第73話 不協和音
小田が神谷を平手打ちしたことで、その場にいた従業員たちの間に緊張が走った。一触即発の空気が漂う中、慈愛が毅然と両手を左右に広げて魔法を発動させた。
「バインド・エンスネア!」
慈愛の声と共に、光のロープが具現化され、瞬く間に従業員たちと神谷を含む反乱グループ全員を拘束していった。慈愛の体から伸びた一本の光のロープは、次々と従業員たちの足元に絡みつくと地面に突き刺さり固定した。その結果、全員がその場から動けない状況に置かれた。
この状況下で拘束されていないのは、魔法を発動させた慈愛とセイジだけだった。セイジがビジネスパートナーとして連れてきたバルダ一家は、まだ慈愛に紹介していなかった為、羽曽部食品の敷地外で待機させていた。
「アホウども。わしが本気を出せばお主らの内輪揉めなど簡単に抑制が出来る。しかし、それをしないのはお主たちの問題であるからじゃ。一度冷静になって話をするのじゃ」
慈愛は冷ややかな視線で一同を見渡し静かに言い放った。
その冷徹な表情と言葉に、誰もが驚きと畏怖の念を抱いた。慈愛はあくまで第三者として見守る姿勢を示していたが、その威厳と力は圧倒的だった。一瞬で何百人も同時に拘束するその力は、この異世界デルカニアでも規格外のものと感じさせた。
六賢者の一人である慈愛の特別な存在感に、従業員たちは深い感服を覚えた。この異世界で彼女がいかに重要な存在であるかが、改めて浮き彫りにされた瞬間でもあった。
慈愛の介入により、その場の緊張は一旦鎮まった。
従業員たちは、冷静になるべきだという慈愛の言葉に従い、再び話し合いの場を持つことを決意した。神谷もその状況に戸惑いながらも、これ以上の抵抗が無意味であることを悟ったようだった。
慈愛が拘束を解くと、羽曽部社長が一歩前に出て反乱グループに声を掛ける。
「皆の気持ちもわからんでもないが、ここにいる皆は家族だろう、君たちの占領している物流センターだって従業員の皆が使う権利がある」
「お言葉ですが、この施設の管理はそこにいる高橋センター長の直属の上司である私が一任されている。状況が変わったからと言ってそれを覆すおつもりか。確かにここにある財産は羽曽部食品のものだ。しかしそれは元の世界での常識の範囲だ。この弱肉強食の世界では、占領した私たちの物となったのだ」
神谷の言い分は滅茶苦茶だった。自分勝手な思想で狂気に走り始めている。ここで止めなければ被害が拡大してしまう。社長や役員たちはその危険な思想を感じ取り、なんて声を掛けたらよいか言葉を失う。
「1週間!!」
すると、セイジが高々と人差し指を掲げて一声し沈黙を破る。何の事かと皆がセイジに注目する。
「1週間でその不安をかき消すよ。要は羽曽部食品で作った商品で皆が異世界で生活できるほどの売り上げを出せば問題ないんでしょう?」
セイジはこの短いやり取りの中で、慈愛の意図を読み取っていた。慈愛がセイジに初仕事と言ったのはこれを予測しての事だったのだ。
「ハッハッ!笑わしてくれる。一度もまだ異世界で売った事もないのに、そんなことが可能なものか!」
神谷の反乱グループは口を揃えてバカにした笑いをセイジに向ける。しかしセイジは相変わらず冷静なたたずまいで怯まずにいた。
「それじゃ勝負だね。1週間後にもう一度ここで集まろうよ」
こうして、この場の交渉は終わった。セイジは慈愛や社長に向けて、今すぐ全員を集めてと声を掛けた。
セイジに連れられ、ようやく羽曽部食品の敷地に入ったバルダ一家は、何がどう話が進んだのか理解できずにその場で呆気に取られた顔で歩いていた。ともかくセイジに従い行動をしようと付いていった。
◇◇◇
数分後、大会議室に反乱グループ以外の全従業員が集められた。まずは慈愛が改めてセイジを紹介し皆の前に立つ。まずセイジは簡単にビジネスパートナーとして商人のバルダ一家を紹介すると本題に入る。
セイジは子供とは思えない堂々とした佇まいで皆に質問をした。
現状の設備でブーボハムをどれくらいの大きさでどのくらいの個数が製造できるか。また、作り方や使用する原料、そして時間などそれぞれの情報を聞きだし、セイジは目を瞑りながらそれらを聞き、紙やペンを使わずに頭の中にインプットしていく。
するとセイジは頭の中で計算を行い、明日から1日4000個のハムを作ってくれと言う。5日で合計2万個を製造する必要があると指示を促した。セイジの計算では売り上げから原材料費やその他もろもろの費用を合計60~70%ほど引いたとしても、異世界の物価を考えると、皆が生活できる分の利益がそれで出るという。
その為に必要な最低ラインが1日4000個だと説明する。土屋工場長は稼働できる機械と人海戦術による手作業で何とか可能だと判断を下した。
慈愛は神谷グループにこそ説明しなかったが、ここでセイジの今まで成し遂げた偉業を説明する。それを聞いた皆は、セイジの言う事に信憑性を強く感じ取り、取り敢えずすぐ行動しようと言う決意を固めた。
そして、社長はまた昔の羽曽部食品のように一丸となって立ち向かおうと号令を出し、各責任者は人の割り振りをして製造の準備を開始した。
◇◇◇
皆が大会議室を後にし、静寂が戻ったその空間で、慈愛はセイジに問いかけた。
「勝算は?」
「ん~、五分五分かな」
セイジは一瞬だけ余裕そうな笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻り答えた。その目には確固たる決意が宿っていた。セイジは静かになった周囲を見渡し、慎重に答えた。
「まず、反乱に加わっていない従業員たちの結束を再確認する必要がある。次に神谷の影響力を削ぎ、皆が一丸となるための策を練らなければならない。それと同時に、食糧や物資の確保も急務だ。起業の準備が整わない限り、持久戦には耐えられない」
慈愛は頷きながら、相槌をしていた。
「わかった。わしは何をすればよい?」
「慈愛様には原料となるブーボを手配してもらいたい。僕とバルダはレイクサイドで必要な調味料を仕入れてくる。リリアナさんとエルミナは皆のお手伝いだ。あと、どうしても重要な動きをしてもらいたい人たちがいる」
「それは容易いが、最後の重要な動きをする人物とは誰じゃ?」
「ブーボのおじ・・じゃなくて、仁さんと真那さんだよ。二人には現在いるウィスドムホールでマネキンをしてもらう」
「マネキン??」
「マネキンってのは、専門的な商品知識で宣伝をおこなう販売員のことさ。いくつか流通経路は確保してあるけど、それだけじゃ売り上げに届かないからね。二人には頑張って販売先を増やしてもらうさ!」
セイジの案で、神谷率いる反乱グループと勝負することになった羽曽部食品の従業員たち。さらにマネキンをおこなうこととはつゆ知らず、何度も通信を試みようとする仁と真那の姿があった。




