LOG.129 裂かれる班
LOG.129 裂かれる班
朝の寮の廊下はざわめきに満ちていた。候補生たちは三々五々に集まり、小声で噂を交わしている。昨夜の「六つ目の影」の噂は瞬く間に広がり、今や誰もがそれを口にしていた。
「見たんだ、窓に映ってたんだ」「あの班が狙われてるらしい」
囁きの輪の中で、冷たちの班の名がはっきりと挙げられる。彼らが通るたびに視線が集まり、そしてすぐに逸らされる。その無言の圧力が、食堂でも続いた。トレイを持って席に向かおうとするさくらに、周囲の候補生はわざと背を向け、空席を埋めていく。冷たち五人のための席はどこにもなく、孤立感が重くのしかかった。
「……ねえ、みんな見てるよ」さくらが小声で呟く。その声が消え入りそうに震えているのを、冷は聞き逃さなかった。
湊が無理に笑みを浮かべ、「気にしすぎだよ」と言うが、その表情は引きつっていた。まつりは目だけで周囲を観察し、「すでに標的にされているわね」と冷静に呟く。天音は苛立ちを隠さず、「気にするだけ無駄。証明してみせればいいだけ」と強く言い切ったが、声の端はわずかに揺れていた。
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午前の演習中、事態はさらに悪化した。走行訓練の最中、候補生たちの端末が一斉に光を放ち、画面いっぱいに赤い文字が浮かぶ。
『不正合格者は、すぐ隣にいる』
息を呑む音と同時に、場の空気が爆ぜた。候補生たちは互いを振り返り、叫び合う。背中合わせで走っていた者同士が距離を取り、誰かが「近寄るな!」と声を荒げる。別の候補生は「そんなはずない!」と必死に叫び返した。恐怖と怒号が渦を巻き、笛を吹く教官の声も届かない。疑念は瞬時に群れ全体を駆け巡り、秩序は崩壊しかけていた。
「やめろ!」冷が声を張り上げるが、群衆の喧騒に掻き消される。天音は歯を食いしばり、まつりは必死に端末の記録を残そうとする。湊はさくらの肩を庇うように押さえ、彼女の震えを受け止めていた。
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演習の後、五人は器具庫の影で集まった。さくらは泣きそうな顔で唇を噛みしめ、「もしかして……私が、不正合格者なの?」と震える声を漏らした。
「そんなこと言うから疑われるのよ!」天音の声は鋭く、怒りと焦りが混じっていた。さくらの肩がびくりと震える。
「やめてよ、天音……」湊が慌てて間に入り、両手を広げる。だが彼の声も震えていた。「信じなきゃ……僕たちが壊れる」
まつりは冷静な表情を崩さず、端末を操作しながら言った。「制度が意図的に揺さぶりを仕掛けている。私たちを分断するために。……証拠は残し続ける」
「分断なんてさせない」冷は強く言い切った。しかし胸の奥では、疑念の種がひっそりと芽を伸ばしているのを自覚していた。仲間を信じたい気持ちと、影が囁いた言葉が交互にせめぎ合い、胃の奥が焼けるように痛む。影は確実に彼らの間に割って入っていた。
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放課後、教室に戻るとさらなる悪夢が待っていた。冷たちの机の上に、一枚の紙が無造作に置かれていたのだ。そこには赤い文字で、無残にこう記されていた。
『不正合格者』
沈黙。誰かが息を呑み、誰かが椅子を引き、ギシリと木の音が響いた。五人は凍りついたように立ち尽くす。誰が仕掛けたのか、見当もつかない。教室の外から覗く影が、彼らを試すかのように揺れて見えた。
「これは……誰が?」さくらの声は震え、今にも泣き出しそうだった。
「挑発だ」まつりが冷ややかに言った。「誰かが、もしくは“何か”が私たちを追い詰めようとしている」
冷は拳を握りしめ、窓の外を見やった。そこに白い影がひとつ。こちらをじっと見つめ、歪んだ笑みを浮かべていた。ガラス越しに視線が絡み、冷の喉がひりつく。
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夜。寮室の暗がりで、冷は机に手を置き、深く息を吐いた。仲間たちは既に眠りについたのか、寝息だけが規則的に響いている。その静けさの中で、冷は独り言のように呟いた。
*「班を裂こうとする力が、確かに動いている。だが俺は……絶対に守り抜く」*
拳を握る冷の背後、カーテンの隙間から射す月明かりに照らされ、壁に“六つ目の影”がゆらりと揺れていた。その揺らぎは呼吸に合わせるかのように膨らんだり縮んだりし、まるで嘲笑うように蠢いていた。静寂の中で時計の秒針が乾いた音を刻み、外から吹き込む風がカーテンを揺らす。冷の心臓は早鐘を打ち、喉の奥で言葉が詰まる。だが彼は視線を逸らさず、影に背を向けることなく立ち続けた。




