第20話 秩序を守れ
間野は仁に対しても高圧的な態度を取ってきた。
彼は大学時代、ボクシング部の部長を努めていた経歴もあり、ガタイもそこそこ良く、筋肉質的な体をしている。ただチャラそうに見えるだけではない。腕っぷしもかなりのものである。
仁は無言で稲木の元に向かい、片膝を付いて話し掛けた。
「稲木部長、大丈夫ですか?」
そんな仁に対し、稲木は怯えた表情を見せた。仁に殴られた時のトラウマが色濃く残っていたのだ。
「あれれ~、須沖課長もまだ殴り足らないんですか?」
間野がそう言うと、稲木は再び体を震わせて仁から顔を隠した。
仁は立ち上がり間野を睨みつけた。それでも間野は臆することなくへらへらとした表情を見せていた。
そこへ、いてもたってもいられずに真那が間に飛び込んで来た。
「間野さん。あの時、須沖課長は私を守るために行動に出たんです。今の欲に任せたアナタの行動とは違います!」
へらへらしていた間野の顔から、スッと笑みが消えた。今度は間野が一歩真那に近づいた。
「岡宮主任、格好良いですね。でも、さっきも言ったがここは日本じゃない。岡宮主任をメチャクチャにしても、日本の法で俺を裁けないですよ~」
間野は真野の身体をなめるように頭の上からつま先までじっくりと凝視した。その言葉と視線に真那の顔は一瞬青ざめた。
しかし突然、真那の視界は仁の背中に覆われた。
間野の視線を遮るように仁が真那の前に移動したのだ。
「間野、ここが異世界だとしても会社の組織と言う枠組みがある。勝手な事は許さない」
力強く仁がそう言うと、周りの品質管理課のメンバーは大きく頷いた。
「関係ないですね、どうせ偉そうな上司は全員ぶっ飛ばすつもりでしたから。須沖課長も俺の考えに賛同してくれないならボコしますよ?」
間野は再びへらへらと笑い出した。
とても上司や目上の人に対する態度ではない。間野はチカラで自分の周りから支配しようとしていた。
仁は間野を危険だと感じた。
今後、異世界で生活を送ってく中で、こう言う輩も出てくるだろう。協調性に欠けた人物がいると、回り始めた歯車も狂い始める。
そうした場合、全員が無事に現代社会に帰還するという最終目標に到達出来なくなってしまう。
仁は一瞬目を瞑り、何かを決意したように目を再び開け、間野を睨みつけた。
「間野・・・。やれるものならやってみろ」
意外な仁の挑発する言葉に周りがザワついた。
皆が知っている須沖課長とは、大分かけ離れた印象のある発言であったからだ。
そして相手はまだまだ全盛期の体力有る若者だ。格闘経験もある。アラフォーのおっさんである仁が、殴り合いの喧嘩をしたって負けは目に見えている。
仁の言葉に間野は嬉しそうな表情を見せ、右腕を後方へ大きく振りかぶる。
「へ~、そうすか。それではお言葉に甘えますよっと!」
間野が容赦なく仁の顔面に目掛けて右ストレートでパンチを放った。
皆がどうしようもない状況に目を覆った。
だが次の瞬間、皆の予想とは異なり、仁は難なく間野のパンチを右手で叩き落とした。
これには殴り掛かった間野本人も、周囲で見ていた従業員も目を疑った。
「ハンッ!まぐれかよっ!」
続けて間野は左ストレートを一歩踏み込んで仁目掛けて放った。仁は身体を後方に一歩さがり、先程と同じようにパンチを叩き落とした。
「っ!てめー」
空振りに終わったパンチに苛立ち、間野が再び右ストレートを仁に向けた。仁は更に一歩下がり、腰を屈めると今度は叩き落とさずに、間野の拳を左手で掴んで止めて見せた。
そのまま間野を自分の方にグイッと引き寄せ、仁は残った右手で間野の顔面を強く掴んだ。
「ぐっぐあぁ」
仁は思いっきり力を入れ、プロレス技のアイアンクローのように間野の顔を締め付けた。
「間野、日本の法律が通用しない世界と言ったな。ならば、俺がここからお前を外に突き落としても罪には問われない訳だな」
仁は間野の顔面を掴んだまま窓際に移動し、窓ガラスに思いっきりぶつけた。
廊下には鈍い音と共に間野の叫び声が響き渡った。窓ガラスは割れこそしないが、衝撃でヒビが蜘蛛の巣状に張り廻った。
それを見ていた従業員も悲鳴を上げた。
「くっ!!!離せ―っ!!」
「俺が手を離すのは窓ガラスが割れてお前を落下させる時だ」
仁は間野の後頭部を窓ガラスに打ち続けたままの体勢でそう言うと、振りかぶるようにして間野を引き寄せ、再び窓ガラスに間野の後頭部を強打した。
2度目の衝撃で今度は窓ガラスが完全に割れた。再び従業員たちの悲鳴が廊下に響き渡った。
「ダメ―!仁っ!」
真那は仁を止めようと必死に後ろから抱きしめた。
間野は窓ガラスが割れた事で落下の恐怖を感じ取ったのか、目には涙を浮かべガチガチと震えていた。惨めにも履いていたズボンは股間から濡れ始め、失禁してしまったようである。
仁は冷徹な目で間野の表情を確認すると、手からチカラを抜き間野をその場に開放した。
廊下の窓際で尻もちをついた間野は、稲木と同様に仁を恐れるような眼で見上げていた。
仁は窓から離れ、皆の方へ振り向いた。
「良いか!ここにいる皆も良く聞け!俺たちは決して無法地帯に投げ出されたわけではない!この異世界にもルールはあるだろうし、場所は変わっても俺たちは会社と言う組織の中で成り立っている。それを忘れないでくれ」
廊下には仁の声が響き渡り、そしてしばしの沈黙が流れた。
「その男の言う通りじゃ!」
沈黙を破る女性の声が聞こえた。それは騒ぎを聞きつけて来た慈愛であった。寝床として住んでいる12階の会議室から降りて来たのだ。
「この世界にも秩序はある。それを見守るのがわしを含む六賢者の役目じゃ。わしの目の届く範囲での勝手な行動はこの世界の法律により裁く事になるぞ」
慈愛はキツイ言い回しで皆にそう述べると、両手を腰に当て、騒ぎの中心人物である仁を見た。
「(またこの男か・・・)」
慈愛はため息をつき、早く解散しろとばかりに皆を手で追い払う仕草をした。
◇◇◇
一部始終を息を呑んで見ていた原田は鳥肌が立っていた。
普段の須沖課長は、冗談も言うし部下にも慕われている。それが自分の代わりにサイと決闘したり、間野の暴動とも言うべき行為をチカラで鎮圧した。それが意外であったのだ。
そんな原田の心境を悟ってか、小田が原田の肩にポンッと手を置いた。
「須沖課長の意外な一面を見てビックリしたでしょ。でも、私が聞いた話では昔は荒れていたらしいのよ」
小田はそう言うとフフフと笑った。
高校時代の仁は野球部に所属はしていたが、あまり熱心ではなく、どちらかと言うと勉強嫌いで遊び惚けていた。
ギラギラと鋭い目つきで相手を威嚇し、喧嘩に明け暮れる日々も送っていた時期もあった。
そんな矢先、姉を事故で亡くした。
周りの印象では、その時から性格がガラリと変わり、目つきも穏やかになったそうだ。
「事故って・・・?」
「私も詳しい事は知らないわ。でも、須沖課長は私たち従業員の為に本気で行動してくれるわ。それは今も昔も変わらないわ」
小田は懐かしむような眼でそう言った。年齢こそ近いアラフォーの仁と小田だが、同期と言う訳ではない。先に仁が入社して、その数年後に小田は入社している。
入社当時、小田の目にも仁は頼りがいのある兄貴分として色濃く心に残っていたのだ。
そんな仁は、先程の間野との騒動の後、真那に連れられ自分の席に戻っていた。お互い会話はない。だが、心で通い合っているような、そんな雰囲気であった。
「小田係長、あの二人って・・・?」
その様子に原田は小田に質問した。小田は首を傾げて原田と同じ視線の先へと目を向けた。
「ただの上司と部下でしょ。仲が良いのは確かだけど、年齢差もあるし、どうだかね~」
付き合っている訳ではないのかと、少し安心した気持ちになった原田であった。
ただ、原田の目には上司と部下以上の何かを感じていた。




