15ー5章 彷徨(さまよい)(5)
合格発表の日の夕方。
駅前は、昼間とは違うざわめきに包まれていた。
毎日繰り返す仕事を終えた人間たちが、それぞれの居場所へ戻っていく時間帯。
笑っているやつもいれば、無言のやつもいる。
その全部が混ざって、妙に現実的な空気を作っていた。
その中に――多江ちゃんはいた。
改札の横。
人の流れから少しだけ外れた位置に立っている。
目の前にある駅構内へ業務的に通行する通路付近に、ただ立っていた。
その姿は、どこか“待っている”ようにも見えた。
「……来たんだ」
俺に気づいて、少しだけ笑う。
でも、その笑顔はいつもより薄い。
「来てくれたんだね」
「うん」
短い会話、彼女の表情。
それだけで、“結果”は分かった。
「……受かったよ」
多江が先に言った。
「群馬大医学部」
「そうか」
「うん」
それ以上は言わない。
でも、その一言に全部詰まってる。
努力も、プレッシャーも、家のことも。
全部乗り越えた結果だ。
「おめでとう」
「……ありがとう」
少しだけ間があった。
その“間”が、多江ちゃんらしかった。
でも――そのあと。
ほんの少しだけ、視線が揺れた。
沈黙。
人の流れだけが横を通り過ぎていく。
でも、この場所だけ時間が少し遅れているような感覚。
「……あのね」
多江ちゃんが口を開く。
「なに」
「ちょっとだけ、歩かない?」
駅を出る。
夕焼けが、街をゆっくり染めている。
昼よりも少し冷たい風。
春はまだ遠い。
並んで歩く。
でも、距離は少しだけある。
昔よりも、ほんの一歩分だけ遠い。
「懐かしいね」
多江が言う。
「何が」
「この感じ」
「……ああ」
思い出す。
まだ全部が始まる前。
ただの“勉強仲間”だった頃。
あの頃は、こんな距離じゃなかった。
もっと自然に、近かった。
「ねえ」
「ん?」
「覚えてる?」
少しだけ笑う。
「私、一回振られてるの」
「……」
直球だった。
「ちゃんと覚えてるよ」
「だよね」
その言い方が、やけに軽い。
でも、それは強がりだと分かる。
「あの時さ」
多江は前を見たまま言う。
「正直、分かってたんだよね」
「何を」
「かずくんが正しいってこと」
足を止める。
「……」
「私、家のこともあるし」
「……」
「将来のことも、もうある程度決まってるし」
医者の家系。跡継ぎ。環境。
全部、揃ってる。
でも、それは同時に“縛り”でもある。
「中山道での事件をまだ両親は引きずってて、それでさらに高二の時の事件があったから両親の不審感が強くなって」
小さく息を吐く。
「その両親を説得できずに私はかずくんから離れてしまった。高野フルーツパーラー、思い出すな。一回目はいい思い出……。二回目は悪い思い出……」
「……」
「でも成績の伸び悩みを相談して時、かずくんはそんな私に勉強を教えてくれて、勉強会も続けさせてくれて、本当に私ってわがままだったよね」
「で、ご両親は?」
「かずくんの問題が解決したら、手のひら返しちゃって、子供ながらひどいなって思った」
「理解してくれたならいいや」
「そんな私だから……」
多江ちゃんは少しだけ笑った。
「振られて当然だった」
「……」
何も言えなかった。
正しいからだ。
「でもさ」
続ける。
「それでも、ちょっとだけ思ったんだよね」
少しだけ、声が弱くなる。
「もし、違う立場・環境だったらって」
その一言が、重かった。
「……多江ちゃん」
「大丈夫」
すぐに遮る。
「もう、分かってるから」
顔を上げる。
その表情は、泣いていない。
でも――完全に吹っ切れているわけでもない。
「ねえ」
「なに」
「今でもさ」
一瞬だけ、視線がぶつかる。
「ちょっとは、可能性あるかな?」
静かだった。
でも、逃げられない問いだった。
「……むずかしいかな。やはり俺がピンチだった時、頼りたかった一人でもあった多江ちゃんに避けられたのは今でも心の傷なんだよね。その傷の奥に多江ちゃんを好きだったという思いが落っこっていっちゃった。今は友達の一人でしか考えられない」
正直に答えた。それ以外、なかった。
「そっか」
多江は頷く。それだけ。
「いいよ」
そう言って、少しだけ笑った。
「その答えで」
その“いいよ”は、本当にいいわけじゃない。
でも、受け入れていたようだ。
「私さ」
多江は言う。
「もう一回、同じことはしない」
「……」
「逃げないし、押し付けない」
少しだけ強く言う。
「ただ」
そこで止まる。
「ちゃんと好きだったってことだけは、消さない」
その言葉は、まっすぐだった。
風が吹く。
髪が少し揺れる。
夕焼けの色が、少しずつ薄くなっていく。
「和也」
「ん?」
「ありがとう」
「何が」
「ちゃんと、線引いてくれて」
それは、普通なら恨まれてもおかしくないことだった。
でも、多江ちゃんは違った。
「中途半端にされる方が、ずっときついから。変に期待を抱きたくないから」
その言葉で分かる。
このひとは、芯が強い子だと。
そして同時に――。ちゃんと傷ついている。
「……多江」
「なに?」
「君なら」
一瞬、言葉を選ぶ。
「ちゃんとやれるよ」
「医者?」
「それも」
「それも?」
「全部」
多江は少しだけ目を見開いて――、そして、笑った。
「なにそれ」
「事実」
「……そっか」
少しだけ、前を歩く。
距離が、ほんの少し開く。
「じゃあさ」
振り返る。
「その“全部”の中に」
「……」
「ほんのちょっとだけでもいいから」
一瞬、言葉を止めて。
「私、残しておいてよ」
その言い方は、わがままじゃなかった。
お願いでもなかった。
ただの事実確認みたいに、静かだった。
「……ああ」
頷くしかなかった。
多江ちゃんは、それ以上何も言わなかった。
ただ、少しだけ軽くなった足取りで、また歩き出した。
夕焼けは、もうほとんど消えていた。
残っているのは。
言葉にしきれなかった何かと消えなかった感情だけだった。
でも、最後に名前で呼び合った記憶が”私”として俺の心にしおりとなって一ページに残ったのだった。
当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。
面白い・続きが気になる等思われた方は、評価ポイント(↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎)を入れて頂けると作者の励みになります。
また、ブックマーク登録・お気に入りユーザー登録の方もよろしくお願いします。




