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「わたくしは、いついかなる時も誇り高くありたいのです」
それが母の言い分だった。
「いかないで、おかあさま」
すがる娘の小さな手を、母は手袋をはめた手でそっとはがす。
「泣かないで、クローディーヌ。あなたは間違いなく、わたくしの娘。必ず迎えに来ます」
そう言い残し、母は出て行った。
クローディーヌ・ド・ルロワ、五歳。
ある冬の日の出来事である。
「泣かなくていい、クローディーヌ。大丈夫だ、母様の分まで父様が一緒にいる」
しくしく泣きつづける娘を、父は優しく抱きあげてくれた。
この時は、まだ。
その後。館の庭中に植わっていた、母お気に入りの白バラはすべて引き抜かれた。
二年後に父は再婚し、土をさらしていた花壇は後妻の好む明るい色合いの花が大量に植えられる。
館をとりまく空気は一変し、七歳のクローディーヌには大人の女性の話し相手と妹ができた。
反比例して父はクローディーヌにかまわなくなり、クローディーヌもだんだん父に話しかけるのを遠慮するようになる。
金銭的なことをのぞけば男親より女親が必要とされる年頃だったので、大きな不自由はなかったと思う。
それでもほんの時折、人気のない裏庭で一人、忘れられた石像のようにぽつりと立つ父の背中を目にする機会があると、クローディーヌの胸は小さく痛むようになっていた。
「…………これにより、この夜、館にいた全員の不在証明が成立するのです――――さあ、犯人は誰だと思う? 推理してみてちょうだい、エリザベト」
穏やかな気候に恵まれたのどかな田園風景。
風光明媚な観光地として名高いルロワ地方の領主、ルロワ伯爵邸の広い庭で。
テーブルをはさんで向かい合った姉妹は重々しい雰囲気を一転、琥珀色の瞳をいたずらっ子のように輝かせた十六歳の姉クローディーヌが、九歳の異母妹エリザベトに問いかける。
エリザベトは青い瞳をぱちぱちさせて「うーん」と首をかしげ、すぐに思いついた。
「わかった! 犯人はゆうれいだったのよ、お姉さま!!」
「ええ?」
「だって、今はやりでしょう? ゆうれいをよび出す『コウレイジュツ』! あつまった人たちは、コウレイジュツをしていたのよ。そして、よび出されたゆうれいが、お邸の主人をころしたの! ゆうれいだったら、かべをすり抜けられるもの! そうでしょう、お姉さま!」
「その推理も一理あるけれど…………」
異母妹のきらきらした瞳に苦笑しつつ、クローディーヌは説明をはじめる。
「簡単なトリックなのよ。ヒントは三つ出ていて――――」
「失礼します、クローディーヌお嬢様、エリザベトお嬢様。旦那様と奥様がお戻りになられました」
白い頭巾とエプロン姿の召使い、マルゴが恭しく姉妹の会話に割り込むと、エリザベトがぱっ、と笑顔になり、推理のことも忘れて椅子から立ちあがる。
「早くお迎えにいきましょう、お姉さま。わたし、お父さまに王都のお菓子をおねがいしていたの!」
「はいはい」
クローディーヌが椅子から立ちあがる時には、エリザベトはもうテラスから居間に飛び込んでいる。
彼女がマルゴをつれて玄関に向かうと、ホールに吊られたシャンデリアの下で、妹が父と母に交互に抱きついているところだった。
「おかえりなさい、お父さま、お母さま! おみやげは買ってきてくださった?」
やれやれ、と苦笑しながら父親が小箱を差し出すと、幼い娘は満面の笑みとなる。
「ありがとう、お父さま! これ、食べてみたかったの!!」
はしゃぐ異母妹の頭をルロワ伯爵が優しくなで、義母であるルロワ伯爵夫人も「まあ、エリーったら」と、たしなめつつも笑っている。
三人とも金髪碧眼のせいだろうか、一幅の絵画のように調和のとれた光景である。
クローディーヌがなんとなく自身の鳶色の髪に触れていると、エリザベトが目敏くその姿を見つけて、もらったばかりの小箱を高々と掲げて駆け寄ってきた。
「お茶にしましょう、お姉さま。お父さまから、おねがいしていたお菓子をいただいたの!」
「すてきね。じゃあ、厨房にお茶のおかわりを頼んで、そのお菓子はいったんマルゴにあずけなさいな」
クローディーヌの背後からマルゴが小箱を受けとろうとするが、エリザベトは「わたしが持っていくわ!」と、自分で走って行ってしまう。
「走らないの、エリー! 淑やかに!! …………もう、あの子ったら」
ため息をついた義母を、クローディーヌは笑って迎えた。
「お帰りなさいませ、お父様、お母様。王都でのお仕事ご苦労様でした」
「ありがとう、クローディーヌ。留守中、変わりはなかったかしら?」
「大きな事件はありませんでした。小さな事件ならいくつか」
「つまり、またエリーね? 今度はコマドリの卵を欲しがって木に登って、庭師が整えたばかりの枝を折ったの? それとも家庭教師の鞄にカエルを入れたのかしら?」
「もう少しおとなしくて安全な内容かと」
「事件があったという事実は変わりないようね」
旅行用の帽子を外して召使いに預けると、エリーズ夫人は肩をおとす。それでも義母の顔には実娘への愛情があふれている。
「お父様も道中、無事で幸いでした。王都でのお役目ご苦労様でした」
クローディーヌは旅行用コートを抜いで執事に渡したルロワ伯爵に声をかけた。
伯爵は「少し休む」と短く言うと、長女を見向きもせずに自室へ向かってしまう。
その背を目で追っていると、呆れたようにエリーズ夫人がこぼした。
「もう。あの方ときたら」
再婚して九年少し。夫の態度に後妻もいちいち動揺しないが、かすかにしかめた眉が夫への気持ちを暗に主張している。
「気にしなくていいのよ、クローディーヌ。旦那様にはあとで、わたくしから言っておきます。それより」
エリーズ夫人は旅路に同行していた召使いに目配せした。召使いはトランクから二冊の本をとり出し、クローディーヌへ差し出す。
「まあ! 『へんくつ探偵』シリーズの『七つの遺書事件』!! それにこちらは…………私の知らない話です、『赤い秘宝と青の鍵事件』!!」
「わたくし達が王都を発つ前日に、最新作が発売されたの。間に合って良かったわ。お菓子やリボンも考えたけれど、あなたはこちらが一番喜ぶと思って」
「はい!! とっても嬉しいですわ、ありがとうございます、お義母様!!」
クローディーヌの琥珀色の瞳がきらきら、黄金のような輝きを放つ。
血のつながらぬ娘の反応に、いったんは口元をほころばせたエリーズ夫人はしかし、すぐに憂いをのぞかせる。
「あなたの探偵小説好きは、貴族の娘としては心配の種ね。年頃の娘がそういう血生臭い話を好むのは、世間では良い顔をされないわ」
「外では話題に出しません。家の中だけですから、容赦くださいませ、お義母様」
「そうよ、お母さま。クローディーヌお姉さまのお話は、とってもおもしろいのよ。お母さまもごぞんじでしょう?」
いつの間にか厨房から戻ってきていたエリザベトが姉の擁護にまわり、クローディーヌの手元をのぞき込んだ。
「あたらしいお話、読んだら、わたしにもおしえてね、お姉さま」
「もちろん」と快く引き受ける姉と「やったぁ」と喜ぶ妹の姿に、母の苦悩はますます深まる。
「はやく、お庭にいきましょう。お菓子をいただきましょう」
せかすエリザベトをなだめて、エリーズ夫人とクローディーヌはいったん、自室に戻る。
書き物机の上に真新しい本二冊を置くと、クローディーヌは自然と頬がゆるんだ。
ついてきていたマルゴが愚痴る。
「奥様は厳しすぎます。クローディーヌお嬢様はこんなにも本がお好きなのに、知っていて禁じようとするなんて」
「世間が若い娘に、こういう物を読ませたがらないのは事実よ。恋愛小説すら『教育に良くない』という風潮だし。私達女に許される読み物は古典文学や詩、戯曲、それからファッション誌と、よくて旅行記くらいかしら。探偵小説も大衆小説も新聞も、すべては大人の男性のものだもの」
それでなくとも現代的な小説は「大衆に迎合した低俗なもの」と、世間での評価が低い。恋愛小説も
「純粋無垢であるべき結婚前の娘が読む代物ではない」と言われている。まして近年、誕生したばかりの探偵小説となれば。
「お義母様は『読むな』とはおっしゃっていないわ。『外では口外するな』というだけよ。そもそもこの二冊だって、買って来てくださったのはお義母様よ?」
クローディーヌがさも愛しそうに真新しい表紙をなでると、マルゴは大仰にため息をついた。
「お気の毒に、クローディーヌお嬢様。ブランシュお嬢様さえいらしたら、もっと自由にお育ちになられていたでしょうに…………」
「大袈裟ね、マルゴは。私は今でも自由に過ごしているし、今のブランシュお母様は名実ともにラ・コルデール夫人よ。いつまでも『お嬢様』と呼ぶのは失礼だわ。さ、庭にいそがないと。エリザベトが早くお菓子を食べたくて、待ち焦がれているはずだわ」
クローディーヌは笑ってマルゴをうながす。
マルゴはもともと前ルロワ伯爵夫人、ブランシュ・ド・ラ・コルデール夫人の乳母だった女性で、ブランシュお嬢様が乳を必要としなくなったあとも、そのまま仕えつづけて、お嬢様の最初の嫁ぎ先であるルロワ伯爵邸までついてきた。
そしてブランシュ夫人が伯爵邸を出たあとも「私がお嬢様に代わって、お嬢様をお守りします」と、伯爵邸に残ってクローディーヌの世話をつづけている。
クローディーヌにとってはまさに「生まれた時からの付き合い」だが、最近は過保護気味というか、正直「少し放っておいてほしい」と思うことが増えている。
どうもマルゴは、クローディーヌを『実母を失い、父親の再婚を機に乗り込んできた継母や継子に虐められる哀れなヒロイン』に見立てているふしがある。
クローディーヌとしては、
「それは作り話よ」
と、笑い飛ばしたい気持ちだったが。
「我が主、マティアス・ド・ラ・コルデール卿は、クローディーヌ・ド・ルロワ伯爵令嬢をひきとりたいとお望みです」
ある日、馬車がルロワ邸に停まって、降りて来た使者が一通の手紙をルロワ伯爵に差し出し、そう告げる。
現実とは時に作り話より奇天烈らしかった。




