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第31話 真那との過去

 岡宮真那は地元の大学を卒業後、県外にある羽曽部食品株式会社に就職した。地元からは離れた勤務地だったが、子供の頃から慣れ親しんだ羽曽部食品の商品に魅力を感じ、自分もその製品作りに関わりたいと強く思っていたからである。真那は、その情熱と意欲を胸に、新たな生活をスタートさせた。


 同期には工場QCの豊川ちはやがいた。真那は本社の品質管理課に配属されたが、ちはやとは研修時代からの親しい友人であり、職場での悩みやプライベートな出来事を共有する親友となった。

 部署は違えど同じ職種に従事しているため、仕事に関する相談や情報交換を頻繁に行い、お互いを励まし合う関係を築いていた。

 活発的な印象で少し派手目な豊川とは違い、真那は大人しい感じの性格だが芯は強く持っており、品質管理の仕事に誇りを持って取り組んでいた。羽曽部食品の製品が消費者の食卓に届くまでの過程を支えるその役割は、真那にとってやりがいのある仕事であった。


 そんな入社1年目のある日の事、真那は就業時間を過ぎてもひとりPCの画面に向かい合って難しい顔をしていた。


 この時、仁も品質管理課に所属していたが、責任者と言う訳ではなく、係長と言うチームリーダー的な存在であった。


 品質管理課には仁と真那だけが取り残され残業をしていた。


 この頃、仁は真那とチームも違う為、ほとんど話す事もなかった。真那のチームリーダーである小田も女性陣をまと上げる存在であったが、当時は子供も小さく時短で勤務していた為、既に本日の業務を終えて帰宅していたのだ。


 仁は真那をチラリとみて軽くため息を吐いた。

「(あの子まだ残業するのか・・・)」

 ひとり新入社員の女の子を置いていく訳にも行かず、仁は帰るに帰れない状況であった。無論、帰る事に支障がある訳ではないが、どこか後ろめたさを感じる部分でもある。


 そして時間は夜の9時を回り、さすがに仁も席を立ちあがり真那のデスクへと向かった。

「どうした岡宮さん。このまま会社にでも泊まるつもり?」

 若干皮肉を込めて仁が言うと、真那は顔をバッと上げて気まずそうな顔で仁の顔を見た。

「あ、すみません。どうしても今日結論を出してまとめたい資料があって」


 仁は軽くため息をつくと真那のPC画面を覗き込んだ。

 真那の携わっていた業務は食品表示に関わる資料作りであった。一般的に法が改正されると、それに合わせて食品表示も変更しなければならない。該当する商品は数百種類にも及び、莫大な量であった。

 それを真那は一覧表にまとめ、取引先ごとに商品わけと変更箇所をソート出来るようにグラフを作成していた。


「(え?こんな難しいことやってるのか?小田に言っとかないとな。まだこの子には早すぎるだろ)」

 仁がそう思うと、真那がその表情を察したのか口を開いた。

「これ、自分でやりたいって志願したんです。まだ期日までに余裕がありますが、落としなくやり遂げたいので確認する時間も多く取りたいんです」


 確かに岡宮真那は、仕事上に関して言えば優秀であった。人当たりも良いし性格も良い。小柄で細身だが顔もアイドル並みの可愛さを兼ね備えている。その為、男性社員からのアプローチも少なくないが、今は就職もし、新しい人生の出発点と言うべきだからなのか、誰かと付き合っているとか浮付いた情報はない。


「(かなりのドまじめなんだな。この子は・・・)」

 仁がふと目線をPCの画面から真那に移すと、真那は仁の顔をマジマジと見てニコッと笑った。

「あ、もしかして奥さんが待たれてますよね。先に上がってください。戸締りしときますので」


 仁は真那の言葉に少しイラッときた。特に悪気があって言った訳ではない真那の言葉だが、年下の、しかも新入社員に気を使われている事が馬鹿にされているような感じを受けたのだ。


 仁は咄嗟に真那の頭を軽くコツンと叩いた。それはあまり考えずに出た行動で、条件反射に近かった。


「いた~パワハラですよ~」

 真那は頭を小突かれたことに驚いて呟いた。仕事も遅くまで頑張り、上司にも気を使ったのに、なぜ叩かれたのか分からなかったからだ。せめてもの反抗としてパワハラと言葉に出した。


 だが、仁にとってはしてやったりであった。どこかいつもよそよそしい性格の岡宮真那の素を引き出せた感じがしたからだ。


「ああ、何か急に憎らしくなって手を上げてしまったよ」

 悪びれる気持ちもないその言葉に、真那は頬を膨らませて仁をジッと見ていた。その表情にまたしても仁はしてやったりと口元が緩んだ。

 だが、ここまでだとムチ打つだけになってしまう。飴も与えないとなと仁は考えた。


「岡宮さん。ラーメンでも奢るから今日は終わりにしよう。食べながら仕事の相談に乗るよ」

 意外な仁の言葉に真那は顔が明るくなった。相談に乗ると言われた言葉にとても嬉しかったからだ。


 品質管理課は家庭と仕事を両立している女性が多い。その中で真那はまだ入社1年目ということもあり、あまり気軽に相談できる相手がいなかった。皆が忙しい中、自分の業務のことで時間を割いてほしくないと思い、何でも自分で解決しようと努力していた。そんな中、同じ品質管理課の上司が相談に乗ると言ってくれたのは、自分の心境を察して気に掛けてくれる人物がいるという喜びを感じさせた。


 真那は仁の言葉に少し意地悪して返答した。

「慰謝料ですね。良いですよ。ちゃんと相談にも乗ってくださいね」


 少しだけ、仁と真那の距離が縮まった瞬間であった。



 その後は数ヵ月に1回ほど、二人は仕事帰りに食事をする事が増えていった。

 当時、仁は既婚者ではあるが、部下の相談に乗ると言う名目で、妻以外の女性と二人で食事をする事にあまり罪悪感は抱いてはいなかった。

 お互いが居心地の良い空間を見つけたように、何でも気兼ねなく話し合い、二人で居る時はお互いを「仁」「真那」と呼び捨てあう仲にまで発展していた。


 但し、それ以上のことは無い。あくまで上司と部下の相談食事会と言うことで、大人の関係を持つことは決して無い。

 これはお互いが暗黙の了承をしている事でもあった。もし、二人が関係を持ってしまったら、それは不倫となる。


 だが、それも時間の問題であったかもしれない。


 しかし、数年後に仁は離婚した。真那が原因ではない。別の事が離婚の原因であると真那は聞いていたが真因は定かでない。


 離婚後、仁は真那との二人きりの食事を避けるようになった。

 これは、良からぬ噂が真那に向けられるのを防ぐためだった。二人が一緒に食事をしていたことは誰にも見られていないし、変な噂も立っていなかった。しかし、万が一誰かに見られていたとしたら、離婚の原因が真那との不倫と面白おかしく騒ぎ立てられる可能性もあった。そうなれば、真那の立場が危うくなる。仁はそれを危惧し、距離を置くことにした。


 その後、さらに数年が経ち、仁は品質管理課の課長に昇進した。真那とは一人の部下として接し、以前のような親密さは失われたものの、職場での適切な関係を保つことができていた。


 そして、運命の分岐点とも言える異世界転移に巻き込まれてしまった。


 そんな、一度は真那と心を通い合わせた仲となった過去が、仁にはあったのだ。


◇◇◇


「へえ、親しい感じは受けていたけど、そんな過去もあったとはね」

 小田は納得したような表情を仁に向けた。彼女にとって、何か引っかかっていたものが取り除かれた気分だった。


「ああ、そういえば当時、いろいろと私たちチームの業務内容を聞きに来てたけど、それが真那ちゃんのためだったのかしら?」

 小田は人差し指を顎に当て、空を見上げながら思い出したように声を上げた。


「ん?そうだったっけ?まあ、そうかもな」

 仁はあまり考えずに答えた。


「あの時は私に気があると思って、たくさん話しかけてきたのかと思ったわ」

「はぁ?残念ながら人妻には興味ないなぁ」

 仁がそう言った瞬間、突然お尻に衝撃が走った。小田が軽く蹴りを入れたのだ。


「失礼なこと言わないでよ!」

 小田は笑いながら仁に一歩近づいた。


「冗談だよ。だが、お前にはあの頃から感謝してるんだ。いろいろ助けてもらったからな。」

 仁は真剣な表情で小田を見つめた。

「本当に?」

 小田は少し驚いた表情を浮かべた。

「ああ、本当だ」

 仁の言葉に、小田の表情は柔らかくなり、その目には一瞬の感謝の色が浮かんだ。


「じゃあ、その恩返しにまた一緒に頑張りましょう~」

 小田は笑顔で仁に握りこぶしを差し出した。


「もちろんだ」

 仁は小田の握りこぶしに合わせるように自分の握りこぶしを差し出し、コツンと当てた。

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