悪役令嬢、サキュバスに挑む
豪華な装飾が施された応接室。そこにいるのは、リリアンの父親であるレイモンド・スターチス公爵と、黒い鎧に身を包んだ金髪の男──彼が呼び寄せた腕利きの戦士、ヴィクター・グレイソン。
侯爵は深々と溜息をつきながら、机の上に散らばった報告書を指でトントンと叩いている。
「まったく、あの娘は……。自分がスターチス家の令嬢であるという自覚が足りん!」
侯爵の声には怒りよりも疲労が滲んでいた。
「お嬢様が旅に出た理由は?」
侯爵は苦々しい顔で答えた。
「『聖女様より先に魔物を倒す』だなんて、まるで子供のいたずらだ。だが、相手は本物の魔物だ。下手をすれば命を落とす。」
ヴィクターは眉をひそめるものの、特に驚きは見せない。
「……お嬢様の魔力量と腕前を考えれば、大抵の魔物相手なら問題ないんじゃないか。」
「だがな、ヴィクター。いくら腕が立とうと、彼女はまだ若い。予想外の事態が起こればどうする?」
侯爵の目には心配が浮かんでいる。
「つまり、俺にリリアン様を助けに行けと?」
侯爵は頷き、重々しい声で答える。
「そうだ。だが、彼女は助けを嫌うだろうから、隠れて見守るのだ。」
ヴィクターは少し考え込むように目を閉じた後、真剣な表情で侯爵を見つめる。
「了解した。ただし、俺が手を貸すのは本当に危険な状況だけだ。基本的にはお嬢様にお任せする」
公爵は少し戸惑いながらも、その提案を受け入れるしかないと判断した。
「……それでいい。頼んだぞ、ヴィクター。」
ヴィクターは一礼し、その場を後にする。
ヴィクターは背中に剣を背負い、旅の準備を整えていた。門番たちが見送る中、彼はスターチス家の敷地を出る。
「お嬢様……あんたの悪戯がどこまでのものか、少し見せてもらおうか。」
そう呟くと、彼はリリアンの痕跡を辿りながら、彼女の後を追い始めた。空は澄み渡り、どこか遠くで風が吹いている音が響く。旅の幕開けにふさわしい静かな朝だった。
★★★★★
旅に出たリリアンは村人に頼まれた薬草を求めて、村外れの平原に立っていた。彼女は控えめな旅人を装い、旅をしている。しかし、その顔には悪戯を企む微笑が浮かんでいた。
「いちいち遠くの森まで薬草を摘みに行くのか?面倒だな。それなら……ここに薬草がたくさん生える環境を作ればいいな。」
彼女は周囲を見渡し、人気がないのを確認すると、そっと指先を空に掲げた。
少し離れた場所から、ヴィクターはリリアンの様子を観察していた。
「村人のために薬草を摘むのか。意外と普通のことをしているじゃないか。」
しかし、彼の考えはすぐに覆された。
リリアンが詠唱もなしに指先をひと振りすると、空間全体がきらめき始めた。青白い魔力の波が地面に広がり、彼女の足元から瞬く間に緑が生い茂り始める。
平原の一部がまるで魔法で描かれた絵のように変化していく。青い花、紫の茎、鮮やかな緑の葉を持つ薬草が次々と生えてくる。数分後には、小さな森と言えるほどの薬草の楽園が出来上がっていた。
リリアンは満足げに微笑み、手を腰に当てる。
「これでいい。これなら村の人たちも楽になるだろう。」
その光景を見ていたヴィクターは、目を丸くして息を飲んでいた。
「……こいつ、本気で森を作りやがった。しかも、こんな短時間で、詠唱もなしに……。」
彼は思わず額に手を当てて小さく溜息をつく。
「リリアン様が悪戯好きだってことは知っていたけど、これはやりすぎだろ。まさか、魔法で自然環境そのものを作り変えるなんて……。」
彼は改めてリリアンの圧倒的な魔力と魔法制御の腕前を思い知らされたのだった。
一方、リリアンは魔法で作り上げた薬草の森を見上げ、満足そうに呟いた。
「さて、次はどんな悪戯をしようか?」
その言葉に、見守るヴィクターは小さく肩を竦めた。
「いや、君の悪戯は次元が違うんだよ……本当に危険なことにならないといいんだが。」
彼は再びリリアンの後を追いながら、内心の警戒心をさらに強めたのだった。
★★★
リリアンは小道を歩いている途中、遠くで黒煙が立ち上るのを見つけた。その煙の向こう、農村の入口には、見るからに凶悪な魔物たちが集まっていた。村人たちは怯え、隅で身を寄せ合って震えている。
「さて、また厄介な連中だな。でも、まあいい。少し暇つぶしに付き合ってもらおうか。」
彼女はふわりと笑みを浮かべると、そのまま魔物たちに近づいていった。
リリアンは一番大きな魔物――牛の頭を持つ巨漢の魔物――の前で立ち止まり、朗らかな声で話しかけた。
「やあ、みなさん。ずいぶんと楽しそうに暴れてるじゃないか。でもな、この村の人たちはあまり強くないし、そろそろ手を引いてもいいんじゃないか?」
魔物たちは彼女を見て、一瞬ぽかんとしたが、すぐに笑い声を上げた。
「ははは! 何だ人間、命乞いか?」
リリアンは肩を竦めて軽く首を振る。
「いいや、命乞いじゃない。ただ、少しばかり話がしたかっただけ。ほら、暴れるのも疲れるだろう? ここで一休みしたら?」
その物腰に、魔物たちは少しだけ警戒心を緩めた。しかし、リーダーは冷笑を浮かべた。
「お前ごときが何を言っても無駄だ!」
リリアンは困ったようにため息をつき、手袋を直しながら呟いた。
「交渉決裂か……まあ、仕方ない。」
次の瞬間、彼女の瞳が冷たく輝いた。
「それじゃ、少し大人しくしてもらおうか。」
リリアンが軽く指を鳴らすと、空気が一変した。周囲の温度が下がり、強大な魔力が一気に放たれる。彼女の周囲に青白い魔法陣が現れ、その中心から一瞬で魔物たちを包み込む光が広がった。
「《マジックアロー》!」
光の中で無数の魔力の矢が放たれ、魔物たちを容赦なく吹き飛ばした。リーダーの巨漢も含めて、全員が数メートル先まで転がり、昏倒する。
「思ったより手間取らなかったな。」
彼女は村の様子を確認しながら、軽く指を振ると再び魔法陣を展開した。今度は穏やかな光が村全体を覆い始める。
「《ホーリーウォール》……これで、しばらくは魔物も近寄れないだろう。」
結界が完成すると、村を包むように淡い青い光の壁が立ち上がり、安心感を与える雰囲気が漂う。村人たちが恐る恐る姿を現し、彼女におずおずと礼を言う。
「気にするな。これも私の、ほんのちょっとした“気まぐれ”だからな。」
遠くからその一部始終を見ていたヴィクターは、呆れるような表情で小さく頭を振った。
「“気まぐれ”でこんな大魔法を使うなんて……お嬢様は本当に規格外だな。」
彼は溜め息をつきつつ、再びリリアンの後を追うのだった。
★★★
またある時、リリアンは村長からの相談を受け、小さな村の墓場がアンデッドの脅威にさらされていることを聞き出した。夜な夜な出現する骸骨やゾンビが村人を脅かしているという。村長は深刻な表情で話すが、リリアンはその様子をどこか楽しそうに聞いていた。
「お願いです、どうか助けてください……!」
「ふむふむ、アンデッドか……聖魔法ならちょっとかじった程度だが、まあ何とかなるだろう。いいぞ、引き受けよう。」
そう言うと、リリアンは軽い足取りで村長宅を出て行った。
夜の墓場は月明かりが薄く照らし、どこか不気味な静けさに包まれていた。しかし、そんな雰囲気もリリアンにとっては遊び場のようなものだった。
「さてと、アンデッドってどんな反応をするのだろうか。ちょっと遊んでみるか。」
すると、墓石の周りからガラガラと音を立てて骸骨が現れ、腐った肉のついたゾンビが次々と湧き出てきた。
「おや、これは賑やかだな。でも、少しびっくりさせてやろうか。」
リリアンは軽く指を動かし、魔法陣を展開した。その中から色鮮やかな幻影が出現し、アンデッドの前で踊り始めた。突然の出来事に、骸骨たちはギギギと不安げな音を立て、ゾンビたちは左右に揺れて困惑しているように見えた。
「ふふふ、どうした? 見たことないものに驚いたか? ああ、そんな怖がらなくてもいいのに。」
さらに、彼女は「大合唱」なる音響魔法を放ち、墓場全体に聖歌を響き渡らせた。アンデッドたちはそれに耐えきれず、墓石の影に隠れようと必死だった。
「もういいか? 次は本気で片付けようか。」
リリアンは悪戯を十分楽しむと、今度は真剣な表情で聖魔法を展開した。墓石を中心に緻密な魔法陣が輝き、柔らかな光がアンデッドたちを包み込む。
「《ホーリーライト》、これで安らかに眠れ。」
光の中でアンデッドたちは静かに崩れ去り、墓石から湧き出る魔力が完全に封じられた。
村長の元に戻ったリリアンは、どこか満足げに微笑みながら報告をした。
「やっと全部片付けたぞ。これでアンデッドも湧いてこないはず。もう安心していい。」
村長は涙ぐみながらリリアンの手を握った。
「ありがとうございます! 本当に、本当に感謝します!」
「別に大したことじゃないさ。それに、少しは楽しかったから。」
そう言うと、彼女はひらりと身を翻して村を後にした。
★★★
リリアンは貴族の一室で応接され、貴族からサキュバスが根城にしているために「祝福の花」が摘めなくなった事情を聞かされた。祝福の花は、聖なる儀式や婚礼の装飾に使われる希少な花で、代用品では格が落ちてしまうという。
「祝福の花は、この家の伝統的な祭事に欠かせないのです。しかし、サキュバスが根城にしているせいで、メイドどころか、腕利きの冒険者でも近づけず……どうか、助けていただけませんか?」
リリアンは腕を組み、顎に手を添えながら考え込むふりをしたが、すぐに口元に不敵な笑みを浮かべた。
「祝福の花ね。確かにサキュバスの住んでいる花畑に摘みに行くのは大変だろう…だがわざわざ危険を冒す必要なんてない。」
「え? ではどうやって……?」
「庭を貸してくれたらいい。それだけで十分だ」
貴族は半信半疑ながらも、リリアンを庭園に案内した。
広大な庭園には、美しく整えられた花壇が広がっているが、祝福の花は一輪も見当たらない。リリアンは庭を一通り見渡し、満足げに頷くと足元に軽く杖を突き立てた。
「これで十分だか。では、始めるぞ。」
杖を中心に魔法陣が浮かび上がり、眩い光が庭全体を包み込んだ。風が庭を駆け抜けるように魔力が広がり、空気中に花の香りが漂い始める。そして、庭の地面から金の花々が次々と芽吹き、一斉に花開いた。それはまさに祝福の花畑だった。
「どうだ? これならわざわざサキュバスの住処に行かなくても済むだろう。」
貴族は目を丸くしてその光景を見つめた後、歓喜の声を上げた。
「こ、こんな短時間で、しかもこれほどの量を……本当にありがとうございます!」
「どういたしまして。」
庭の隅で隠れて様子を見ていたヴィクターは、その光景に顔を引きつらせていた。
「ちょっと待てよ……あの花、どれだけ貴重な素材か知ってるのか? こんなに大量に生やしてしまったら、品の価値が下がるんじゃないか……!」
しかし、リリアンはそんなことを気にも留めず、満足げに花畑を見渡している。
「これで解決。さ、私はこれで失礼する。」
ヴィクターはひやひやしながらも、リリアンの魔力の扱いの凄まじさに改めて感嘆していた。
「……無尽蔵に近い魔力量といい、この気まぐれな性格といい……全く油断できない。」
そう思いながらも、彼はリリアンの後を静かに追い始めた。
***
リリアンは堂々とサキュバスの城の大扉を開け放ち、内部へと足を踏み入れた。古びた石造りの広間には、艶やかな装飾が施され、妖しい雰囲気が漂っている。辺りには甘い香りが充満し、どこからともなく囁き声が聞こえてきたが、リリアンは全く動じずに笑みを浮かべた。
「なるほど、これがサキュバスの住処だな。ずいぶん手が込んでるじゃないか。」
突然、広間の奥から妖艶な笑い声が響き渡る。
「まあまあ、こんな若くて可愛いお客様がいらっしゃるなんてね。歓迎するわ。」
奥から現れたのは艶やかなドレスを身にまとったサキュバス。美しい容姿と魅惑的な瞳で、リリアンを挑発するように近づいてきた。
「でも、ここに来た以上はただで帰れると思わないでね。貴女も、魂を捧げていただくわ。」
「魂なあ……残念だが、私の魂は貸し出し不可なのだ。」
リリアンはそう言って笑みを浮かべると、指を一振り。広間の天井から突然、無数の小さな光の球が降り注ぎ、サキュバスの周囲を取り囲んだ。
「な、何これ?!」
「ふふ、驚いてくれるか?」
光の球が一斉に弾け、サキュバスの髪や衣装を微妙に乱したり、周囲に花びらを飛ばして場を混乱させた。サキュバスは一瞬戸惑ったものの、すぐに怒りに満ちた表情を浮かべた。
「貴女、私をからかうつもり?!」
「ああ、そうだ。けど、それだけじゃつまらないな……次は本気で遊ぼうか」
リリアンは杖を掲げ、広間の空気が一変した。甘い香りが一掃され、魔力の濃密な気配が満ち始める。
「さあ勝負だ。私を楽しませてくれるなら、少しは本気を出してやろう。」
サキュバスはその挑発に乗り、闇の魔法を放つ。しかし、リリアンは冷静そのもので、魔法を軽々と打ち消し、逆に光の魔法を編み上げて反撃する。
「残念だな。私の得意分野は魔法だ。貴女の攻撃じゃ、私の結界に一つも届かないな。」
次々と繰り出されるサキュバスの魔法を全て封じ込めるリリアン。最後にはサキュバスの周囲を光の檻で囲み、逃げ場を完全に奪った。
「さあ、ここを去れ。それとも……もう少し遊ぶか?」
「くっ……! 今日は引き下がるわ。でも覚えてなさい!」
そう言い残して、サキュバスは魔法で姿を消した。
「ふふ、脅せば大人しくなるんだから簡単だな。」
リリアンは周囲を見回し、軽く手を振って光の檻を消す。そして、その場に結界魔法を編み込み、しばらくは誰も寄りつけないようにしておいた。
「これで一件落着だな。さて、次のいたずらの準備をしないと。」
彼女は満足げに微笑みながら、再び歩き始めた。影で見守るヴィクターは、彼女の豪胆さと魔法の腕前にただ呆れるばかりだった。
リリアンがサキュバスを退け、結界を張り終えて立ち去ろうとしたその時、遠くから慌ただしい足音と共に声が響いてきた。
「ちょっと! 何をしてくれてるのよ!」
現れたのは聖女アメリアだった。純白のドレスが揺れ、わざとらしいほど息を切らしている。
「おや、聖女様。お早い到着で。」
リリアンは振り返り、軽く片手を上げて挨拶する。しかし、アメリアの顔は怒りで歪んでいた。
「どういうつもり? 私がここでサキュバスを退ける予定だったのに、あんたが勝手にやっつけるなんて!」
「いやぁ、たまたま通りかかったら村人が困ってるって言うから、つい手を貸しただけだ。別にあなたの予定を邪魔するつもりはなかったんだがなあ。」
「言い訳は結構! 私が来るまで待っていればよかったのに!」
アメリアは腕を組み、ぷんぷんと怒りながらリリアンを睨みつけた。その怒りの様子は、王子や貴族たちの前で見せる優雅で慈愛に満ちた態度とは正反対だった。
「どうせ私が退治したって言えば誰も疑いやしないわ。あなたがしたことは私の手柄にするから。」
そう言い放つと、アメリアはくるりと背を向け、その場を去っていった。
「あれで聖女様だなんてなあ。いやはや、笑ってしまうな。」
リリアンはくすくすと笑いながら、軽く肩をすくめた。
一方、その様子を陰から見ていたヴィクターは、聖女の豹変ぶりに目を見開いていた。
「王子や取り巻きの前では優雅で可憐な聖女様が、裏ではあんなに激しいなんて……女の二面性ってやつか。怖いもんだな。」
ヴィクターは小さくため息をつき、リリアンを見守る役目に戻った。彼女の悪戯好きな性格の方が、よほど素直で可愛らしく見えた。
★★★
城の大広間は豪華な装飾に包まれ、祝賀の雰囲気に満ちていた。燭台の光が天井の高いシャンデリアを照らし、煌めく宝石のように光を反射している。大勢の貴族や騎士たちが集まり、中央には第一王子アルバートと聖女アメリアが立っていた。
アメリアは純白のドレスに身を包み、まるで輝く天使のように見える。彼女は手にグラスを持ち、壇上で朗々と話し始めた。
「皆さま、ありがとうございます。サキュバスという恐ろしい存在を討つことができたのは、神のご加護と、私の使命を果たす覚悟のおかげです。」
彼女はしおらしく手を胸に当て、まるで涙を堪えているかのように振る舞う。しかし、その目には計算高い輝きがあった。
「サキュバスは強力な魔物でしたが、村人たちを守るため、私は全力で立ち向かいました。何度も魔法を跳ね返されましたが、最後には聖なる祈りが通じたのです!」
大広間に感嘆の声が広がる。アメリアはまるで英雄のように胸を張り、その目は誇らしげだ。
「素晴らしい活躍だ、アメリア。君こそ、この王国にとって真の聖女だ。これからもその力で国を守ってほしい。」
アルバートが笑顔で賛辞を送ると、周囲から拍手と歓声が湧き上がった。アメリアは微笑みながら会釈し、その場の注目を一身に浴びていた。
アルバートはアメリアの手を取り、誇らしげに語りかけた。彼の視線はアメリアに向けられ、彼女以外の存在など見えていないかのようだ。
一方、リリアンは鮮やかな深紅のドレスに身を包み、いつものいたずら好きな表情ではなく、どこかしら穏やかで落ち着いた様子だ。彼女は広間の隅に足を運ぶ。
アメリアの作り話が耳に届いた瞬間、リリアンはグラスを口元に運びながら小さく肩を震わせた。笑いを堪える彼女の仕草に、少し離れたところに立つヴィクターは眉をひそめる。
(まったく、あの聖女ときたら、ここまで堂々と話を捏造するか。あんな話、まともに信じる方がどうかしてるな。)
ヴィクターは呆れたように肩をすくめ、視線をリリアンに向けた。彼女は何も言わず、ただ静かに笑い続けている。その無言の反応が、アメリアの捏造を何より皮肉っているようだった。
一方で、壇上のアメリアはその視線に気づくことなく、勝利の余韻に浸っていた。
(まさか、ここまで厚かましく語るなんて。さすが聖女様だ。)
声には出さないが、リリアンの唇の端は笑いを堪えきれずに歪んでいた。
近くでリリアンを見守っていたヴィクターは、彼女の様子に気付きながらも黙っていた。だが、その目は明らかに呆れた色を帯びている。
(平然と嘘をつき、それを真実だと信じさせるこの面の厚さ……女ってのは怖いもんだな。)
★★★★★
学園の図書館は静寂に包まれ、窓から差し込む柔らかな光が積まれた本の表紙を照らしていた。その一角で、聖女アメリアと王宮魔道士の息子エドガーが向かい合って座っている。
「ねえエドガー、これってどうやるの?」
アメリアは小さな手に魔術書を持ちながら、困ったような顔をエドガーに向けた。彼女の指先から漂う淡い香りが、空気に甘さを溶け込ませる。魅了の香水――彼を虜にするための秘策だった。
「この式のことか?」
エドガーは視線を本に落とし、さらさらと解説を始めた。彼の言葉は洗練され、無駄がない。学園内ではその知識と才覚から「次代の賢者」とも称されているが、それでもリリアンには一歩劣るのだ。
「あー、やっぱり全然わからないや。エドガーって本当にすごいよね。何でもできちゃうんだもん。」
アメリアは頬杖をつきながら彼を見上げ、甘い声を漏らす。
「そうか?別に大したことじゃない。こんなの基礎中の基礎だ。」
エドガーは鼻で笑いながらも、どこか得意げだ。彼女の視線が自分に向けられているのが心地よい。
「でも、こんな難しいのをすらすら解いちゃうなんて、さすがだよね。さっきも、私が間違えたところ、瞬間的に気づいたじゃない?もう天才だよ!」
アメリアは瞳をきらきらさせながら手を叩いた。そのたびに香水の甘い香りが漂い、エドガーの理性を少しずつ溶かしていく。
「ま、まあ、その程度は当然だろう。」
エドガーは照れ隠しに視線をそらしつつも、言葉の端々に満足げな響きが混じる。
アメリアはさらに顔を近づけ、小首をかしげてエドガーを見つめた。
「エドガーって、ほんっと頼りになるね。私が困ったらいつも助けてくれるし、きっと周りの女の子もそう思ってるよ。」
「そ、そんなことはない。私はただ、自分の興味があることをやってるだけだ。」
エドガーは咳払いしながら返事をするが、心の中では彼女の言葉が響いていた。こんなに素直に自分を褒めてくれる子は初めてかもしれない、と。
リリアンの姿がふと頭をよぎる。あいつは確かに才能があるが、どこか尖っていて、可愛げがない。問題を解いても「上出来」程度の反応しかせず、何を考えているのか分からないことが多い。それに比べて――
「アメリア、お前って本当に不思議なやつだな。」
エドガーは笑みを浮かべて彼女を見た。
「えっ、なにそれ!どういう意味?」
アメリアはぷくっと頬を膨らませる。
「褒めてるんだよ。私にはないものを持ってる、ってな。」
エドガーが肩をすくめて言うと、アメリアは大げさに胸に手を当てた。
「もう、エドガーったら!私、褒められるの慣れてないからドキドキしちゃう!」
彼女の甘い笑い声が響き、エドガーはつい微笑みを返した。
この瞬間、エドガーの心にアメリアの姿が焼き付いていく。リリアンの鋭さよりも、この柔らかな魅力に心を惹かれる自分に気づきながらも、香水の影響とは知らず、彼女との時間を楽しんでいた。
「でも、大いなる厄災を倒すための修行とか、しなくていいのか?お前がいないと世界が困るだろうし。」
エドガーは真面目な表情で問う。
アメリアは少しだけ間を置いてから、肩をすくめた。
「うーん、そんなのいつでもできるでしょ?それより、今はエドガーと一緒にいる方が大事だもん。」
「……君って、なんというか、可愛いところがあるよな。」
エドガーがぽつりと呟くと、アメリアは満面の笑みを浮かべた。
「え、ほんと!?嬉しいな~!じゃあ、これからもいろいろ教えてね、エドガー!」
そう言って、アメリアはエドガーの袖を軽く引っ張った。その仕草に、エドガーの胸は微かに高鳴る。
いつの間にか、図書館の空気はただの静寂ではなく、甘い雰囲気を含んだものに変わっていた。エドガーは自分でも気づかないうちに、アメリアという存在に心を引き寄せられていった。




