第29話 異世界ニートは旅立ちたい
異世界に漂流して9日目、ようやく今日は待ちに待った水路が開通する日だ。皆がその様子を一目見ようとワクワクしながら起床していた。
昨日に引き続き、本日も特別な作業は予定されていなかった。自部署が携わった水路の整備が完了し、川の水が無事に流れ込む様子を確認するため、全員が現場に赴くことになっていた。仁の提案で、流れる水路を眺めながら昼食を取ろうということになり、皆は昼食用の食材をバッグやリュックに詰め込んでいた。
準備を進めている最中、突然天井からバチバチと電気の弾ける音が響いた。漂流後ずっと消えていた蛍光灯が、次々と点灯し始めたのだ。その明るさに、懐かしさと驚きが入り混じり、本社棟のあらゆる場所から一斉に喜びの歓声が上がった。
―――遂に電気が開通したのだ―――
「電気が戻った!!!」と、誰かが歓声の中で叫んだ。思わず顔を見合わせる一同。長い間暗闇に慣れた目が、今は久しぶりの明るさに喜びを感じていた。
「ようやく文明が戻った感じだな」
仁が感慨深げに言いながら、周りを見て少し微笑んだ。周囲の同僚たちも笑顔を浮かべ、誰もがこの瞬間を味わっていた。
皆が手を取り喜ぶ中、社内放送が流れた。
《羽曽部食品の従業員の皆さん。おはようございます。人事・経理部の伊藤です。ようやく電気の確保が出来る準備が整いました。現在はテスト中ですが、節電の為、現在電気を使用している箇所はスイッチをお切りください》
放送をおこなった人物は、人事・経理部の責任者である[伊藤茂]だ。部長職で2つの部署を任されている。羽曽部食品の役員でもあり、年齢も40代と比較的若く、エリート街道を歩み続けて来た人物だ。
皆が歓喜する中、一度は点灯した蛍光灯のスイッチを切っていく。そしてコンセントに繋がっているコード類も全て抜いた。
異世界に転移してから電気が無かった為、スイッチ類もONのままになっていたのだ。これからは節電も兼ねて貴重な電気を使用していく事となるだろう。
そして工場と本社棟の間には、以前より準備していた発電装置と高圧変圧器が設置されていた。ドワーフ族のローガンと設備課による合作だ。
周りには土屋工場長を始め、羽曽部社長や加茂課長など、多くの人が集まっていた。そこの中心には、慈愛とローガンもいた。
仁は急いで本社棟の階段を降り、その場へと向かった。
「やりましたね!土屋工場長」
「おお!須沖。何とか電気問題はこれで解決出来そうだ。ただ電力は使い放題って訳にはいかない。優先的に電気を使う箇所を選定して節電もして行かなければな」
何はともあれ、大きな問題の一つであった電気は目途が付いた。
仁は設備課の皆にお礼を言うと、品質管理課の部屋に戻り皆を引率して川辺へと向かった。
◇◇◇
水路沿いに歩いていると、小田がそっと仁の隣に近づいてきた。
「須沖課長。昨日のこととか、色々と迷惑をかけてしまってごめんなさい」
小田の声は少し震えていたが、彼女の目には決意が宿っていた。
昨日の事件以来、あえてその話題に触れずにいた仁だが、意外にも小田から切り出してきた。口に出したということは、一晩が経ち、幾分か気が楽になったのかもしれない。
「ああ、いや。俺のほうこそ辛い思いをさせて悪かった。その・・・調子はどうだ?」
仁は言葉を探しながら、気遣うように尋ねた。上手い言葉が見つからず、もどかしさを感じた。
その様子に小田はクスクスと笑いを漏らした。
「ブラウスのボタン、真那ちゃんに付け直してもらったんだけど、少し胸のあたりがきつくて苦しいの。さすってくださるかしら?」
小田は冗談交じりに胸に手を当てながら話した。
「え、え?苦しいのか…?そんなことでよけれ・・・っておい!ボタンを付け直しても服のサイズは変わらんだろ!」
仁は一瞬真に受けそうになったが、小田の冗談に気付き、いつものように片手を上げて怒る仕草を見せた。
「ふふふ。いつもありがとうね!仁にぃ!」
その言葉には懐かしさが滲んでいた。小田が入社当時、年上の仁のことを兄のように慕い、[仁にぃ]と呼んでいた頃を思い出す。仁はその頃の小田を妹のように思っていた。彼女の屈託のない笑顔は、当時と変わらず輝いていた。
小田もまた、仁のことを常に気に掛けていたのだ。
昨日の事件で、自分の不注意が原因で仁や真那を巻き込んでしまったことを悔やんでいた。最も傷ついたのは小田自身であるにもかかわらず、彼女は普段通りに振る舞い、仁に気を遣わせないようにしていたのだ。
仁は、その小田の強さと気遣いに胸を打たれ、彼女の成長を感じたと同時に、自分自身もまだまだだなぁと改めて感じた。
「カナちゃんもな!いつもあざす!」
仁も小田に対して、昔のような口ぶりで返答した。その瞬間、二人の間にかつての日常が蘇り、小田は嬉しそうにあっかんべーをすると、女性陣の輪の中に戻っていった。その背中を見送りながら、仁は心の中で小田に感謝の念を抱いていた。
「スミに置けないですね、仁にぃは・・・」
「うわっ!その声、原田か!?」
仁は驚いて振り返った。真後ろに原田が静かに歩いていたのだ。
「原田、いつからそこに?上司の背後を取るなんて、忍者かお前は?」
原田は少しむくれた表情で応えた。
「はぁぁ、本社棟からずっと後ろを歩いてましたよ~」
仁は肩をすくめて笑いながら、原田の背中を軽く叩いた。
「すまん、気付かなかったよ。だが、そういう忍び足も案外役に立つかもな。」
原田は仁の言葉に微かに笑みを浮かべた。
「まあ、何かの役には立てば良いですが。ただ、背後から声をかけたのは、ちょっとした僕の意地悪でした」
仁は苦笑しながら頭をかき、原田と共に周囲の風景を眺めた。
「さて、これからも色々と忙しくなるな」
「え?労働はもう終わりなんじゃないですか?」
「お前、異世界ニートにでもなるつもりか?やらなきゃならない事は盛り沢山だぞ!」
「あ、そう言えば例のスキル持ちは従業員の中にいたんですかね?」
原田の質問に仁は首を傾げた。<落ち人>と呼ばれる現代社会から来た自分達には普通は存在しないスキル持ち。しかし可能性は0ではなく万が一、羽曽部食品の従業員298名の中にスキル持ちが居れば、帰還の手掛かりを探す旅へ出なければならない。
「お前は忍び足のスキルを持っていそうだ。頑張って旅をして来い!」
「ええー!マジすか!それなら嬉しいです!」
原田は目を輝かせながら答え、仁は意外な原田の反応に少し驚いていた。
少しからかうつもりで言った冗談が原田を喜ばせてしまったからだ。
今の若者は無法地帯ともわからないこの異世界を旅したいと思うものなのかと、少し年齢差を感じた仁であった。




