1、入って帰ってくるまでが冒険ですよ
「お嬢様が戻ってこないんです」
深刻そうな顔で、顔を青くし眉間に皴を寄せてそう切り出したのは、先ほど冒険者組合の廊下でトーカスに声をかけてきた清掃員だった。痩せた顔の、まだ働き盛りだろう若い青年だ。トーカスは相手に対して「若い」と思うなど自分も歳を食ったもんだと思いながら、いや、まだ自分だって三十代だろうと苦笑する。
その苦笑を自身への嘲笑と考えたのか、青年はムッとしたような反応を一度見せたが、すぐに自分が相手にとってまともに口を聞く立場ではないと弁えるような表情を見せた。
「わかってます、冒険者の方に依頼をするなら、冒険者組合を通せってことくらい。でも樹冠の貴方への依頼料はとても高くて、」
「いや、それはそうだが、今笑ったのはアンタに対してじゃないんだ。ちょっと思い出し笑いをな。悪かったよ。で、誰が戻ってこないって?」
トーカスが素直に謝罪を述べると、青年は少し驚いた顔をした。冒険者は金を払わないと目も合わせないと思っていたのだろうかかとトーカスは思った。
しかしこのトーカスの態度で青年は安心したのか、それとも相手に話を聞く気があるうちにと思ったのか、一気にまくし立ててくる。
「僕はベルネ村のヘンリーと言います。村の近くに領主様のお屋敷があり、以前は庭師をしていました。戻ってこないのはその村の領主様のお嬢様、アニス様です。お嬢様はとてもお優しい方で、僕のような使用人にも優しくしてくださいました。勇気がありお美しく、そして魔力のあるお方で、お小さい頃から魔法使いになることを夢見ていらっしゃいました。魔法使いになって領地をもっと良い土地にするのだと、そういう素晴らしい方なのです」
「ベルネ村を治めてる貴族といえば……ベル伯爵か」
地方貴族だが名前くらいは知っている。後半の情報はどうでもいいが、なるほど、貴族の令嬢絡みかとトーカスが頷くとヘンリーは話を続けた。
「一か月前です。王都の魔法学園を卒業されたお嬢様が、ご友人の方々と一緒にこの街の迷宮に向かわれたのは。そして彼女だけ未だに戻って来ないのです」
「諦めろ」
トーカスは壁に背中を預けて短く告げた。
「きっと、まだ生きています!」
「伯爵はそう判断していないから、“一か月前”になってんだろ?」
冒険者組合の大広間から少し離れた、従業員用の通路にてトーカスは自分に過ってバケツの水をかけてまで、呼び止めて話をしたがった青年を見下ろした。
アリアドネの街の冒険者組合は今日も活気づいている。三十二年前にこの街の北西に巨大迷宮、通称アトラスが出現してから、世界中の注目を浴び続けている都市だ。人口も多く、それだけ仕事もある。田舎から出てきた青年が、なんとか冒険者組合に入り込むのはそう難しくはないだろうが、それなりに苦労もあったはずだ。それほど助けたい相手というのはわかるが、トーカスは相手の優しさに感動して自分の命を投げ出せる聖人ではない。
「そもそもアトラスに入るってのは、全部自己責任だ。賢いお嬢様なら、そのあたりは承知で入っただろうさ」
「……いいや、違う。お嬢様は……アニスは、騙されたんだ」
「……おっと?」
「本当なら、卒業後にすぐに領地に戻ってくるはずだったんです……でも、彼女の婚約者が、彼女を、彼の幼馴染を虐めたと、卒業式に糾弾したんです。僕にはわかる……!アニスは誰かを傷つけるような子じゃない……!でも、彼女には味方がいなくて……婚約を破棄されたくなければ、迷宮に一緒についてこいと……」
「酸素袋か。随分原始的な手だな。というか、違法だろ」
「たかが男の見栄のために、アニスが消費されていいはずがない!」
見栄かどうか知らないが、なるほど事情は分かって来た。地方領主の令嬢と、その婚約者。何か学生同士のいざこざがあり、男貴族と言うものは名誉と地位に妙にこだわる。アトラス出現後、貴族男児たるもの世界の異変に対応すべしと。最低でも枝級であるようにという風潮があるそうで、魔法学園を卒業した貴族の子息令嬢が新米の種級となって冒険者組合をうろつくのをトーカスは何度も見ている。
貴族の子息の冒険となればもちろんそれなりの備えをして、お守りとして冒険者組合もそれなりの冒険者を斡旋したのではないだろうか。一か月前となると、トーカスは休暇で東の温泉地域に行っていたためその頃の人の行き来は知らない。
「そのあたりの事情を伯爵には言ったのか?」
「もちろん言いました。ただ……」
「あぁ、そうか」
婚約者の家との何か、まぁ、力関係もあるのだろう。
話を何となく把握してきたトーカスの、それでも青年に告げる言葉は変わらない。
「諦めろ」
死んでるかどうかは知らないが、この青年が自力でアトラスに潜ったところで助けられる可能性もゼロだし、依頼として組合に発注する金もない以上、未帰還の探索者捜索を引き受ける冒険者もいない。
「まぁ、種級のやつなら、アンタの半年分の給料で浅い層の探索くらいは引き受けてくれるんじゃないか。一度組合に、」
「半年後?今でさえ、一か月も経っているのに」
だから、諦めろということなのだ。トーカスはこちらを睨む青年を見下ろし、声に出さずに黙って相手に理解させた。
「……」
理不尽だと思うのか。それとも、他人に「なぜ救ってくれない!」と叫ぶのか。恨みはお門違いであり、自分に他人を従わせる金や力がないことを、この青年の立場ならよくよく理解しているだろうと思っての沈黙だ。
「…………話を聞いてくれたのは、貴方が初めてでした」
「だろうな」
「殴られたり、ちょっと職場の上司にこれ以上は問題になると言われたこともありました」
「毎回バケツの水を足にぶちまけてるのか」
「注意を確実に引けるので」
そりゃ大したもんだ。その度胸があれば、他のことで何か今後、運が向いてくるんじゃないだろうか。少なくとも、身分違いの相手のために自分の人生を投げ出さずともいいのではないか。
「わかりました」
「そりゃよかった。街はアンタのような人間にゃ合わねぇだろうさ。家族に土産でも買って、田舎に帰りな」
「僕が迷宮に潜ります」
「なんでそうなる?」
死にたいのかと、トーカスは真顔になった。死ぬかもしれないぞ、ではなく、確実に死ぬ。魔力のない人間ならこれは確定事項だ。
「迷宮の事は少しは知っています。ここで少し働いて、僕なりに情報収集もしたつもりです。冒険者の人の話も聞いてますし。ようは、息ができない場所ということですよね」
「簡単に言えばな」
「なら、息を止めていられる間、探し回ります。もしかしたらアニスは、浅い層まで戻ってきて、動けなくなっているだけかもしれません」
馬鹿なのか。それとも、わかっていて言っているのか。トーカスは呆れた。
「アンタが命をかけたら、俺が同情して、あるいは責任を感じて「付き合ってやるよ」とでも言うと思ってんのか」
「その余地はありますか」
「ねぇよ」
「貴方は僕の話を聞いてくれた人だから、僕が誰の為に迷宮に潜るか、聞いて知ってください」
人を遺書代わりにするんじゃねぇ、と、思ったが、これは時間差の心中かとも少し考えた。そもそも、そのアニスとかいう令嬢、親ではなく庭師だった青年に自分の身に起きたことを話した。その令嬢についてトーカスは知らないが、なるほど、身分と言うものと婚約者と自分の家との力関係を、理解していないわけではなかったとすれば、自分がこの先「生きて戻ることはないだろう」と理解していたのなら?
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「おやおやおや、それで、引き受けたっていうのかい、おや、まぁ、樹冠ともあろう者が随分と人が良い。はした金でそんな依頼を引き受けるっていうのなら、うちも運営が成り立たないねぇ」
「そういうんじゃねぇ」
依頼の受理がされた羊皮紙をトーカスに寄越したのは、ボロボロの布雑巾のような布をかぶった受付嬢……受付婆だ。組合の受付嬢と言えば若い娘の憧れの職業で、どの町の組合も見目麗しい若い娘たちに任せるのだが、このアリアドネの街の組合にはこの老婆がいる。もちろんちゃんと若い娘もいるのだが、「化石」「化け物」「奪衣婆」などと呼ばれているのがこの老婆だ。
いつも深く被った布と着込んだ何十もの暑苦しい服装の所為で瘦せているのかどうかもわからない。乾いた笑い声を響かせて、時々ふらっと受付に座っている。
以前、他所から来た冒険者が、若い娘に相手をされると思ったのにこの老婆が対応したもので、不快になって怒鳴っていたところをトーカスが間に入って助けたことがある。それ以来、何かとトーカスにちょっかいをかけてくるようになった。
「依頼報酬は……ふぅん、ルビーの原石か。それなりの大きさではあるけれど、研磨したらこの婆の小指の爪の先ほどもないんじゃないかねぇ」
「まぁ、変換紙の一枚くらいは買えるだろ」
「それでアンタがおんぶに抱っこで、恋人の躯のところにまで案内してやるって?」
「そこまで慈善家じゃない」
「フン。入れば戻れないだろう。――自分の母親と同じか、確かめたいのかい」
ぴしっと、カウンターが軋んだ。トーカスは無意識のうちの行動で、しかし謝罪する気はなく、老婆の方も失言したという顔をしない。涼しい顔で、トーカスの目に見えない怒気を受け止めて、そしてコロコロと笑う。この笑い声の時だけは、老婆の声は少女のように軽やかで明るい。いつも人を馬鹿にしたような老婆であるので、トーカスは自分の怒りを長くする必要はないとわかっていた。
「まぁ、アンタも久しぶりの迷宮だ。勘や腕がなまっちゃいないか確かめために浅い層をうろつくのもいいだろうさ。よいしょっと」
ごそごそごそと、老婆は自分のボロ布の内側を漁り、何かを出してきた。……動作的に、老婆の下履きだったらどうしようかとトーカスは身構えるが、テーブルに置かれたのは見慣れた手引書だった。
「アンタが留守居の間にね、呼吸回数が更新されてたよ」
「それくらい知ってるさ。手引書だって、」
「馬鹿だねぇ、これはその若造の分さ。手引書を買う金だってありゃしないだろう。アンタが一緒にいるにしても、逸れた時に手引書なしじゃねぇ」
迷宮用の手引書「血の手引書」と呼ばれている、迷宮探索の必須アイテムである。
なろうが色々仕様が変わっててびっくり。




