LOG.151 探索の始まり
LOG.151 探索の始まり
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### ◆ 夜の呼びかけ
ランタンに火を灯した夜、候補生寮の窓から見える校舎は、どこか異様な静けさをまとっていた。昼間の喧騒が嘘のように消え、照明の光だけが白々と壁を切り取る。校庭を渡る風は冷たく、枝葉を揺らす音がまるで囁きのように響いている。候補生たちの眠る寮は静まり返っていたが、その静けさこそが逆に不気味だった。
才牙冷はベッドの上に腰かけ、握ったままのLink端末を見つめていた。胸の奥にはざわめきが渦巻き、息苦しいほどの焦燥感が重くのしかかる。頭を振っても、心に浮かぶのは彼女の声だった——「れい……」「たすけて……」。何度も脳裏にこだまするその声は、幻聴なのか、あるいは彼女が必死に残した断片なのか。
彼はふと、自分の手が震えていることに気づく。なぜ震えるのか。恐怖か、焦燥か、それとも失った存在を取り戻そうとする渇望か。冷は目を閉じ、深く息を吐いた。「俺は、もう二度と、大切な人を置き去りにはしない」——母を、父を、そして今度はさくらを。胸の奥で誓いが再び燃え上がる。
小さく通知が震えた。暗闇の中で画面が浮かび上がり、差出人は桔梗まつり。
> 「PetalWingの残留データから座標を割り出した。今夜、行ける?」
冷は指先で文字をなぞり、短く息を吐いた。昼間、屋上で交わした誓いが脳裏に蘇る。彼はゆっくりと立ち上がり、制服の上着を羽織った。鏡に映った自分の顔は、どこか影を帯びている。決意を秘めた瞳だけがぎらりと光を返していた。
「……待つんじゃない。取り戻すんだ」
窓越しに見える校舎は暗く沈黙し、まるで彼らを試すように立ち塞がっていた。冷は静かに部屋を出て、夜の探索へ向かう一歩を踏み出した。廊下に足を踏み出すと、床板が軋み、眠るはずの建物が呼吸するかのように不気味な音を立てた。
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### ◆ 集う四人
夜更け、人気の消えた中庭に四人が集う。風が植え込みを揺らし、わずかな月明かりに銀色の影を落とす。まつりは端末を抱え、冷静な視線を送ってくる。天音は腕を組んだまま冷を真っ直ぐに見据え、わずかに眉を寄せていた。湊は不安げに辺りを見回しながらも、穏やかな声を発した。
「本当に行くんだね。もし見つかったら……ただじゃ済まないよ」
「分かってる。退学の可能性だってある」天音は冷ややかに言い放つ。「それでも、あなたは行くの?」
冷は頷く。迷いはなかった。「俺は行く。……行かなきゃならない」
その真っ直ぐな言葉に、湊は小さく笑みをこぼした。「じゃあ、僕も。みんなで一緒に行こう」
「証拠を残さなければいい。それだけのこと」まつりが淡々と補足する。声には熱はなかったが、その瞳の奥には強い意志が宿っていた。
四人は視線を交わし、校舎へ足を踏み入れた。夜の公安学校は、まるで誰かに監視されているかのような圧力を漂わせていた。風が止み、遠くで犬の吠える声が一瞬響き、それすら幻聴のように耳に残った。
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### ◆ 不気味な兆候
廊下の蛍光灯は断続的に点滅し、機械の低いうなりが遠くに響く。冷が先頭に立ち、無言で歩を進める。床に積もる埃の中、自分たちの足跡がくっきりと残るのが見えた。廊下の壁には古びた掲示板があり、破れかけた紙が風もないのにかすかに揺れている。そこに描かれていたのは数年前の行事予定表で、赤いインクで消されたような跡が不気味ににじんでいた。
「……嫌な感じがするな」湊が小声で呟いた。声は細く震え、普段のおっとりとした調子とは違う緊張が混じっていた。
天音が鋭く視線を向ける。「声を抑えて。誰かに聞かれたら終わりよ」
「だ、だよね……ごめん」湊は肩をすくめ、冷の背中に隠れるように歩調を合わせた。
冷は振り返らずに低く言った。「大丈夫だ。……俺が前を歩く」
まつりが短く息を吐き、「解析値も安定してない……周囲の電波が乱れてる」と端末を見つめながら囁いた。天音も頷き、「これはただの偶然じゃない……誰かが意図的に仕掛けてる」と小声で告げる。その一言が一層の緊張を呼んだ。
その短いやり取りの後、三人の足取りがわずかに安定する。冷の存在が暗闇の中で一本の軸となっていた。
ふと、無人の教室から光が漏れていた。覗き込んだ瞬間、彼らの影が歪み、ガラス窓に映る姿が一瞬遅れて動いたように見える。まつりが画面を覗き込みながら小声で「反応……ある」と呟く。冷がそっと扉を開けると、誰もいない教室で端末が一斉に起動していた。黒い画面に走るノイズ、その一瞬に「HELP」の文字が浮かび上がる。スピーカーからは途切れ途切れの呼吸音のような雑音が混じり、蛍光灯がバチンと音を立てて点滅を繰り返した。
「ひっ……」湊が思わず声を漏らす。冷は素早く手を伸ばし、その口元を抑えた。瞳と瞳が重なり合い、息づかいが交錯する。湊は頬を赤らめ、しかし冷の視線に安心を見出したように小さく頷いた。
「……罠かもしれない。進むぞ」冷が囁く。その声は低いが確固としており、三人の心を再びつなぎ止めた。
背筋に寒気が走り、彼らは互いに声を潜めるしかなかった。七不思議⑤「勝手に起動する端末」が現実のものとして目の前に広がり、校舎の闇はますます濃さを増していった。
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### ◆ 白い影
さらに進むと、女子寮の近くに差しかかる。夜気が重くのしかかり、月明かりがかろうじて通路を照らしていた。闇の中で、白い影がふわりと揺れた。天音が思わず足を止め、目を凝らす。
「……さくら?」
その声には普段の鋭さがなく、ひどく弱々しかった。影の輪郭は淡く、しかし髪の流れや立ち姿は、確かに桜井さくらを思わせる。天音の喉がごくりと鳴り、胸に熱い痛みが走った。
湊が小声で「まさか……」と呟くが、冷は視線を逸らさず影を追い続けていた。まつりも端末を操作しながら「反応が……ある。でも、数値が揺れてる……幻影に近い」と報告する。
「さくら……!」天音が一歩踏み出す。その足取りは迷いを含みながらも必死だった。伸ばした手は震え、あと数センチで触れられるかというところで——影は霧のように掻き消えた。冷たい風が頬を撫で、寮の壁を擦る音が静かに響く。
「っ……!」天音は立ち尽くし、震える手を胸に引き寄せた。瞳が潤み、噛みしめた唇に白い歯が食い込む。肩を震わせる彼女の背中を、湊がそっと支える。「大丈夫……一緒にいるよ」
湊の言葉に、まつりもわずかに視線を落とし、「……私たち、記録を残す。さくらがここにいた証拠を」と端末を胸に抱いた。冷は奥歯を噛み締め、暗がりに低く誓った。「必ず見つけ出す……絶対に」
言葉は低く、誰に向けるでもなく吐き出された。その声には震えも迷いもなかった。三人は彼の背中を黙って追った。湊は不安を押し殺しながらも、確かな安心をその背に感じ取っていた。
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### ◆ 封鎖区画
やがて、まつりが示した座標にたどり着く。そこは校舎の裏手、薄暗い階段下に隠された扉だった。ひび割れた壁に埋め込まれるように存在し、普段は人の目に触れない。表札には「旧資料室」と記されている。立ち入り禁止の赤い封印シールが貼られ、何重もの鎖が錆びついた音を立てて揺れた。
冷が手を伸ばすと、鉄の鎖は冷たく湿っていた。触れた瞬間、ざらついた錆が指先にこびりつき、嫌な匂いが鼻を突く。湊が小さく身をすくめ、「……ここ、なんだか息が詰まる」と呟く。天音は鋭い視線をその扉に向け、「何かを隠してる匂いがするわね」と言葉を吐き捨てる。
まつりは一歩踏み出し、端末を構えた。「反応は……強い。PetalWingの残響に似てる」声は平静を装っていたが、指先はわずかに震えていた。
「ここだ……」冷が呟く。確信の混じった声だった。音は確かに扉の向こうから漏れ出し、まるでさくらがそこで囁いているかのように感じられる。
四人は息を呑み、互いに目を合わせた。緊張が極限まで高まる。沈黙が広がり、互いの呼吸音すら大きく響いた。喉を通る唾が異様に重く、耳の奥で心臓の鼓動が大きく響いた。
冷が静かに呟く。「ここからだ……」
その声に三人は頷き返す。空気が張り詰め、誰もが喉を鳴らすことさえできなかった。闇の奥に潜む真実を前にして、四人の探索はようやく始まろうとしていた。




