6-2 王子再訪
冬李王子がやって来たのは、一月後だった。
「ふひひ、これはお久しゅうございます。殿下」
銀目が揉み手をしながら、王子と彼に従う女性を迎える。この間の屈強な護衛の男性ではない。赤毛であるのに黒曜石のような黒々とした瞳が印象的な、たおやかな女性だ。
銀目が手を揉むたびに、しゃらんと腕輪が鳴った。
ベールで顔を覆った占い師の老女を、王子は一瞥する。
「ふん。いつまでも桂国に戻ってこぬと思えば。藍国で遊びほうけておったのか」
「なぁに、藍国の茶が美味すぎましてな。干した果実と花びら、それに氷砂糖が入っておるんですよ。ほーれ、婆は常に茶腹でございます」
「馬鹿馬鹿しい」
ふと、冬李は清蘭と側に立つシェルに気づいた。
「久しいな」
「そうでしょうか」
愛想笑いも浮かべぬ清蘭を見て、冬李は困ったように眉を下げた。
「つれないことだ。余のことを恨んでおるのか」
「当り前です。いじめられたのに、にこにこと喜んでいる方が気持ち悪いでしょう?」
以前と違う強気の清蘭に戸惑ったのか、冬李は目を見開いた。
「意外だな。かような話し方もできるのか。お前はただその男に守られているだけの、情けない王女かと思うたのに」
「そんなことはござらぬよ。殿下。この姫さんは滅びの王女の名を返上すべく、奮闘しておいでじゃからね。婆はよう知っておるよ」
銀目はレース編みのベールの陰から、じっと清蘭を見つめた。
「今日はどのような用件でいらしたのでしょうか」
「ああ、そうであった。本来は王と交渉するのが正しかろうが。どうやらそなたの方が適任と聞いてな」
「お前」と呼んでいたのが「そなた」に変わったことに、清蘭は違和感を覚えた。シェルも同じなのだろう、隣で身構えたのが伝わってきた。
「流木止めと、旋回橋はそなたが設計した物らしいな」
「葡萄長廊もです」
「ああ、あんなのはいらぬ」
ひらひらと、冬李が手をふる。
「そなたの技術を買い取らせてもらおうかと思うてな。むろん、そちらの言い値でよいし。何ならば、対価として金銭以外のものでもよい」
(これは好機なの?)
清蘭とシェルは顔を見合わせた。
だがシェルは瞼を伏せて、一度軽く首をふった。
つまり、信じるなということだ。
でも、あまりにも手薄な藍国の防衛を、桂国が担ってくれるのならば。
清蘭の願いどおりに話が運ぶのではないか。
「少し、考えさせてください」
「断るという前提ではなく、前向きに考えるととらえてよいのか?」
「……はい」
「ふむ。よかろう。では返事をもらうまで、余も藍都に滞在させてもらうとしよう」
冬李に付き従う女性を、銀目はじろじろと見つめている。女性にしては短すぎる髪だ。
「なんだ、銀目。緋目に失礼ではないか」
「おお、そちらの女人は緋目でございましたか。こりゃ、とんだ失礼を。常から占星術師はベールをかぶり、顔を見せぬものですからな。ふぉっふぉっ。この婆ですら緋目の素顔を見るのは初めてですじゃ」
「ふん。余はいまだにそちの素顔を見たことはないが」
ひゃー、と甲高い声をあげながら、銀目はベールの上から手で顔を押さえた。
「お許しを。婆のしわくちゃの顔を殿下にさらすなど。罪深いことでございますゆえ」
「そうだな。そちも緋目ほど若く美しければ、ベールを外してもよかろうにな」
冬李は鼻で嗤った。性格は相変わらずのようだ。
清蘭は冬李との取引のことを、王に相談しようと思ったが、地底河川の件で忙しいとのことで、機会を得ることができなかった。
「王が、現場で指揮を執るというのも変ですけどね」
「姫さまも、ご自分が動いておられるではありませんか」
夕暮れの庭を散策する清蘭の側に、シェルが付き従ってくれる。
「ふふ、そうでしたね。だから技術姫ともいわれるんですね」
紅水河の水が、ひたひたと岸に寄せる。
以前よりも水位が低くなったようで、舟の乗り場についていた水藻が乾ききっている。
夕風が、川面に張り出した木々の葉をざわめかせる。
その音にまぎれるように、話し声が聞こえた。
「大丈夫でございます。この緋目がついておりますから」
「だが、余は……何もしておらぬのに」
「ああ、お可哀想な殿下」
冬李が緋目の腰にしっかりとしがみつくのが見えた。というか、見てしまった。
「これは……あれですね」
「姫さま、のぞき見は趣味が悪うございます」
シェルにたしなめられてしまったが、つい……そう、つい出来心で見てしまうのだ。
樹の幹に清蘭と、体格のいいシェルの二人が隠れられるはずもないのだが。ひしと抱きしめあっている冬李たちは、気付く様子もない。
「身長差が結構あるが、いいのか?」
突然、足元から声が聞こえて清蘭とシェルはぎょっとした。見下ろせば、地面にはいつくばったアシアが、双眼鏡をのぞいている。
「なるほど、胸がでかいから問題なしなのか」
アシアは次に清蘭の胸を見た。
「なるほど、なるほど。確かにわずかな身長差も問題になるな」
「なっ!」
顔を真っ赤にして、清蘭は胸元を手で隠した。
げいんっ!
シェルの拳骨が、妹の頭に落ちる。
「な、なにをする」
「誰が貧相な胸だ。たとえ豊満さや艶っぽさとは無縁でも、姫さまは魅力的なのだ」
ちらっとアシアが横目で清蘭を見た。
「なんだ。文句でもあるのか?」
「いや、清蘭が泣いているぞ」
「うわっ。姫さま、いかがなさいました? アシアの言葉に傷つきましたか」
「むしろ、兄さまの言葉にだろ」
口論する兄妹の側で、清蘭は目に涙を浮かべて「つるぺた……」と呟いていた。
「なんだよ、ここは、修羅場か?」
いつの間に現れたのか、光月が呆れたように肩をすくめた。
「泣いてんのかよ、清蘭。どうしたんだ、優しいお兄さんに話してみな」
「お前には関係ない」
厳しいシェルの声が、光月の申し出を遮る。
「はいはい。いっつも防御が堅いねー。で、本当に問題なのは、あっちか」
光月は冬李たちへ眼差しを向ける。その視線は、軽い彼に似合わずに厳しい。
「緋目って、たしか光月さんのお知り合いですよね。声をかけないんですか?」
「今はいい……」
緋目は占星術師とのことだ。たとえ冬李が第二王子とはいえ、恋の相手として相応しくないのだろう。
(でも、光月はそんなことを心配する立場なのでしょうか。はっ、もしかして。緋目さんのことが好きだとか)
いやいや、あまりにも短絡的な考えだろう。
王宮の図書室にある恋愛小説の読みすぎだ。
「俺が国をあけているちょっとの間に、おかしなことになってんな」
光月は、なおも緋目と冬李を凝視していた。




