プロローグ
突如として大地震に見舞われ、会社の敷地ごと異世界に転移した298名。
唯一のスキル持ちとして、須沖仁と岡宮真那は帰還の手掛かりを探す旅に出る。
その一方、残された従業員は自給自足で生活を補う為、工場を稼働させ商品を売り、周囲の敷地では農業を勤しんでいた。
農場では、ネリシュギに続く第二の作物、ホロビタ豆が健やかに育っていた。異界農務官である小田は、そっとその実となる部分に触れてみた。ホロビタ豆は成長するにつれて現代社会の大豆と酷似しており、まさに異世界版の大豆であった。
「もう収穫の頃合いね。試しに一部だけ収穫してみましょう」
小田は独り言のように呟くと、熟したホロビタ豆を手際よく収穫した。この豆は栄養価の高さと豊富なタンパク質が特徴であり、乾燥させることで日持ちの良い保存食ともなり得ると聞いている。一度その可能性を試してみようと小田は思案していた。
ホロビタ豆を収穫した後、小田は本社棟の12階にある慈愛の寝床となっている大会議室に赴いた。小田はドアをノックし、穏やかな声で呼びかけた。
「慈愛様お忙しいところ申し訳ありません。小田です。今お時間よろしいですか?」
「うむ。入るが良い」
小田は静かにドアを開け、収穫したばかりのホロビタ豆を大切に抱えながら部屋に入った。慈愛は奥の長テーブルでセイジと共に書類へ目を通していたが、小田の手に抱えられた豆を見て興味深そうに顔を上げた。
「それはホロビタ豆か。もう収穫できるほど育ったんじゃな?」
「はい、慈愛様。まずは少量ですが、試しに収穫してみました」
小田は豆を慈愛の前に差し出しながら説明した。慈愛は豆を手に取り、その形状や質感を確かめるようにしばし見つめていた。
「なるほど、確かに良質な豆のようじゃな。これをどう活用するかと言うところの相談か」
慈愛はすんなり小田の意図を読み取り、小田もその言葉に大きく頷いた。
「このホロビタ豆は私たち世界の大豆と言う食材に似ています。もし同じものであるなら格段に使用できる用途が増えます。デルカニアでは一般的にどのように使われる事が多いですか?」
小田の質問に答えたのは慈愛ではなく、隣にいたセイジだった。
「それなら元宮廷料理人のリリアナさんが詳しいよ。今はちょうどエルミナと薪拾いしているはずだから、俺が呼んでくるよ」
セイジはそう言いながら素早く立ち上がり、出口に向かって駆け出した。
「あ、セイジ君!お願いします!」
小田は慌てて走り去るセイジに声を掛けた。
「ふ~、わしもセイジも書類ばかりに目を通して疲れていたところじゃ」
慈愛は背伸びしながら微笑んで言った。
現在、慈愛とセイジはブーボハムの売上金をどのように羽曽部食品に還元していくかを調査している最中だ。必要な原材料の購入費はもちろん、光熱費となる電気の発電に必要な魔法石の購入も考慮しなければならない。
部屋に再び静寂が戻り、慈愛は小田の顔を見た。
「仁と真那の事も気に掛かるんじゃろ?」
「えっ!は、はい!」
小田が他にも聞きたかったことを慈愛は見透かしたように質問した。特別な事が無ければ向こうの近況は日々の通信で知ることが出来る。ただ、この通信は以前に取り決めたように主要人物となる慈愛や役員達を除き、一般の従業員は交代でしか参加できない。それは人数も多くなり収拾が付かなくなるからだ。
しかし、異界農務菅とう特別な役に就いている小田にも毎回参加できる機会は与えられていた。しかし小田はそれを断った。あまり特別な扱いを受けたくないのと、もう一つ、本心は異世界転移後にはずっと力になってくれていた仁がいない寂しさがあるからだ。
入社当時から兄のように慕っていた仁。毎日通信越しに顔を見れば寂しさも増してしまうだろうと、自分に言い聞かせ、異界農務菅として職務を全うしようと誓っていたのだ。それは自分自身の為だけでなく、旅立っている仁や真那に向けた自分は大丈夫だと安心を伝える為のメッセージでもあった。
慈愛は昨日までの通信の状況を伝えた。
「今はウィスドムホールで採取クエと情報収集を行っているが、あまり進捗もよろしくないみたいでの。そこで次の街へ向かうのを促すつもりじゃ」
「そうですか。いよいよ次の街へ移動ですね。大丈夫!あの二人ならやってくれます!」
小田の力強り言葉に慈愛も笑顔を返した。すると少しして、セイジがリリアナとエルミナを連れて戻ってきた。リリアナは宮廷料理人としての優雅な佇まいを保ち、エルミナはその隣で微笑みを浮かべ、どこか無邪気な雰囲気を漂わせていた。
「リリアナさん、エルミナちゃん、お手数おかけしました。ホロビタ豆のことでご相談がありまして・・・」
小田は謝罪するように丁寧に頭を下げた。
「いえ、お気になさらずに。ホロビタ豆のことであれば、私の知識が役に立てると思います。さっそく見せていただけますか?」
リリアナは頷きながら、小田の持つホロビタ豆を受け取り目を移した。手に取ったホロビタ豆を転がしながら慎重に見つめ、その質感と香りを確かめた。彼女の表情には熟考の跡が見え、やがて優しい微笑みが浮かんだ。
「このホロビタ豆は、スープやシチュー、サラダに加えても美味しくいただけるでしょう。さらに、ペーストにしてディップとしても楽しめるし、ベジバーガーやベーカリーの素材としても使えると思います。何より、その栄養価の高さを活かした健康食としての提案ができそうです」
サラッと色んな情報を話したリリアナに対し、小田は感心するも色々な用途がある事に喜びを感じていた。
「なるほど、リリアナさんのご意見は非常に参考になります。これで羽曽部食品のメニューに新しい風を吹き込むことができそうです」
小田は感謝の意を込めて深々と頭を下げた。やはりホロビタ豆は大豆に近い特性を持っていると確信した。小田はさっそく明日からの収穫の準備と、開発課にホロビタ豆を使ったレシピの作成を依頼しに足を運んだのだった。




