装いせよ、宴にふさわしく
硬い表情のドクターやナースがわざとのように忙しくしてるのを見物しながら、死因だとか、動機だとか、ここの連中も深刻そうな顔で声を弾ませて噂しあっている。死体と遺族をいじくり回すマスコミは、あたしたちの中にある。
まーちゃんは、うーうーって言っている。そうだね。いやな感じだもんね。仕方ないよ、ほんのちょっとの間だから。あなたのことは忘れないって、涙ながらの葬儀が終われば、みんなの心からは片付いていく。片付けられないあたしは心が汚部屋になっている。人が死ぬなんて大したことじゃないのに。
本当によくあることなのに、夜勤明けのナースは嘆いてくれる。ほんのひと時だけ。疲れきっているのにジャンクなデータを書かなければならないから、いつまでもってことにはならない。
自分が死んでみるとよくわかる。わずかなデータが残るだけ。ハードディスクのほんの小さな領域。たけるの設計したものが少しでも多く残されていればいいのだけれど。
間もなく、あたしが生きているうちに、あたしのすべてが余すことなくデータに変換されるようになるだろう。DNAだけじゃなく、記憶も脳の動きも、何もかもすっきりと。例えばあの時、ニースのホテルで愛し合った感覚も。……たけるが感じていたあたしの感触も残しておいて欲しかった。いや、もしかしたらいずれ彼の遺灰から復元できるようになるかもしれない。
そんなディスクに閉じ込められ、ディスプレイで心のままに動き、メモリで自由に思考を発展させるあたしたち。既にそういう時代に向かって、みんなの魂は、装いを始めているのかもしれない。
わたしは何ものからも自由ですって? それはそれはanonymさん。真っ先に洞穴の外にまとめてご案内しましょう。ご安心ください、そこには生も死もありません。
「目は見えるかい? どうだい? 自分の姿は、魂は。どっちがみすぼらしいの?」
ゆうくんはあたしの目を覗き込みながら言う。
「振り返って自分を見ないといけないって。でも、まぶしい。死の眼差しは」
「海の中から首をもたげただけだよ。この世界はこいつの背中の上に乗っている島々だって気づかなかったの? いつも海の底からあんたを静かに見守ってくれてたって知らなかったの?」
心配してくれてたんだとわかった。何か言うと声が震えて泣いてしまいそうだ。
「でも、怖がることはないよ。君のことはもうすっかり取り込んじゃったから」
「復元できるの?」
「ううん。今は無理。でも、いずれまたここに戻るように君は自分で自分をプログラミングしていないって思うけどね」
いつから人間は言葉の表面的な意味と反対のことを伝えるようになったんだろう。文字を発明するよりずっと前のずっと偉大な発明だろう。
「良かれ悪しかれ今日は門出だ。どんちゃん騒ぎをしよう。大盤振る舞い、大宴会だ。酒を飲もうよ、カクテルを」
「あたしも飲んでもいい? 生きたくもないのに生きて、死にたくもないのに死んでしまったんだから」
「それくらいいいだろう。……規則はぼくらを縛り、ぼくらは他人という名の自分を規則で縛る。そうすることは正義、道徳なんだろう。どこまで行っても、自分自身に出会い、自分自身に拒絶されるんだ」
起床、ラジオ体操、朝食、清掃、休憩、入浴、問診、昼食、レクリエーション、休憩、夕食、テレビ、休憩、就寝、消灯。時間が氾濫する。杭のようなスケジュールの間を通って、あたしの踝、膝、腰、胸……ひたひたと全身を呑み込もうとしている。
「何をぶつぶつ言ってるの?」
びっくりした。なつかしい女の子の声が聞こえる。お人形のような服を着ている。
「しゃべれるんだ?」
「当ったり前じゃない。何だと思ってたの?」
あたしの肩口に見え隠れしていたけれど、ずっと知らんぷりして何も言ってくれなかった。
「わかんない。それより紹介するね。こっちは……」
「何を今さら。知ってるわよ」
「ああ、こいつとしゃべりすぎるのは危険だよ」
「危険? でも、あたし死んだんじゃないの?」
深淵に石を放り込むように訊く。
「死んでもなりたくないものは、生きててもなりたくないわ」
付合のように女の子が言う。
「でも、死体は何をされても抵抗できないでしょ? そういうのって嫌いじゃないでしょ?」
あまり考えなしにあたしが言う。
「いやだ。ぼくは死体じゃない」
「ママたち! 助けて!って言うの?」
女の子が嘲笑する。
「沈黙するんだ。石のように、神のように」
女の子を睨みつけたゆうくんがあたしだけに向かって言う。
「そぉんなに、嫌わなくたっていいんじゃなぁい?」
かわいい声、怖い声。
「仲良くしようよ。あんたのこと好きなのに。……あたしに任せて」
どうしてあたしを誘おうとするんだろう。
それから、あたしたちは長いこと話し合った。いつの間にか主治医が来て、問診をして、何か書類を書いて、何人かのナースが要領の悪い説明をした……。
「じゃあ、行く?」
女の子が訊く。湿気を帯びた西風が吹いて、潮のにおいがする海辺ならどこでもいいと思った。初めてその顔が見えたような気がした。
ゆっくりと立ち上がって、歩き出す。まーちゃんに心の中で、さよならと言う。
「だいじょうぶ。すぐに済むから」
たぶんナースの誰かの声が聞こえる。行き止まりの鉄の扉ががたん、ガシャンとすさまじい音を立てながらゆっくりと開く。そこに何もないことを祈りながらドアの向こうの光を見つめる。
―― Get it just before data swallows up you.
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この小説は過去に何回も書き直して、それでも自分でもよくわからない内容のままブログに掲げてあったものです。しかし、我ながら少なくとも後半はとても読めた代物ではないと思っていました。
今回、書いてきた小説をアップしていく過程で、後半を大幅に書き直し、余計な部分をそぎ落とし、小説として何とか読めるようにしました。
正直、満足しているわけではありませんが、今後はこれを書き直すよりは新作を書いた方がいいと思っています。