14-9話 Still on My Way(9)
「次、高松さん」
名前を呼ばれた。
立ち上がると、椅子が小さく鳴る。その音で、周囲の視線が一瞬だけこちらに向いた。
足元が少し浮いたような感覚になる。
だが、それでも歩くのを止める理由にはならない。
廊下を進む。
窓から入る光が、やけに白く感じる。
突き当たりの扉。
そこに貼られた「面談室」の文字。
「ノックして入ってください」
指先にわずかな震えが残っているのを感じながら、拳を軽く握る。
コン、コン。
「どうぞ」
中から声が返る。
扉を開けて、部屋に入る。
室内は思っていたよりも簡素で、静かだった。
面接官が三人、机を挟んで向かい合う形で座っている。資料が整然と並び、その上に置かれたペンがわずかに光を反射しているのが目に入った。
「どうぞ、おかけください」
促されて椅子に座ると、背中にわずかな緊張が残っているのが分かる。姿勢を整えながら、一度だけ深く息を吸った。
ここから先は、逃げ場がない。
「それでは、始めましょう」
その言葉を合図に、空気が切り替わった。
最初の質問は、想定していた通りだった。
自己紹介。志望理由の概要。
英語で問われた内容を頭の中で組み立て、順番に言葉にしていく。
音として口から出すとき、多少の緊張はあるものの、言葉自体に迷いはなかった。
繰り返してきた練習が、そのまま身体に残っている。
相手の反応も悪くない。相槌があり、視線も逸れない。
(……いける)
そう思えた瞬間、肩の力がほんの少し抜けた。
「高校生活で、最も困難だったことは何ですか?」
続く質問に、意識がわずかに引き締まる。
これは用意してきた問いだ。
だが同時に、言い方を間違えればただの自己弁護にもなりかねない。
言葉を選びながら、ゆっくりと答える。
「高校生活では、人間関係に悩むことがありました」
口にした瞬間、頭の中に教室の風景が浮かぶ。視線、距離、微妙な空気の差。
「私はあえて自分から特定のグループに属することをせず、存在感をひたすら隠すことを目標にしていました」
続けるうちに、言葉と記憶が自然に重なっていく。
「ですが、ある人との出会いから、その状況から逃げるのではなく、異なる立場の人たちの間に立つことを選びました」
ヤンキー班、中間層、勉強会。
それぞれの断片が、一本の線として繋がる。
軽音楽部、サッカー部、学園祭……。
ここでも多くの人たちと関わり合い、学校を変える活動をしてきた。
受験の前には教室内からがんばれという熱い祈りを背負った。
繋がったものを紬ぎ、今の大鳳での高校生活という宝物を形作ったのだと思った。
自分の意見を長々と話すのではなく、言葉短めにかつ相手に印象づけるように話した。
話している言葉一つ一つにその言葉に結び付いた人々の顔が浮かんだ。
「その結果、少しずつ信頼関係を築くことができました」
言い終えると、面接官が小さく頷いた。
その反応を見て、こちらの意図が伝わっていることを感じる。
(……大丈夫だ)
少なくとも、ここまでは。
「それをどのように乗り越えましたか?」
続く問いにも、同じ流れで答える。
言葉だけでなく、実際にどう動いたのか。どのように関係を築いたのか。
自分の選択を、できるだけ具体的に伝える。
話しているうちに、少しずつ呼吸が安定していくのが分かった。
(このままいけば)
そんな考えが、頭の隅をよぎる。
「では、なぜ医学部を志望したのですか?」
その瞬間だった。
今までとは明らかに質の違う問いだと、すぐに分かった。
(……来た)
この質問には、準備してきた答えがある。
何度も練習した。言い回しも確認した。英語としても問題ない。
迷わず口を開く。
「私は医療ロボットの分野に関心があり……」
滑らかに言葉が出る。構成も崩れていない。
自分でも『整っている』と分かる答えだった。
だが。
「それはテクノロジーの話ですよね」
静かに、しかしはっきりと遮られる。
一瞬、言葉が止まる。
「あなた自身は、なぜ医師になりたいのですか?」
その問いは、先ほどまでの質問とは違っていた。
逃げ道がない。
表面的な答えではなく、根本を問われている。
頭の中で、今言ったばかりの言葉が一気に色を失う。
(……違う)
間違っているわけではない。
だが、今この場で求められているものではない。
(それじゃ、伝わらない)
分かっているのに、言葉が出てこない。
沈黙が生まれる。
ほんの数秒のはずなのに、やけに長く感じた。
そのとき、ふと、頭の奥に浮かんだ。
……止まらないでください。沈黙が一番評価を落とします。
さよりの言葉だった。
(……分かってるよ)
そう思いながらも、次に何を言うべきかが見つからない。
だが、そのまま黙っているわけにはいかない。
息を吸う。
「……すみません」
一度、言葉を区切る。
「言い直させていただきます」
自分でも驚くほど、はっきりとそう言えた。
面接官の視線が少しだけ変わるのを感じる。
だが、そこで止まらない。
言葉を探すのではなく、思い出す。
あのときのことを。
階段の踊り場。
刃物を振り上げた腕。
それを見た瞬間、身体が勝手に動いたこと。
止めに入った衝撃。
そのまま体勢を崩し、転落した感覚。
誰かの重さと、床に叩きつけられる衝撃。
そして。
動かなくなった左手。
その記憶をなぞるように、言葉が出てくる。
「自分は……助けたかったんです」
短く、率直に。
「でも、何も分かっていませんでした」
続ける。
整理された言葉ではない。
けれど、今の自分にとって一番正確な言葉だった。
「守れたのかもしれませんが、その代償を背負ってしまったことを」
あのときの感覚が、そのまま言葉になる。
「でも、その人を助けたこと自体に後悔はありません」
一度、はっきりと区切る。
「でも、その結果……別の人、ここでは加害者になりますがその人を縛ってしまいました」
静かに言う。
「本来なら、その人は自分の道を歩くべきだったのに……。自分のせいで、別の形で背負わせてしまった」
言葉にすることで、その事実がよりはっきりと形を持つ。
面接官のペンが止まっているのが見えた。
だが、それでも続ける。
「だから思いました。助けるという行為は、誰かを縛るものであってはいけないと」
自分の中で整理されていく。
「自分の行動が他人を縛るものであってはいけないということです」
そこで初めて、病院で見た光景が自然と浮かぶ。
「以降が本当の動機になりますが、病院の神経内科に通院している時、待合室で自力可動できない人たちを見ました。自分では手を回す動きを止められない人、手足が動かず車いすで生活する人、食事を自分でとれず管から食事を摂取されている人、人工呼吸器をつけられている人……。その人たちの苦労を考えた時、自分の左手が動かないなんてちっぽけなことだと思いました。そこで目にしたのだが、患者さんの生活を補助している医療機器でした。例えば、足の筋力が弱ってしまい自立できない患者さんがロボットをつけるだけで自力で起立姿勢をとり歩けるようになるんです。それは、誰かを縛るものではなく、支えるものでした」
呼吸が整う。
言葉が、初めて一本の線になる。
「だから、自分はそういう形で人を支えたいと思いました」
そして最後に、はっきりと伝える。
「自分は、人を助けたいと思っています」
一拍置く。
「……その人の選択を奪う形ではなく」
視線を上げる。
「その人が、自分で進めるように支えたいです」
言い切る。
部屋の中に、短い静寂が生まれた。
面接官がこちらを見ている。
その視線に、先ほどまでとは違う温度があるのを感じる。
「……なるほど」
小さく、そう言って頷いた。
その瞬間、ようやく分かった。
英語として正しかったかどうかではない。
伝わったかどうかは、相手の反応で分かる。
(……通じた)
そう思えた。
その後の質問は、細かい確認のようなものだった。
いくつかの問いに答えながらも、頭の中は先ほどのやり取りで満たされている。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
……止まらなかった。
それだけは、守れた。
「以上です。お疲れ様でした」
立ち上がり、頭を下げる。
扉を開けて外に出る。
廊下に出た瞬間、空気が一気に流れ込んできた。
冷たい空気が肺に入る。
少しだけ、目の前が揺れる。
(……終わった)
窓の外を見る。
空は、来たときよりも少し明るくなっていた。
スマホを取り出す。
通知はない。
それでも、画面を見てしまう。
(……でも)
心の中で、静かに思う。
(ちゃんと、伝えた)
歩き出す。
足取りは、来たときよりもわずかに軽い。
そして5人の顔が浮かんだ時、ふと、別の言葉が浮かぶ。
(……優しい人ってね……。全員の味方でいようとして、一番自分を削るんだよ)
頭の奥に、あのときの声が蘇る。
TOEICの講習の際出会った野中さんの声。
いつまでも全員の味方にはなれないという言葉。
(高松くんのこと、責めたいわけじゃない。ただ、知りたいだけ。高松くんが、本当は何を怖がってるのか)
胸の奥に、小さく残るものがあった。
推薦試験という一つの試練は終わったが、その後に刻々と怖がっていつことに立ち向かわなくてはいけない。
大きなものが残っている。
それは消えない。
(……まだ、終わってない)
そう思った。
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