真実と男達 1
「――さて。お話とは?」
ローテーブルを挟んだソファに向かい合って座り、足を組んだ楽な格好でクライスラー公爵は尋ねた。
シュナイダー公爵は少し考えた後、思い切って尋ねた。
「……貴公は、レティシア様を今後どうなさるおつもりか? レティシア様は希少な『ヴォールのアメジスト』を持つ皇族。本来ならばその瞳を持ってして、皇位を継がれてもおかしくはないお立場だ。隣国の小さな王国などに嫁がせるようなお方ではない!」
それを聞いたクライスラー公爵は失笑した。
「その、希少な存在であったヴァイオレット皇女はこの帝国を追われたというのにですか? ……皇女様は望んで自らこの帝国を離れられた訳では無い。ご自分の宮にまで現れた暗殺者に、このままでは危険だとそう思われたからだ」
「……ッ!」
シュナイダー公爵は言葉に詰まる。
「……我が家も大きな事は言えた立場ではありませんが、皇女の母の実家であった貴公の家も皇女を追い詰めた一因なのでは? ……何故、宮を追われた皇女殿下が母の実家である貴公の家に助けを求めなかったのか」
ギクリ……。
シュナイダー公爵が分かりやすく動揺した。
クライスラー公爵はこの20年ずっとヴァイオレット皇女を探していた。そしてその中で色んな可能性を考えた。
そして行き着いた考えの中で、勿論自分の父が何かをした可能性ともう一つ。何故皇女の味方であるべき外祖父の家であるシュナイダー公爵家が動かなかったのか? という理由。
我が父に狙われたとなれば、当然外祖父であるシュナイダー公爵家を頼るはず。我がクライスラー公爵家の力から逃げるにはそれが1番の方法だったはずだ。
……本当は、自分を頼って欲しかったが、それは周囲が敵だらけだったあの当時の皇女には判断しかねる事だったのだろう。
それが、あの当時シュナイダー公爵家は真剣に皇女を探した様子がなかった。
……いやむしろ、もしもシュナイダー公爵が皇女を捕らえたならばそのまま闇に葬っていたのでは無いかとさえ思えるのだ。当時はまだ兄弟で皇位争いが続いていたとはいえ、シュナイダー公爵家の周囲の守りは随分と攻撃的であったのだ。
「……当時は貴公も私もまだ若かった。大人たちの動きに気付かれなかったのやもしれませんが……」
「…………のだ」
クライスラー公爵の言葉の途中、シュナイダー公爵が何事か小さく呟いた。
「? 今なんと……?」
聞き返すと、シュナイダー公爵は思い詰めた顔で告白した。
「……ヴァイオレット皇女だったのだ!! マリアンヌ陛下が次の皇帝にとご指名されたのは……! 他の誰でも無い、ヴァイオレット皇女殿下であったのだ……! ……10年程前、私の父である前公爵が今際の際に私にそう告白したのだ……!」
クライスラー公爵は、思いもかけない告白に驚きで言葉が出なかった。
「……20年前、突然皇太子殿下がお亡くなりになり一気に帝国内が不安定になった。マリアンヌ陛下もご高齢だった事もあり、たった1人の息子である皇太子殿下に突然先立たれ心労で体調を崩された。……しかし、最初は意識をなくされる程のご病状ではなく、あの時陛下はご自分の病床に皇太子殿下の2人の皇妃の実家、つまりは我が家と第二妃の侯爵家、そしてクライスラー公爵の3家の当主だけを呼ばれ、次代の皇太子を指名されたそうだ。……それが、ヴァイオレット皇女、だったのだ……!」
「……ッ! ……なんと……」
流石のクライスラー公爵も驚きで二の句が紡げなかった。
……確かにマリアンヌ皇帝はヴァイオレット皇女を溺愛していた。生まれた時からその瞳が自分と同じ皇室に伝わる『ヴォールのアメジスト』であり名付け親となる位に気に入っていた。そして皇女が成長しその愛らしさと機転の良さに更に目をかけていた。
だが人々は皆、マリアンヌ皇帝はたった1人の孫娘で、いずれ嫁ぐ存在であるから皇女を可愛がっているだけとしか考えていなかった。
「……クライスラー公爵家は当然だろうが、我が父もそのマリアンヌ陛下のお言葉に納得がいかなかった。我が家はジークベルト殿下がお生まれになった時よりずっと殿下を次期皇帝とするべく支持して来た。その妹とはいえ、今更皇女に方針転換など出来なかったのだそうだ。……そうして、我が家からもクライスラー公爵家からも、ヴァイオレット皇女の存在は邪魔となった」
……『邪魔』……?
クライスラー公爵は全く無意識にシュナイダー公爵に掴みかかっていた。
「邪魔、だと……!? 皇女殿下を……ヴァイオレットを……ッ! 邪魔だと言ったか!!」
殴りかかったクライスラー公爵を、兄が心配でそっと追いかけて来て話を聞いていたゼーベック侯爵が飛び入り、身をもって止めてきた。
「……お待ちくださいッ! 閣下ッ! お怒りはッ……お怒りはごもっともで……ッ! ……申し訳……、申し訳ございませんッ……! ……あぁ、何という、何という事だ……。まさか我が家が……父上が……ヴァイオレット皇女殿下を……!」
ゼーベック侯爵は涙を流し謝りながらクライスラー公爵を必死でとめた。シュナイダー公爵も泣きながらもクライスラー公爵に敢えて殴られるままでいた。
初めは正気を失う程の状態だったクライスラー公爵も、だんだん少し落ち着きを取り戻す。
クライスラー公爵は肩で息をしながら言った。
「……それで、シュナイダー公爵家は身内であるはずのヴァイオレット皇女を捨てたという事か……! その後結局帝位争いにも負け、手酷い目にもあったと。……自業自得だな」
吐き捨てるように言ったクライスラー公爵に、シュナイダー公爵家の兄弟は反論出来るはずもない。
「……その、通りです……。その後急激に痩せ衰え心を病んだ父公爵を、当時の私はただ帝位争いに負けたショックからだとそう思っておりましたが……。
仰る通り、全くの自業自得……! ……父は罰を受けたのです。マリアンヌ陛下のお心を裏切り孫であるヴァイオレット皇女を見捨てた、その罰を……」
クライスラー公爵はそれ以上は何も言えなかった。自分の父公爵もヴァイオレット皇女暗殺には関わっているのだ。
クライスラー公爵はやり場のない怒りに、拳を握りしめた。
「……であればこそ、尚更レティシア様はこの帝国を継がれるべきお方なのです……!! ヴァイオレット皇女殿下の娘であるレティシア様こそ、正統な皇位継承者であられる……! しかしながらレティシア様は外国育ちであられるし、帝王学も受けられていない。ここはアルフォンス殿下とご結婚され、その正統な血を次代に繋げるべきなのです!!」
シュナイダー公爵はそう熱弁した。そしてその横で虚な目をしながらゼーベック侯爵も頷いた。……彼らはそうする事でしか、正しい道に戻せないと思った。
クライスラー公爵は、シュナイダー公爵兄弟を凍るような目で睥睨した。
「……貴公らは、その愚かな父と同じなのだな。自分の事しか考えてはいない」
そう言われたシュナイダー公爵は思わずカッとして言い返した。
「我らのどこが、勝手だというのだ! 我らは、親世代での間違いを正そうとしている! そして今後は我らの命の限り、レティシア様のお力になる決意でいるのです!」
「……そうしてその間違いを正すという事の、犠牲になるのは誰だ? お前たちの言う正義は、レティシアの気持ちを無視して人生を歪め犠牲にする事を前提としている」
クライスラー公爵の言葉が、義憤に燃える2人には伝わらない。
「何を言うのです!? マリアンヌ陛下もそう認められていたのなら、レティシア様こそあの『ヴォールのアメジスト』を持つ正統な皇位継承者! この大帝国であるヴォール帝国の皇妃となる事が『犠牲』とは、閣下こそどうかされているのではないのか!?」
ゼーベック侯爵が力を込めて言った。……そう、帝国の皇妃となる事は誉れ。喜びこそすれ、嫌がるはずがない、そう2人は思い込んでいた。
「愛する者と想いが通じ婚約までした者達を引き離すことが正義か? その上で見知らぬ国の皇妃となって喜べと言われてレティシアは喜ぶだろうか? それで本当に幸せになれようか? 貴公達の言う『正義』とは、ただの『自己満足』だ。お前たちの親がしでかしたそのツケを、直接関係のないレティシアに払わせようとしているのだ」
事実を指摘され、ゼーベック侯爵は震えた。しかしシュナイダー公爵は更に熱くなった。
「んな……ッ!? 閣下は皇女殿下ただ1人などと綺麗事をいうようなお方だからそう仰るのだ。普通の貴族令嬢ならば大概は皇妃を選びますぞ!」
「その貴族の令嬢は愛を知らぬのだろう。……貴公らもな。そもそもヴァイオレット皇女を追い詰めた者が皇女の娘であるレティシアに何かを求める事自体が間違っている。
レティシアの望みや幸せを叶える事こそが我らが唯一出来る真の償いなのだ」
「……ッ!! ヴァイオレット皇女への……真の償い……?」
ゼーベック侯爵はそう言って黙り込んでしまった。
しかしシュナイダー公爵は父公爵が間違えてしまったパズルのピースを元に戻すことしか考えられないでいた。10年前に父公爵の懺悔を聞いてから、正しい道筋に戻せるものなら戻したいとずっと願っていた。それが今レティシアというピースをこちらに戻す事で叶うのだ。
……最早シュナイダー公爵は父の妄執にすっかり囚われてしまっていた。
「……いいや! いずれレティシア様も分かってくださるはずだ! 『ヴォールのアメジスト』はこの帝国に戻るべきなのだ!」
邪魔をするならば、いっそクライスラー公爵を――!
シュナイダー公爵は懐に隠し持っていた短剣を取り出した。
お読みいただきありがとうございます。
ヴァイオレット皇女は暗殺者に狙われ宮を数人の護衛と乳母と共に流れた後、祖父であるシュナイダー公爵の所に向かおうとします。……が、途中で公爵の『皇女』を始末せよとの話を聞いてしまい、今更宮にも戻れずそのまま亡命する事になりました。




