第十一話:計算(データ)と熱狂(バースト)
魂の動力源「マブイ」の構造と限界
2036年の「からくり競輪」を統べる絶対的な物理法則、それが**「マブイ(精神エネルギー)」**である。これは単なる比喩ではなく、選手の心臓の傍らに位置する「コアマブイ器官」から発せられる生体エネルギーを、インターフェースを介して機体のタービンへと直結させる、魂の格闘技そのものである。
* コアマブイ(先天的資質):
生まれ持った魂の総量。成人時にその最大出力数値が固定され、後天的なトレーニングで増えることはない。プロレーサーの平均値は5,000。この数値が、その選手が一生の間に発揮できる「格」の限界値を決定する。心臓とは独立した器官であるため、マブイを使い果たしても生命維持に直接の影響はないが、レーサーとしての死を意味する。
* 外付けマブイ(後天的努力):
過酷な修羅場を潜り、勝利への執念を積み上げることで増設される物理的な燃料タンク。凡人が天賦の才を持つエリートに抗うための唯一の手段であり、必死の努力で積み増せる限界値は通常3,000程度とされる。
速水健吾は、かつて病弱だった少年時代、阿蘇の地熱と共鳴することで、このコアマブイに異常な「熱」を宿した。しかし、彼のスタイルはその熱を効率的に使うのではなく、命を削って爆発させる「自食作用」に近いものだった。
仙台競輪場、一般戦初優勝の興奮が冷めやらぬ検車場の片隅。
健吾がホログラム通信を展開すると、そこには京王閣の冷徹なエリート、算盤陣の姿があった。
「おめでとう、速水。500mバンクを単騎で逃げ切るなど、統計学的には万に一つの『エラー』だ。影山の消音ギアを不完全燃焼の排気で潰した戦術……野蛮だが、生存本能としての評価はしてあげよう」
算盤の声は相変わらず氷のように冷たかったが、その背後のモニターには、仙台での健吾の全走行データ、心拍数、そしてマブイの燃焼波形がびっしりと解析表示されていた。
「だが、その勝利と引き換えに、君のスーツの駆動系は限界を超えたはずだ。僕の予測では、君のその戦い方を続ければ、あと三場所で君のコアマブイは燃え尽き、再起不能になる。レーサーとしての心臓が止まるということだ」
算盤は眼鏡を指で静かに押し上げ、冷たい瞳で画面越しの健吾を射抜いた。
「君は自分の『熱』で勝ったと思っているようだが、それはただの寿命の切り売りだ。コアマブイの出力は有限。一方、僕は君が仙台で泥を啜っている間に、スーツの循環効率をさらに**15%**向上させた。君が100の熱を出して80をロスする間に、僕は50の熱で90の推進力を得る。……準備は整ったよ」
算盤の言葉は、プロとしての「格」の違いを突きつける残酷な宣告だった。平均5,000のコアマブイを、健吾はたった数レースで数年分浪費している。それは、プロのバンクという巨大な機構に飲み込まれる前の、一瞬の徒花に過ぎないという指摘だ。
「次場所、長崎の佐世保で開催されるGIII・九十九島賞。君も斡旋されているね。そこには僕も出る。もちろん、君と同じ『単騎』などという無謀な真似はしない。完璧に構築された京王閣ラインの暴力、その身で味わうといい」
算盤の指が空を美しく切ると、画面に九十九島賞の出走予定メンバーが躍った。
そこには算盤陣、羽柴翼、影山零……。これまで健吾が辛うじて退けてきた強敵たちが、今度は「阿蘇の速水健吾」という異端の「一車先行」を完全に叩き潰すための包囲網を形成していた。
「これは宣戦布告だ、速水。君の『阿蘇の噴火』が、僕の『絶対零度の計算』にどこまで耐えられるか……。西端の地、佐世保のバンクで、君のキャリアの終着点を見せてあげるよ」
健吾は、熱を帯びたままの自分の右拳をじっと見つめ、不敵に笑った。
全身の血管を流れるマブイが、算盤の言葉に反抗するように激しく脈打っている。
「……計算、計算ってうるせぇよ、算盤。俺のマブイが燃え尽きるのが先か、お前のその綺麗なスーツが俺の熱で溶けるのが先か。佐世保でハッキリさせようぜ。俺の『一車』が、お前らの『ライン』をまとめて灰にしてやる」
通信がプツリと切れた後、健吾はすぐに阿蘇の源さんへメッセージを送った。
『源さん。次の佐世保、相手は完璧な包囲網を敷いてくる。……俺のスーツ、もう一段階「壊れる寸前」までリミッターを外してくれ。コアマブイを全部クランクに直結させる。余計な冷却はいらねぇ』
数日後。健吾は長崎県、佐世保競輪場に降り立った。
ここは400mバンクだが、直線が短く、独特の「山おろし」の風が吹く。
検車場では、算盤率いる京王閣ラインの面々が、健吾を冷徹な視線で包囲していた。
健吾の『炎(HOMURA)』は、源さんの手によってさらなる魔改造を施されていた。
外付けマブイタンクを排したその背中には、コアマブイ器官から直接エネルギーを吸い上げるための「脊髄抽管」が剥き出しで接続されている。一度プラグインすれば、レースが終わるまで外すことはできない。文字通り、魂を自転車に捧げる禁忌の契約。
「速水……本気か。その接続、一歩間違えればお前の精神が焼き切れるぞ」
かつてのライバル、羽柴が健吾の異様な装備を見て顔を強張らせる。
「構わねぇ。後ろを気にして走るくらいなら、前だけ見て燃え尽きた方がマシだ」
第12レース、九十九島賞・決勝。
夕暮れの佐世保バンクに、号砲が響き渡る。
健吾のコアマブイが、かつてない高電圧の咆哮を上げた。
阿蘇の地熱を宿した19歳の命が、プロの頂点へと続く絶壁に挑む。
(兄貴……見ててくれ。俺の火は、まだ消えちゃいねぇ。世界を丸ごと焼き尽くすまで、止まらねぇぜ!)
一筋の紅い閃光が、佐世保のバンクを焦がしながら突き進む。
速水健吾、その「魂の旋回」は、今、極限の領域へと足を踏み入れた。




