帝国の公爵 3
「叔母上。……お加減はいかがですか?」
見舞いとは思えない、それは鮮やかな笑顔で訪れた甥であるクライスラー公爵。
その背筋が凍る程の冷たい微笑みに気付き、王太后は知らず震えた。……しかし、彼女はどうしても知っておきたい事があった。
「……良いはずなどない。アレは……あの、娘はいったいなんなのだ? お前も見たのであろう? あの……マリアンナ陛下の瞳にそっくりなあの娘を……! 初めは帝国からの……陛下の使者なのかと思ったが……。
マリアンナ陛下の妹であった母の瞳でさえ、薄紫だった……。……私も。今皇家の縁戚であの年頃の娘は居ないはずだ。しかしあれ程の深い紫色は皇家の、しかも相当血の濃い者以外あり得ない……! だとするならば、まさか……。お前はあの皇女は死んだと、そう言っていたのではなかったのか!?」
人払いはしてある。王太后はやっとこの問いに答えられる者が来たと、その疑問をクライスラー公爵にぶつけた。
「……皇女は……、今はもうおられません。貴女も、もし皇女を見つけたのなら弑しめよと、そう父上から言われていたのではないのですか?」
反対にそう問われた。
「……ッ! そうだ……。兄上からはそのように文が届いていた。しかし私は何もしていないぞ! 皇女の生死さえ知らなかった! そもそもお前が前皇帝の御世になった時に皇女を娶りたいなどと言い出すから、兄上がお怒りになられたのだぞ……! そうでなければ皇女は帝国で政略結婚の駒として利用され生かされ続けていただろう。……この私のようにな」
王太后も政略でこのランゴーニュ王国に嫁いできた。そしてその夫には元々婚約者がいた。2人は想いあっていたのだ。自分が望んで来た訳ではないのに、想い合う2人の邪魔をした帝国の女と言われ続けた。どうしてそんな状況で2国を繋ぐ絆となれようか?
そして夫がその元婚約者との関係を続けていた事を知っている。それを誤魔化す為に沢山の愛妾がいるように見せかけていた事にも、本当は気付いていた。
皇族や高位貴族に生まれた子女は、そうなる運命。恋や愛などあり得ないのだ。
――それなのに。
ヴァイオレット皇女はこの甥に深く想われ、自分の実の兄が帝位争いに負けた後もただの駒になるだろうその運命を逃れようとしていた。
だから、もし皇女を見つければ真っ先に兄に引き渡そうと思っていた。皇女としての自分の役目を逃れ今も逃げ続けている卑怯な皇女を。
「――やはり父上、ですか……。
3年半前、新皇帝の命を受けてこのランゴーニュ王国にやって来た私達使節団の中で、私以外に叔母上に謁見した者がおりますね。その時貴女は皇女の話を聞き彼から協力を仰がれたはずだ」
「……知らん! 私は奴から皇女を見つけ処分しようとしたが逃げられた、その後は分からないとの報告を受けただけだ!」
「だが、貴女はその男から請われるまま皇女を手にかける為の人を貸した。そうして皇女は死んだと思った。あの男がそのような口ぶりだったのですね?」
「あの男が狙いを付けてしくじるはずがない、そう思っただけだ……! 私は何も知らない。人を貸せと言うから貸しただけ……! ……やはり、あの娘は皇女の娘なのだな!? ……あの娘を私に寄越せ! この私が教育し直し、どこぞの田舎貴族にでも嫁に出してやるわ!」
……やはり。
愛するヴァイオレットの死にはこの王太后も関わっていた。そして我が父も……! そしてこの叔母は、ヴァイオレットの大切な娘レティシアを危険に晒す……!
「……ひっ!!」
クライスラー公爵から怒りの炎が見えた気がして、王太后は思わず叫ぶ。
恐怖に震える王太后にクライスラー公爵は氷のような冷たい視線を向け告げた。
「叔母上。私は貴女も父も決して許しません。
……今この時から、貴女の周りの我が公爵家からの援助は一切引き上げさせていただきます。誰一人味方の居ないこの王国の片隅で侘しく余生を送られるといい。……もう、お会いする事はないでしょう」
そう言って甥であるクライスラー公爵は去っていった。
一瞬、命を奪われるかと思った王太后だったが、捨て台詞だけ言って去った公爵の後ろ姿を見てホッと安心していたが――。
翌日、王太后に仕えていた侍従や侍女は一斉に帝国へ引き揚げほぼ無人となった。元々王国の人間を信用していなかった王太后の周りには帝国人ばかりだったのだ。
そして帝国からの資金も贈り物も無くなった王太后宮は、一気に寂れた。
しばらくしてそれに気付いた国王は驚いて人を入れようとしたが、王太后は拒否。その後贅を尽くした暮らしをしていた王太后は急激にやつれ、力を無くし帝国の影に怯えながらの侘しい余生を送ることとなった。
◇ ◇ ◇
「――レティシア。私は先に出発し、ヴォール帝国で君の到着を待っている。君の好きだというラベンダーを基調にした可愛い部屋を用意して待っているから楽しみにしておいで。他にも必要な物があれば手紙を出すかハンナに言いなさい。そして……、ハンナや護衛といつも一緒にいるように」
あのパーティーの2日後。新たな父となるクライスラー公爵はもうこのランゴーニュ王国を出国することになっていた。
昨日は公爵は叔母である王太后様にご挨拶された後、私の所へ来て公爵家での暮らしの希望をアレコレと聞かれた。
私はラベンダーが好きな事、原色などよりも優しい可愛いパステルな色が好き、だけど余りにもピンクやヒラヒラは少し苦手かもと話した。
公爵は、私のどんな話でも興味深そうに優しく微笑みながら話を聞いてくれる。……本当に、出来たお方だわ……。
私の実のお母様の幼馴染だったというクライスラー公爵。けれど母の実家の話を聞こうとすると、「詳しくは帝国に着いてからゆっくりと話そう」と躱された。それよりも、今は私がヴォール帝国に着くまでの準備の根回し等をしてしまおうと言われている。うん、確かにそうね。物事には順序というものがあるから……。
一通りのレティシアのこれからの希望を聞いたら、今度は公爵は今現在のレティシアの身の回りの話をして来た。
パーティーで一緒にいた高位貴族であるミーシャのベルニエ侯爵家とその婚約者であるラングレー公爵家にレティシアのこの王国にいる間の後見を頼み、出発までの衣装など持ち物の準備をする事になった。……資金はクライスラー公爵家持ちで。
帝国の公爵に娘を頼まれたベルニエ侯爵家とラングレー公爵家は喜び張り切って準備に乗り出してくれた。
おそらく凄い金額がかかってしまう事に恐縮しきりのレティシアに、クライスラー公爵は「可愛い娘にこの位安いもの。むしろ、私に色々親らしい事をさせて欲しい。これも親孝行ですよ」とにこやかに返された。
うーん……。
こんなに色々してもらう事を親孝行だなんて……。でも、せっかくしていただくのだから、喜んで受け取った方がこの場合は公爵も嬉しく思ってくれるのかしらね?
……そしてその思いに応えられるように『淑女教育』を頑張って素敵な令嬢にならないとね! そしてこれからも公爵に誇ってもらえるような人になりたい。
レティシアはそう決心した。
◇ ◇ ◇
「それでは、コベール子爵殿。私は先に帝国に帰りますが、レティシアをくれぐれもよろしくお願いします。……そしてレティシアが私の元に来た後は、必ず彼女を守り曇りない心でこの王国に帰って来られるよう尽力します」
クライスラー公爵は出発前に、見送りの人々の中にいたレティシアの伯父であるコベール子爵に挨拶に来た。
公爵は挨拶をすると子爵と固く握手を交わした。2人はお互いに同じ大切な人を守る者として認め合っていた。
「何とぞ……、何とぞレティシアを、宜しくお願いいたします。クライスラー公爵閣下もくれぐれもお気を付けて」
そうしてクライスラー公爵は国王やリオネルと挨拶を交わし、最後レティシアにくれぐれも公爵の付けた護衛や侍女を近くに置いておくようにと言い置いて、名残惜し気にレティシアを見詰めながら出発した。
お読みいただき、ありがとうございます。
……そして、王太后は失脚しました。




