床が陥没した。石の破片が蓮司の頬をかすめて血が滲むが、致命傷には程遠い。岩窟鬼が苛立ちを露わにし、さらに大きく戦斧を振りかぶる。
(三撃目、大振り。そして――)
致命的な三連撃の直後。岩窟鬼は体勢を立て直すため、必ず一度深く息を吸い込む。時間にすれば約一・二秒。十二回の失敗と痛みを経て、蓮司がようやく見つけ出した「当たりの乱数」だ。
三撃目が空を切った瞬間、蓮司は床を強く蹴った。
岩窟鬼が息を吸い込もうと胸郭を広げたその僅かな隙間。分厚い岩の皮膚に覆われていない、右膝の裏側の関節部分。
そこへ向かって、蓮司は短剣を渾身の力で突き立てた。
「ガ、アァァァッ!?」
刃が急所を正確に捉え、嫌な手応えと共に深々と突き刺さる。
岩窟鬼がバランスを崩し、巨大な身体が傾いた。蓮司はそのまま短剣を引き抜き、よろめく巨体の背後に回り込むと、無防備になった延髄の隙間へ二度目の刃を突き入れた。
硬質な音が響き、魔物の瞳から光が消える。
地響きを立てて、十二回も蓮司を追い返した門番が床に崩れ落ちた。やがてその肉体は黒い灰となって霧散し、迷宮の魔素へと還っていく。
「……っ、ふぅー……」
蓮司は膝に手をつき、荒い息を吐き出した。全身の筋肉が悲鳴を上げ、握力は限界に近い。シャツは冷や汗と泥でべったりと張り付いている。
勝った。十三回目にしてようやく、第八層の壁を越えた。
凡人が血を吐くような努力と執念で格上の魔物を討ち取った、探索者としては輝かしい瞬間のひとつだろう。
だが、蓮司の顔にヒロイックな達成感はない。彼の頭の中にあるのは、強敵を倒した名誉でも、己の成長に対する感慨でもなかった。
「……これで、先に行けるな」
彼をここまで突き動かしているのは、英雄願望などという立派なものではない。
鳴神大迷宮の最深部に、本当に『全台激熱の店』があるのか。それを確かめたい。ただそれだけの、ひどく俗っぽくて個人的な執着だった。
魔物が消滅した跡には、わずかな魔石と、門番が収集していたらしいガラクタの山が残されていた。蓮司は息を整えながら、ドロップ品を回収するためにその小山へ近づく。
欠けた武具、くすんだ硬貨、獣の骨。たいした金になるものはなさそうだと舌打ちした直後、ふと、瓦礫の隙間に『それ』があるのを見つけた。
「……なんだ、これ」
蓮司は指先でそれをつまみ上げた。
迷宮の泥や血の匂いとは全く無縁の、人工的に極限まで磨き上げられた金属の球体。直径は十一ミリほど。ずっしりとした鋼鉄の重みがある。
現代の工業製品のように真球に近いそれは、魔物が落とす素材としては明らかに異質だった。
さらに蓮司の目を引いたのは、その銀色の表面に、ぐるりと取り囲むように刻まれた『青い三本線』だった。
――全台激熱らしいぜ。
頭の奥で、匿名掲示板の与太話がフラッシュバックする。
未踏域の古代遺物か、新種の魔石か。
しかし、蓮司の脳は別の演算を弾き出していた。
サイズ、重量感、手触り。どう見ても、どう考えても。
「……パチンコ玉、だよな。これ」
蓮司は薄暗い第八層の広間で、金属球を指の腹で転がした。
カチャリ、と小さな金属音が鳴る。
ただの都市伝説だと思っていた。誰かが見た幻覚か、悪趣味な釣り書き込みだと。だが、この迷宮には明らかに現代の遊技機に使われる『玉』が落ちている。
強敵を倒したことへの歓喜よりも先に、蓮司の口元はだらしない笑みの形に歪んでいた。
「……本当にあるのかよ。迷宮の底に、店が」
指先にある銀色の球体が、熱を帯びているように感じた。
カチャリという小さな金属音が、三十七層の果てにあるという『激熱』への巡礼の、最初の合図になった。




