第3話◇この想いを魂に刻んで
「でも君は、叔父のモルヒ公によって領地に閉じ込められていて……やっと、会えた。なのに」
そこで、殿下の表情が大きく曇る。
両親を亡くして以降、ここ数年の私の、とても幸せとは言えない日々を、知ってしまわれたのか。
それとも、二人して命を落としてしまった現状を悔いていらっしゃるのか。
落ちる沈黙。
しばらく私たちは黙って歩を進める。
やがて、白銀カラスは立ち止まった。
いつの間にか、私たちの目の前には、殿下の身長より少し高いくらいのドアが現れていた。
純白に金の装飾の、荘厳で分厚い扉。
それは、木製でも金属製でもないように感じる。
少なくとも、私は見たことがない。
不思議な素材だわ……。
『女神様の間である。失礼のなきよう』
白銀カラスは言い置いて、そのままガシャンと音を立てて扉の横に控える。
すると、ドアが自然と両開きに開いた。
『英霊王の血筋の者。そして、精霊族の者。前へ』
突如、響く女性と思われる声。
その姿を私は見た。
そして霞む視界に立ったその方は、街の教会に設置してある女神様の像に、とてもよく似たお姿をしていると、確かに思ったのだった。
殿下も私も、思わず膝をついて、その首を垂れる。
『運命のいたずらによりわたくしの元にその足を踏み入れることになったあなた方は、しかし再び本来の道へと戻らなければなりません』
てっきり、このまま死後の国に連れ去られるのかと思い込んでいた。
なので、私もだけれど、きっと殿下も、びっくりしたと思う。
つい顔を上げて「えっ!?」なんて言ってしまいそうなのを、必死で耐えて、女神様の次のお言葉を待つ。
『今後、混沌とした時代を迎えるであろう、あなた方の世界を、あなた方自身が光となって導く必要があります』
私たち自身が、導く。
そうしなければならないような何かがこれから起こる、ということだろうか。
『あなた方に加護を与えます。死に戻り、今度こそ、正しき道を選びなさい』
お言葉と同時に女神様は私たちふたりを指差す。
するとその白い霧のように透けた指先から光が溢れて、帯となった。
帯はまず、アルウィン殿下の腰の剣に巻き付いて包み込むようにする。
影のように浮かび上がった剣は、元々王族が持つにふさわしいものだったはずだけど、その輝きが消えた後にはそれまでとは形が変わっていた。
そして同じ光は私の右手も包み込んで、何もなかったはずだった指に、見たことがない輝きを放つ白い宝石がついた指輪が現れた。
『しかし、ここは神の領域。人の生きる世とは、時の流れが異なる場。人の血が入った者には、この場での記憶を持ち帰ることは難しいでしょう』
「そんな……」
せっかく、殿下とたくさんお話しできたのに。
それも忘れてしまうなんて。
残念に思うけれど、神と人の世界の理は違っているらしい。
『ただし、魂の深くにまで刻まれる強い記憶であるなら、何かを契機として思い出せることも、あるやもしれません』
けれども、女神様はそう付け加えて下さった。
私と殿下の想いを汲んで下さったかのように。
『さぁ。全てを忘れてしまう前に、疾く戻りなさい』
女神様のその宣言と共に、新たに門が現われる。
それは幼い頃に王城で見たフラワーアーチに似ているようで、でもあの黄色い蔓薔薇とは全く違う、見たことがない透明に透けた花が咲いていた。
スズランのような小さな花が房状にたくさんついたその花は、風もないのにしゃらりしゃらりと軽やかな音を立てている。
門をくぐることをいざなうように。
神秘的なそれにどこか惹かれる気持ちはありつつも、私は隣の殿下を見上げる。
すると、アルウィン殿下は私を安心させるように目を細めて笑って見せた。
「大丈夫だ。私はここでの記憶を、想いを、心に刻む。元の時間に戻っても、絶対に君の記憶を取り戻して見せる」
誓うように言って、指先にキスを落とす。
名残惜しそうなその触れ方に、私の胸もきゅっと痛む。
「本当は、二度とこの手を離したくはないんだ」
「殿下……」
私も、もう少しお話したかった。
けれども、しゃらりしゃらりと花が鳴っている。
猶予のなさを知らせるように。
「また話そう。次はこのような形ではなく。会いに行く。そして今度こそ、何があろうと、きっとこの手で君を守ると約束するよ」
また会える。
そう、私たちはこれから死に戻るのだから。
「はい。お待ちしています」
であるなら、私も次こそは、絶対に殿下たちを巻き込まないわ。
二度と繰り返さない……。
「私の告白に対する返事は、次に会った時に……全てを思い出した後に、聞かせて欲しい」
「そう、ですね。その時に」
確かに、今はしっかりとしたお返事ができる状況じゃないと思う。
色々なことがあり過ぎて。
本当に嬉しいと、感じてはいるけれど……。
するりと殿下の手が私を引いて、私たちは歩き出す。
門の前に立った時、一度殿下が足を止めたから、私もそうした。
「……イリス。ここで話したことを、どうか君も魂に刻んで欲しい。そして次に会った時は、アルって呼んで。初めて出会ったあの頃みたいに」
耳打ちをするような小声で伝えられて、私は驚いて殿下の顔を見つめる。
そんな、愛称で呼ぶなんて、恐れ多いわ。
「他の誰でもなく、君に呼んで欲しくて、言っているんだよ」
その私の気後れを察したのか、殿下は笑って見せた。
何も心配する必要はないんだと、示すみたいに。
握られた手の力がまた少し強くなる。
まるで「本当は、二度とこの手を離したくはない」というお言葉を、先程からずっとその通りに実践していらっしゃるようだった。
「離したくないな……」
その思いが漏れてしまったかのように殿下が呟く。
もうあと数秒後には、完全に離れてしまわなければならない。
その時が近づいているのだと、分かっているからこそ。
だから、せめてと思って、私も同じくらいの強さで殿下のその手を握り返した。
離れがたい気持ちは私の中にもあるのだと、それだけはお伝えしたいと感じて。
「ありがとう。本当に、好きだよ。イリス」
察して下さったようで、アルウィン殿下が微笑む。
その笑みを拝見していると、胸がいっぱいになって泣きそうになる。
ああ、きっと私も、殿下のことを……。
その好意の言葉に対して、私がお返事をすることは叶わなかった。
次の瞬間、私たちは並んで門をくぐっていたからだ。
しゃらん。
しゃらん。
最後の殿下のお言葉と、あの花の音だけが耳の奥に残されて、ずっと遠く響いて、やがて私の意識は途切れていく。
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