第4話―3 黒い服の女
ノックの音にまたも反射的に身を隠すところを探そうとする円だったが、もちろんそんな場所があるはずもない。熱い濃厚カップラーメンを食べたこともあり、背中を一筋の冷たい汗が流れ落ちる。凛子2号みたいなのが出てきたら、という嫌な想像が頭をよぎった。
「は~い、どうぞ~」といつも通りの弥幸の返事。それを聞いて、ドアがゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは――もう夏だというのに漆黒のゴシック系ロングドレスに身を包んだ、長身の女性だった。身の丈は、そのカッチリとした黒いブーツの分も合わせると180cm近くはあるのではないか。長くまっすぐな黒髪から覗く白い顔には黒のアイライン、黒い唇。首からはシルバーのクロスを下げている。暗い夜道で出会ったら間違いなく背筋が凍るような、そんな雰囲気を全身から醸し出していた。
円は誰が来ようとも、それが知らない人であれば身構えるのではあるが、この想定外のいでたちの人物を前に完全に動作が固まってしまった。バカみたいに口を開けたまま、蛇に睨まれた蛙のごとく、その場で竦み上がっている。
そしてなぜか、隣に座る省吾もその表情を固くしていた。視線はその謎の人物を見据えたまま、そっと椅子を引いて、いつでも動き出せる準備をしている。
「なんかここ、くさいわね」その女性は静かに、女性としては低めの声でそう言った。
(うっ、すいませんすいませんすいません⋯⋯)円は自分のせいだと自覚して、心の中で念仏のように唱えながら目を逸らした。
「ああ、英依さんか、なんか久しぶりだね」弥幸はこの相手にもいつもの調子で話しかけた。
「英依先輩、おつかれさまで~す」凛子も顔見知りなのか、気軽な感じで挨拶する。
弥幸はいまだに警戒を解かない円と省吾に向き直って紹介する。
「ふたりは初めてだったね。この子が僕と同期のオカ研部員、芦原英依さん。一応肩書は副会長ってことになるかな」
「やめてよ、そういうの全部あんたにお任せするから」英依は冗談めかした口調で言った。「それで、このふたりが例の?」
「そうそう、例の超有望な1年生コンビ」弥幸はふたりの方へ右腕を差し伸べて示した。
いったいどのような話のされ方をしているのか、円は不安でたまらなかった。弥幸のことだ、嘘はつかないまでも、アレコレ大袈裟に伝わっているのではないか。凛子の態度を見るかぎり、見た目ほど怖い人ということもなさそうだが⋯⋯
「どうも、神谷円です」円はぎこちなく首を動かしながら言った。本人は頭を下げているつもりである。
「有明省吾です」省吾は立ち上がり、丁寧な礼をする。
(ちょ、おま、それじゃあ私が無礼者みたいじゃないか)円は内心思ったが、いや、みたいじゃなくて無礼者なのだ。ここに自覚がないのは問題である。今後のことを思うと心配だ。
「今日はどうしたの?珍しいね、こんな早くから」弥幸は、机を挟んで自分の正面の椅子に腰を下ろした英依に向かって言った。と同時に立ち上がって、いそいそとお茶の準備をしているのがまた彼らしい。
「どうしたって、あんたが今日報告会やるって連絡よこしたから来たんじゃない」英依は呆れたような声で言う。「それで、また出たんだって?詳しく聞かせなさいよ」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、その美しい顔を輝かせ、さっそく昨日の出来事について語り出す弥幸。凛子はその顔を見上げながらウットリとした表情を浮かべている。話の内容はまったく耳に入ってはいない。
「なるほどねえ」ひと通り話を聞いた英依は、あごに指を添える、まさに考える人の仕草のまま頷いた。「弥幸の見解はどんな感じなの?」
「結局あの怪異はさ、もう妖怪みたいなものなんじゃないかなと。もともとはあの土地に残っていた思念とか怨念みたいのが、電話機を通じてなにかを伝えようとしていたんだけど、それを撤去されてさ、行き場がなくなったのね。ただ、それでも人々の間には怪談話が残っているわけだ。 ”鳴り続ける電話ボックス“ として。そういった人々の記憶から力を得てさ、電話ボックスとしての形態でそこに現れたっていう」
そういうこともあるだろうか、と円は考える。たしかにあれは幽霊というよりも、もっと存在感のあるなにかであったような気がするが。 ”妖怪“ と言われてもあまりピンとこない。それは円の中でフィクション寄りに分類されている言葉だった。
「まあ、オカ研会長の見解としてはそんなところでしょうね」英依はそれなりに納得したようだった。「でもあれね、いままでずっと成果のなかったあなたの心霊スポット巡りに光明が差したみたいね」
英依はそう言うと、円と省吾を見て、わずかに口角を上げた。円はゾクッとしたが、一瞬あとにそれが微笑みであったのだと気がついた。
「そうなんだよ!だからさ、英依さんも今度いっしょにどお?このふたりと行けば面白いものが見られるかもよ」弥幸は興奮した声で誘いかける。
「嫌よ、心霊スポットなんて、危ないし、汚いし、虫がいるし」英依は眉間にしわを寄せながら答えた。「あ、でも、ちょっと面白いかもしれないわね⋯⋯」
少し考えるように斜め上に視線を向けた後、英依はふたりの顔を交互に見つめた。それからおもむろにこう提案した。
「せっかくだから、この大学にある幽霊の噂話をいっしょに検証してみない?」




