15
「俺だって好きでこんな世界に入った訳じゃない。でも、他に行くところがなかったんだ。お前、分かってくれてると思ったのに」
良平さんがすねたような口調で言う。こんな甘えた言い方、きっと彼女にしかしないんだろう。
「分かってるわよ。でも、ウチだって大変なの。お父さんの手術もあるし、お母さんだって身体が強い方じゃない。二人とも良君との事は大反対してたし、お父さんが倒れたのも心労があったかもしれないじゃない」
「俺のせいかよ」
「そんな言い方しないでよ。ただ、今は親に心配かけたくないの。お父さんだって完全に治るか分からないし、弟の学費もかかる。妹だっている。この上私の事で苦しめたくないのよ」
「でも、俺だってほかにどうしようもなくて、今のところに来たんだ。そして今は組で必要とされてる。組も今大変な時なんだ。絶対足なんか洗えない」
「どうしようもないんじゃないわ。私には分かる。良君、今のところが気に入ってるのよ。きっと、私よりも大事なのよ」
「そんなの比べられっこないだろう? それならお前だって俺と家族と比べてみろよ。ホントはお前、俺より家族の方が大事になってるんじゃないのか?」
きっと良平さんは、売り言葉に買い言葉でそう言ったんだと思う。彼女に、「そんなことない」と言ってほしかったんだと思う。私もそう言ってほしいと思った。でも、彼女は口を開かなかった。
無言の彼女を見て、良平さんは怒ったように彼女の肩をつかんだ。そして。
え、ええー? こ、ここで強引にキス、しちゃったよー!
ど、どうしよう。こんなところにいちゃまずい。絶対まずい。私はうろたえた。完全に頭の中が空っぽだった。ここから逃げることしか考えてなかった。
ところがこういう無防備な時の私は、どうしようもなく不器用になるようだ。普段『力』を使っているバチが当たるのか、千里眼なんて持ってしまった分、ツキというツキに見放されるのか、私はスカートの裾を近くの低木にひっかけて、無様な音を立ててひっくり返った。
二人は驚いて離れ、私の方を見た。私はまともに倒れて全身を地面にたたきつけたのだが、痛みなんて感じなかった。穴があったら入りたいとはこのことだろう。ましてや声も出なかった。
最初に動いたのは彼女だった。私の方に来て、「大丈夫?」と声をかけて立たせてくれた。
彼女が一番冷静だった。何だか冷静すぎるくらいだった。そして良平さんに「知ってる子?」と聞いた。良平さんは呆然としながらも頷いた。すると、初めて悲しそうな顔を見せて、
「そう。もうウチに電話はしないで。お母さんが心配するから」
そう言って駆け出して行ってしまう。
私は思わず言った。
「良平さん。追いかけなきゃ! 私も謝るから。 さっきの言葉、本気じゃないんでしょう?」
良平さんはぼんやりしていたけど、私の言葉を聞いてはっとした様だ。
「聞いてたのか?」
あ、そうか。立ち聞きまでバレちゃった。どっち道バレたとは思うけど。
「彼女さん、良平さんがあんな事言ったから驚いて返事できなかっただけだよ。良平さんだってあんな事言う気じゃなかったんでしょ?」
私がそう言った時だった。
良平さんが物凄い目で睨んだ。人にこんな目で睨まれたのは初めてだ。
「お前……俺達の心を覗いたのか?」
思いがけない言葉に私は横に首をブンブンと振った。怖くて声が出てこない。
いや、ダメだわ。ここはちゃんと説明しなきゃ。良平さんはウチの組員。私は決して組員の、家族同様に暮らす人たちの心を覗いたりはしないって、分かってもらわなくっちゃ。そうじゃないと、私は大事な家を失っちゃう。大事な家族に信用してもらえなくなる。それだけはいやだ。
「私ね。前の家族の心を覗いて、そこにいられなくなったの。好きな男の子の心を覗いて、すっごく後悔した事もある。だから、絶対にこういう時に心を覗いたりなんかしない。お願い、信じて」
ありったけの真剣さで良平さんにそう言う。信じてもらえるだろうか?
すると、ようやく良平さんの視線が緩んだ。と、言うか、むしろ優しくなった気がする。
「そうだな。千里眼の性質を考えれば、そんなに喜んで心を覗いたりする訳ないんだな。悪い、こっちもカッカしてたから」
悪いなんて言われたらこっちの方が絶対悪い。立ち聞きしてた上に、覗いてたんだから。
「彼女さん、追いかけなくて良かったの?」
こんな事態にしたのは私なんだけど。
「いいんだよ。気持ちは伝えたんだから。あとは、彼女次第だ」
良平さんはそう言った。
そうか。良平さんは彼女に言葉じゃうまく伝えられない事を、必死で伝えようとしていたんだ。その真っ最中に……ああ、最悪。
私は良平さんに何度も謝った。良平さんはそのたびに「もう、いいよ」と言った。
なんだか彼女の事で、私どころじゃなくなっているような感じだった。
その日から良平さんは目に見えて元気が無くなった。それでも見回りの組員から呼びだされると、孝之さんと一緒に出掛けて行った。私は良平さんが、何か、ヤケになんなきゃいいけどと、思っていた。