第114話:戦闘(言動)継承戦⑦
「……それなら、俺の負けだ」
ルシエルのその一言は、静かだった。
だが誰よりも重かった。
「……」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
会場の全員が、理解できなかった。
そして次の瞬間――
ざわっ、と。
空気が一気に揺れる。
「……勝った……?」
「今の……認めたのか……?」
押し殺した声が、あちこちから漏れる。
記録官たちも、互いに顔を見合わせる。
だが。
その中央で。
エフィナは――動かなかった。
「……」
ただ、じっとルシエルを見ている。
(……終わった?)
実感が、まだ追いつかない。
ルシエルは、ゆっくりと目を開けた。
その表情は――
今までで一番、穏やかだった。
「……はあ」
軽く肩を回す。
「まさか、ここまでやられるとは思わなかった」
苦笑。
だが、その声に悔しさはほとんどない。
「……本気だった?」
エフィナが、ぽつりと聞く。
ルシエルは、少しだけ目を細めた。
「もちろんだ」
即答。
「最初から、ちゃんと勝つつもりだったさ」
その言葉に、嘘はない。
「ただ」
一拍。
「途中からは……まあ」
小さく笑う。
「ちょっと楽しくなってたがな」
その軽さに。
場の緊張が、わずかにほどける。
エフィナは、ゆっくりと息を吐いた。
肩の力が、抜ける。
その瞬間――
「エフィナ!!」
カナトの声が、弾けた。
次の瞬間には、もう駆け出している。
「おい、カナト!」
エルネストの制止も間に合わない。
カナトは、そのままエフィナの元へ飛び込んだ。
「うわっ……!?」
その勢いのまま、エフィナを抱きしめる。
「すごい……すごいよエフィナ……!」
声が震えている。
本気で、嬉しそうに。
「……カナト……」
エフィナの目が、少し潤む。
遅れて。
「……ほんとにもう」
ユナが歩いてくる。
腕を組みながら。
でも、その顔は――少しだけ緩んでいる。
「最後くらい、ちゃんと一人で締めなさいよね」
そう言いながら。
ぐい、とカナトの襟を引っ張る。
「苦しっ……ユナ!?」
「はいはい、交代」
そのまま。
今度はユナが、エフィナをぎゅっと抱きしめた。
「……よくやったわ」
小さく、耳元で囁く。
その声は――優しかった。
「……うん」
エフィナは、静かに頷いた。
その様子を。
少し離れた場所から――
エルネストが見ていた。
「……見事だ」
ぽつりと呟く。
その目は、どこか誇らしげだった。
そのとき。
「――静粛に」
低く、よく通る声が響いた。
一瞬で、場が静まる。
ジルヴァ・アーク・オベリオン。
見届け人が、一歩前に出る。
その姿だけで、空気が引き締まる。
「今の戦いについて」
静かに、しかしはっきりと。
「記録官一同の見解は一致している」
エフィナたちも、そちらへ視線を向ける。
「本継承戦――」
一拍。
「勝者、エフィナ・ルア・ファルミナス」
その宣言が落ちた瞬間。
会場が、大きく揺れた。
歓声。
驚き。
ざわめき。
様々な感情が、一気に溢れる。
エフィナはただ、立ち尽くしていた。
「……勝った……」
小さく、呟く。
その声は、自分に言い聞かせるようだった。
ジルヴァは、その様子を静かに見つめる。
そして――
わずかに、目を細めた。
(……やはり)
心の中で、呟く。
(あなた様は、そこに辿り着いたか)
誰にも聞こえない、評価。
その一方で。
「……おい」
ルシエルが、ぽつりと声をかける。
エフィナが振り返る。
「何?」
ルシエルは、少しだけ考えるように間を置いて。
「一つだけ、いいか?」
「うん」
エフィナは頷く。
ルシエルは、静かに言った。
「なんで、そこまでできる?」
「……え?」
「ダルガンも、シェーヴァも、ヴォルツも」
視線を落とす。
「普通は、そこまで見ない」
「この継承戦は利用するか、倒すか、それだけだ」
顔を上げる。
「なのにお前は、“理解しようとした”」
その言葉には。
ほんの少しだけ、疑問が混じっていた。
エフィナは、少しだけ考えて――
「……わかんない」
と、笑った。
「は?」
ルシエルが、思わず間の抜けた声を出す。
「でも」
エフィナは続ける。
「知りたかったから」
それだけ。
「どうしてそうするのか」
「何を考えてるのか」
「ちゃんと分かりたかった」
まっすぐに。
「それだけだよ」
シンプルな答え。
だがルシエルは、しばらく何も言えなかった。
「……そっか」
小さく、呟く。
そして。
「……やっぱり、勝てないな」
今度は、少しだけ悔しそうに笑った。
遠くで。
ジルヴァが、その様子を見ていた。
「……面白い」
誰にも聞こえない声で、呟く。
「本当に」
その瞳には――
わずかな期待が、宿っていた。
ざわめきが、まだ会場に残っている。
勝敗は決した。
エフィナは仲間に囲まれている。
その光景を少し離れた場所から、ルシエルは静かに見ていた。
「……」
表情は、穏やかだ。
だが、その目はどこか遠くを見ている。
「……終わったな」
背後から、低い声がした。
振り返らないまま、ルシエルは答える。
「まあな」
気配だけで分かる。
エルネストだ。
「随分と執着していたように見えたが」
静かな問い。
「他の候補者には、あそこまでやらなかった」
ルシエルは、少しだけ笑った。
「あぁ」
一拍。
「“確認したかった”から」
「確認?」
エルネストが眉をひそめる。
ルシエルは、ゆっくりと視線をエフィナへ戻した。
「……あいつが」
小さく呟く。
「“本物”かどうか」
その言葉に、重みが宿る。
エルネストは、黙って続きを待つ。
ルシエルは、静かに語り始めた。
「昔」
「まだ、あいつが“ああなる前”」
言葉を選ぶように。
「記憶を失う前のエフィナを、見たことがある」
エルネストの目が、わずかに動く。
「……」
ルシエルは続ける。
「あの時の魔界は」
「力が全てで、めちゃくちゃだった。今もそう変わらんがな……」
淡々とした声。
「前魔王――」
自分の父のことを指す。
「悪くはなかったよ」
「統治も、それなりにできてた」
だが――
「限界だった」
はっきりと言い切る。
「力を見せつける事でしか均衡を保つことができてなかった」
「変える力は、なかった」
静かな評価。
「……」
エルネストは何も言わない。
ルシエルは続ける。
「そんな中で」
「エフィナを見た」
ほんの少しだけ、目を細める。
「……異質だった」
その一言に、全てが込められていた。
「強さもあった」
「頭も回った」
「でも、それだけじゃない」
一拍。
「“周りを変える力”があった」
言葉に、確信が乗る。
「気づいたら、空気が変わってる」
「人が動いてる」
「流れが変わってる」
静かに語る。
「それを、無意識でやってた」
エルネストの眉が、わずかに動く。
「……」
ルシエルは、ぽつりと呟いた。
「だから思ったんだよ」
一拍。
「“あいつが魔王やればいいのに”って」
その言葉は――
あまりにも率直だった。
「……だが」
エルネストが低く言う。
「今のエフィナは違う」
記憶を失い。
力も失い。
別人のようになっている。
ルシエルは、ゆっくりと頷いた。
「そう」
「だから確認したかった」
視線を、再びエフィナへ向ける。
「全部失っても」
「それでも、“あれ”が残ってるのか」
静かに。
だが、強く。
「それがなかったら」
「価値はない」
冷酷な言葉。
だが――
そこに嘘はない。
「……それで」
エルネストが問う。
「結果は?」
ルシエルは、少しだけ笑った。
「見ただろ」
その一言。
そして――
「……完璧だ」
小さく、呟く。
「むしろ、前よりいいかもしれん」
その評価に、迷いはなかった。
「記憶も力もないのに」
「ちゃんと“本質”に辿り着いた」
視線が、少しだけ柔らかくなる。
「やっぱり、あの時の俺の考えは間違ってなかった」
確信。
完全な確信。
少しの沈黙。
そのあと、エルネストが口を開く。
「……なら、なぜ負けを認めた」
当然の疑問。
ルシエルは、肩をすくめた。
「勝てないから」
即答。
「“ああいうやつ”には」
少しだけ苦笑する。
「正しさで勝とうとしても無理だよ」
「根本が違う」
視線を細める。
「“全部見てるやつ”だから」
その時。
遠くで、エフィナが笑った。
カナトたちと、嬉しそうに。
その光景を見て。
ルシエルは、ぽつりと呟く。
「……やっぱり」
一拍。
「お前がやるべきだったんだ」
それは――
誰にも聞こえない言葉。
だが。
確かに、“王を認めた者”の言葉だった。
喧騒が、少しずつ落ち着いていく。
勝者が決まり。
興奮とざわめきが、ゆっくりと引いていく中で――
ルシエルは、まだその場に立っていた。
「……完敗だな」
小さく呟く。
その隣で、エルネストが腕を組んだまま言う。
「いい戦いだった」
簡潔な言葉。
だが、その中には確かな評価があった。
「……あんたに言われるのはなんか複雑だ」
ルシエルが苦笑する。
「父親を殺した相手だからか?」
エルネストは、淡々と返す。
「……まあな」
軽く肩をすくめるルシエル。
だが――
その声に、強い憎しみはなかった。
ただ、引っかかりだけが残っているような。
そのとき。
「……ルシエル」
静かな声が、二人の間に入る。
振り返ると――
エフィナが、少しだけ緊張した様子で立っていた。
「……どうした?」
ルシエルが問いかける。
エフィナは、一瞬だけ言葉を探すように視線を落とし――
ゆっくりと、顔を上げた。
「……あのね」
少しだけ、ためらう。
でも。
「話しておきたいことがあるの。アストレアの事で」
はっきりと言った。
アストレア、前魔王の名前。
ルシエルは、何も言わずに続きを待つ。
エルネストも、静かに耳を傾ける。
エフィナは、小さく息を吸ってから――
語り始めた。
「あたしたちが、魔界に来れたのって」
「アストレアのおかげなんだ」
その言葉に。
ルシエルの目が、わずかに揺れる。
「……ん?」
思わず、声が漏れる。
エフィナは続ける。
「肉体は……エルネストに倒されたけど」
ちらりと、隣のエルネストを見る。
エルネストは、無言で頷いた。
「でも」
エフィナは視線を戻す。
「“影”だけは残ってた」
「魂みたいなもの……かな」
静かに。
一つ一つ、言葉を選ぶように。
「ずっと、生きてた」
ルシエルの表情が、固まる。
「……そんな話、聞いたことない」
当然だった。
人間界の話だ。
知らされていない。
知るはずもない。
エフィナは、少しだけ俯く。
「最初は……」
「ちゃんとした意識があって、あたしを助けてくれた」
「でも」
ぎゅっと、手を握る。
「途中で……」
言葉に、少しだけ重さが乗る。
「野心とエルネストに殺された憎しみに、飲み込まれかけた」
その瞬間。
空気が、わずかに張り詰める。
ルシエルの目が、鋭くなる。
「……どういう意味だ?」
低い声。
エフィナは、まっすぐ見返した。
「あたしの体を乗っ取って」
「復活しようとしたの」
「……っ」
ルシエルの息が、止まる。
「でも」
エフィナは続ける。
「止まった」
一拍。
「カナトと、ユナと」
「あと……二人の冒険者の人たち」
その時の光景を、思い出すように。
「みんなで止めたの」
「……」
ルシエルは、何も言えない。
エフィナの声は、少しだけ柔らかくなる。
「その時ね」
「ちゃんと戻ってきたの」
「……戻ってきた?」
「うん」
小さく頷く。
「理性を取り戻して」
「ちゃんと、“自分”に戻った」
静かな確信。
「そして、あたしたちを魔界に送り出してくれたアストレアはね」
ほんの少し、微笑む。
「すごく……気高かった」
その言葉が。
ゆっくりと、落ちていく。
「自分が何をしようとしたのか」
「全部分かってて」
「それでも、ちゃんと受け入れて」
「最後は……」
一拍。
「“王として”終わった」
――沈黙。
完全な沈黙。
エフィナは、まっすぐルシエルを見て言った。
「魔界を統べる王として」
「申し分のない存在だったと思う」
その言葉は――
飾りのない、本心だった。
「……」
ルシエルは、動かなかった。
何も言わない。
ただ、立っている。
だがその目が、わずかに揺れている。
「……そっか」
ぽつりと。
声が、漏れた。
「……ちゃんと、終われたのか」
その言葉は、とても小さかった。
だが。
そこにあったのは――
長く抱えていた“何か”が、ほどけていく感覚だった。
「……」
ルシエルは、ゆっくりと目を閉じる。
胸の奥にあった、引っかかり。
理解できなかった父の最期。
「……ずっと」
小さく、呟く。
「どこかで思ってた」
「父は……最後、堕ちたんじゃないかって」
声が、少しだけ震える。
「魔王としてじゃなくて」
「ただの“暴走した存在”として終わったんじゃないかって」
それは――
息子としての、恐れだった。
「だが……」
ゆっくりと、目を開ける。
その目には――
うっすらと、光るものが浮かんでいた。
「違ったのだな」
ほんの少しだけ、笑う。
安堵の笑み。
「……ありがとう」
エフィナに向けて、言う。
その声は――
とても、軽かった。
長く背負っていたものを、ようやく下ろしたように。
一筋。
涙が、静かに頬を伝った。
ルシエルは、それを拭おうともしなかった。
エルネストは、その様子を静かに見ていた。
「……そうだな」
ぽつりと呟く。
「最後の奴は、確かに“王”だった……」
短く。
だが、その言葉にはかつて倒した相手への、確かな敬意があった。
エフィナは、そんな二人を見て――
静かに、息を吐いた。
(……よかった)
心の中で、そう思う。
戦いは終わった。
でも“ちゃんと終わってなかったもの”も、今ここで終わった。
遠くで。
カナトとユナが、その様子を見ている。
「……なんか」
カナトがぽつりと呟く。
「すごいな……」
ユナは、腕を組んだまま。
「ほんとにね」
小さく笑う。
「全部、繋がってるみたい」
そして――
シェーヴァが失格になった事によりこれにて継承戦は終了。
物語は、次へ進む。
“誰が王になるのか”
その答えが、下される時が迫る。




