第七話:孤高の誓い(単騎独立)
からくり自転車「鉄魂」の構造
2036年のからくり競輪で使用される自転車は、もはや単なる軽合金の塊ではない。選手の脊髄から抽出される「マブイ(精神エネルギー)」を物理的な回転数へと増幅・変換する、一種の生体デバイスである。
メイン・クランクユニット(魂変換器)――選手の足元にある心臓部。ペダルを漕ぐ「脚力」と、インターフェースから送られる「マブイ」を合成し、トルクへと変換する。
脊髄インターフェース――スーツの首元から選手の脊髄に直接接続される端子。脳波と心拍数をデジタル信号化し、自転車の挙動と直結させる。
外付マブイタンク――通常、選手の背中に装着される予備エネルギー源。自身のコアマブイを使い果たした際の「ブースター」や「延命装置」として機能するが、重量が30kg以上あり、空気抵抗の要因にもなる。
マブイ・ディフューザー(排気口)――燃焼しきれなかった余剰エネルギーや熱を外部に放出する機構。ここから出る熱波(排気マブイ)は、後続を走る選手の視界や呼吸を妨げる副次的な武器にもなる。
孤高の猛牛、瀬戸の凪を裂く
「……兄貴からだ」
宇和島での初陣を飾り、宿舎の薄暗い部屋で健吾が指先を空間に滑らせると、青白いホログラムが展開された。そこには、下関の荒々しい海を背景に、愛機と共に立つ兄・誠の姿があった。
『初勝利おめでとう、健吾。宇和島の絶壁を「水の技術」で超えたようだな。だが、お前のマブイは、誰かの後ろに隠れて回るには熱すぎる。
競輪の世界には「ライン」という絆がある。だがな、健吾。本当の怪物は、いつだって自分のマブイだけで風を切り裂くものだ。
俺も、水の上では常に一人だ。お前も決めろ。誰かに魂を預けるか、それとも――』
通信が途切れた後、健吾は自分の掌を見つめた。兄の言葉は、健吾が心の中で密かに、しかし確実に育てていた「違和感」を鋭く突いていた。
競輪の常識は、ラインを組むことだ。数人で列を作り、先頭が風圧を引き受け、番手がそれを援護し、最後は互いのマブイを融通し合って勝つ。それが「効率」であり、生存戦略だった。
しかし、健吾のコアマブイ2500は、他者と「同調」するにはあまりに個性が強く、暴力的だった。宇和島のレースでも、彼が先行すれば、後ろの選手は健吾から噴き出す熱波で窒息しかけ、逆に誰かの後ろに付けば、健吾のスーツ『炎(HOMURA)』は「前の奴の温い風じゃ足りねぇ」と唸りを上げた。
「……やっぱり、俺には『道』は見えない。自分で作るしかないんだ」
翌日、健吾は阿蘇支部の支部長室を訪れた。そこには、恩師・源さんと共に健吾を見守る支部長が待っていた。
「支部長、俺……次の場所から、『単騎専属』として戦わせてください」
その場にいた一同が息を呑んだ。
単騎専属。それは、ラインによる風除けも、落車を防ぐ援護も一切拒否し、常に一車で、残りの全走者を敵に回して走るという、修羅の道だ。
「速水、正気か? 333mならまだしも、次の高松は400mバンクだぞ。単騎の逃げ・先行なんて、風を一身に受けて自撮り(自殺行為)するようなもんだ。マブイがいくらあっても足りんぞ!」
支部長の指摘は正しい。単騎で先行すれば、真後ろには「敵」しかいない。ブロックしてくれる味方がいないため、後方からの捲りに対して無防備になり、位置取りに失敗すれば最後方に置き去りにされる。リスクはメリットを遥かに凌駕する。
「分かってます。でも、誰かの影を走るマブイじゃ、俺の『炎』は回りきらないんです。俺は、俺だけの熱でゴールまで焼き切りたい」
支部長が沈黙する中、源さんがニヤリと笑った。
「……いい面構えだ。だったらよ、健吾。スーツの『外付マブイタンク』、外して捨てちまえ」
「えっ……?」
「単騎で戦うなら、中途半端な予備はいらねぇ。余計な重りだ。その代わり、お前のコアマブイだけで全てのギアを回す『直結特化型』に、今夜中に書き換えてやる。マブイの変換ロスをゼロにする。ただし、一瞬でも集中が切れれば、お前の心臓が止まるぞ」
「……お願いします、源さん!」
こうして、からくり競輪界に前代未聞の異端児が誕生した。
「阿蘇の速水健吾は、ラインを組まない」
この噂は瞬く間に全国のバンクへ広まった。京王閣で計算に耽る算盤陣は、「愚かな。自ら生存確率を0.1%に下げたか」と冷笑し、小倉の影山は「……面白い。狙いやすくなった」と闇の中で目を細めた。
単騎としての初陣は、香川県・高松競輪場。
瀬戸内海に近いこのバンクは、一見「凪」のように穏やかだが、時折発生する「チヌ(クロダイ)を跳ね飛ばす」と言われる不気味な突風が吹く。
番組発表。健吾(1番車)に対するは、高松の若き天才・羽柴翼。
羽柴は地元の選手二人を従え、強固な「瀬戸内ライン」を形成していた。5対1の数的不利。
「構えろ!」
号砲とともに、健吾の背中でタンクの無くなった『炎』が、青白いプラズマのような光を放った。
外付タンクを排したことで、車体重量は劇的に軽くなったが、その分、健吾のコアマブイは常にレッドゾーン。
「……来いよ、羽柴。お前の風、全部俺が焼き尽くしてやる」
スタート直後、健吾は迷わず先頭に躍り出た。単騎での「一車先行」。
羽柴は後方でニヤリと笑う。
「速水、マークがいない先行なんて、ただの風よけだ。そのまま僕たちのために道を切り拓いてくれよ」
しかし、羽柴は気づいていなかった。健吾の背中から噴き出す熱波が、通常の先行選手とは比較にならないほど膨大であることを。
健吾の『炎』は、向かい風を熱膨張によって「側方へ弾き飛ばす」ことで、自ら真空のトンネルを作り出していたのだ。
「……なんだ!? 追走してるのに、風圧が全然減らない! 逆に熱でスーツが誤作動を起こしそうだ!」
羽柴の顔に焦りが浮かぶ。
残り一周。ジャンが鳴り響く。
健吾は、脊髄インターフェースを限界を超えて押し込んだ。
「――噴火しろッ!!」
高松のバンクに、紅蓮の咆哮が響き渡った。
一人の少年が、絆という名の常識を焼き切り、孤高の怪物へと進化する瞬間だった。
高松の最終ストレート、羽柴の「風の捲り」が迫る――。




