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第1話 漂流した会社

 202□年6月3日、午前10時23分、低い地鳴りが足元を伝わる。そして建物も呼応するように軽く揺れた。

「また地震か」誰もが顔を見合わせそう思った。


 震度3に満たない地震が頻繁に発生していた。多い時で週に3回ほどだが、この地域では、これまでに大きな地震は発生していなかった。あったとしても既に100年以上も前の話となる。


「おーい須沖課長!今のは結構な揺れじゃないか!?」

 一人の男性が品質管理課のドアを開き大きな声で話し掛けて来た。その男は隣の部署にある情報技術部の責任者である稲木部長であった。太めの体形で丸い額には脂汗が滲み出ていた。

「工場は大丈夫か?確認しろよ!」


 稲木に話し掛けられた男、須沖は軽くため息交じりに、部下へと声を掛けた。

「ごめん原田君、工場が大丈夫だったか確認して来てくれる?」


 やれやれと言う顔をしながら須沖は部下へ指示を出すと、何事も無かったかのように再びPCのモニターに目を戻した。すると稲木部長がズカズカと須沖の座るデスクに近づいて来た。

「須沖課長、言われる前にどんどん動いてくれないと~、何かあったらどうするんだよ」

「はぁ、すみません(心配ならお前で確認してくれよ・・・)」


 言いたい事だけを言って去っていく稲木の背中を部屋を出るまで目で追うと、須沖は大きくため息をついた。


 この稲木は何かと品質管理課の部屋に来ては偉そうにしてくる。確かに役職は部長で偉いのだが、現在の力量はそうでもないと感じる部分はある。何となく運に恵まれて出世した印象の強い人物であった。

 そして、その相手をしてやるのが食品会社の品質管理課に所属する須沖の日課でもあった。


 食品会社の品質管理課は、その名の通り、製品の品質管理を担当している。この課の主な業務は、生産ライン上での製品の品質を担保することである。


 工場は広大な敷地に立つ建築物であり、その中では機械音と忙がしげな作業の音が響き渡っている。この工場では主に食肉製品や総菜系の製造を手がけており、香ばしいハムやジューシーなソーセージ、または繊細な味わいの中華料理など、さまざまな食品の製造が行われている。


 しかし工場も、時折障害に見舞われることがある。地震や自然災害の影響で、水や電気などの不可欠なユーティリティに異常が生じ、製造ラインが一時的に停止してしまうことがあるのだ。そういう事態に見舞われた場合、工場は製造が停止し、慌ただしく復旧作業が行われる。


 この一時的と思われる停止が長引いてしまうと重大な問題が浮上してくる。製造ラインの停止によって、膨大な量の食品や原材料が廃棄ロスとなってしまうのだ。鮮度を保つために厳重な管理が求められる食品たちは、時間の経過とともに色はくすみ、価値を失ってしまう。その結果、会社にとって大きな損失をもたらすことになってしまう。


 工場の関係者たちは、日々の業務において万全の体制を整え、万が一の事態に備えている。しかし、不可抗力には逆らえない自然災害は現実に存在し、常に慎重に目を光らせているのである。


 先程、指示を出した須沖は品質管理課の課長職を担っていた。


 姓は須沖(すおき)、名は(じん)


 仁はアラフォーのおっさんで離婚経験のあるバツイチってやつだが、部下からは結構慕われており、男女問わず接しやすい性格で、色々と相談を受けたりもしている。

 今はダンディー路線を目指しているようだが、どうも心は成長していない。性格的に仕事はしっかりこなすし、まじめで時折り冗談を飛ばす。部下想いではあるが、プライベートはもっぱらゴロゴロしているのが好きだ。この頃はポッコリと出始めて来たお腹を気にしている。


 仁の居る品質管理課は、工場とは運送トラックの通路を挟んだ12階建てのビルの一角にある。92,755平方メートルにも及ぶ敷地内には大きく分けて[食品工場][物流センター]そして品質管理課や営業部門、その他もろもろの管理部門が集中している[本社棟]の3つがある。


 窓からは遠くに富士山がそびえ立つのが見え、国内的に大きくない会社だが地元民にも愛されている企業である。会社名は【羽曽部(はそべ)食品株式会社】。この会社の創設者の苗字[羽曽部]が会社名の由来だ。



「須沖課長、工場は問題ありませんでした」

 しばらくすると部下の原田が戻ってきた。使いっ走りとなったのは入社2年目の若い男性社員だ。こういう使いっ走りの指示はやはり年功序列で若い人間が走る。


「ありがとう、お疲れ様~」


 仁と同時に女性達も声を掛けた。品質管理課は女性が10名、男性は仁を含めると6名だ。お礼を言ったこの女性たちは品質管理という仕事柄、法律的な面も詳しく知的な雰囲気を漂わせている。


 仁は後で行ってみるかと椅子に体を預け、背伸びしながら外を眺めた。

 いつ、ここも大地震が起きるとは限らない。日本では大地震と呼ばれる災害が数年おきに起こっている。大きな災害が起こるとしばらくは慎重になるが、それも次第に風化していく。

 平和ボケではないだろうが、どうも自身に被害が振りかからない限りはテレビの中や映画の世界のように客観的に見ている立ち位置となり、記憶が薄れていくものだ。



「誰か一緒に工場見に行く~?」


 仕事が一段落して仁が声を掛けると、先ほど使い走った原田が行きますと声を上げた。

「(いやいや、お前は行ってきたばかりだろう。おっさんだって若い女性と行動を共にしたい)」

 あえて冗談っぽく仁が原田を無視していると、ジッとこちらを見てる女性社員がいた。


「お、真那さん行く?」


 仁が声を掛けた女性社員の[岡宮真那(おかみやまな)]はニコッとして「行きます!」と返事した。年齢的にも若く、席を空けてしまう事を周りに気にしていたようだが、心地よい返事が返って来たってことで、軽く彼女の行動に背中を押せたかなと仁は感じた。

 これも仕事だし過剰に気を使いすぎるのも良くない。特に彼女はまじめすぎるので息抜きにでもPCから目を離して歩いた方が良い。


「それじゃ小田さん、真那さんを少し借りるよ」

 仁は小田と呼ばれる女性に声を掛けた。[小田香苗(おだかなえ)]は女性陣のリーダー的存在であり、仁の片腕でもある。職歴も長く役職は係長で仁より少し年下である。小田は既婚者で家庭と仕事を両立させているバリバリのキャリアウーマンだ。


「ええ、須沖課長よろしくお願いしますね。」

 小田はそう言うと真那に笑顔を向け、いってらっしゃいと手を振った。


◇◇◇


 本社棟を出て工場へ向かって歩いていると、真那は工場の事について色々と仁に質問をしてきた。

 品質管理課で事務専門の業務を担っている女性はあまり工場の実務経験がない。PCのデータ上とは異なることもあり、わからない事が多いのだ。その点、仁は工場の実務経験も多く、幅広い知識を持ち合わせている。こういう時はちょっと得意げに話してしまう。


 工場施設に続く外階段を上がると、工場事務所に通じる玄関が見えてくる。そこを通り抜けると、事務所の前には大きなフロアーが広がり、ちょうど昼休み時でもあった為か、多くの従業員が往来していた。


 仁と真那は人混みを避けながらフロアーを横切り事務所の扉を開けた。50人程がいる事務所内では、何事も無かったようにいつもの職場風景が見られた。

 それだけで工場に何も被害が起こっていないことは明白であったが、真那は同期にあたる[豊川(とよかわ)ちはや]という女性QCの座っているデスクに近づいた。

 QCとは、品質管理(Quality Control)の略語であり、製品の品質に問題がないか検証する役目を表す言葉で、工場に属している品質管理担当者の事を指す。所属は工場となるが、本社棟にある品質管理課とは密接な関係にあたる。


「ちはやちゃん、さっきの地震、影響は何もありませんでした?」


 ちはやが真那の声に気付き顔を上げると、仁が真那の後ろに立っているのが目に入った。ちはやは仁に軽く会釈してから真那に視線を戻した。

「真那ちゃん珍しい!工場に来るなんて!特に問題は・・・」


 急に豊川の顔が緊張した面持ちとなり言葉が止まった。仁もその異変に気付き、眉間にシワを寄せ周囲をバッと見回した。

 自分の隣を大型トラックが通過するような振動を足元から少しずつ強く感じ始めたのだ。


 ズズッ・・・ドドド・・・ドドドドドドドドド

 最初は微かな振動だったが、次第にこれまで聞いたことのないような地鳴りが足の裏から伝わった。


 ドンッ!!!


 床の真下から大きな鉄の塊がぶち当たったかのような衝撃を感じた。すると周囲が一瞬グワンッと歪み、体が左右に大きく揺れ始めた。


 それはまるで"大きな手が建物を揺すっている"かのようであった。


 揺れが強まるにつれ、部屋中の本棚からは書類がバサバサと落ち、所々で椅子が倒れる音が響いた。事務所の中にある棚は地震対策をして固定されていたが、揺れはどんどん強くなり、棚の中のファイル束が無差別にミサイルのようにして発射された。

 ちはやは机の下に身を隠し、その場に立っていた仁はすぐさま真那の手を引っ張り事務所を出た。


 事務所前のフロアーでは多くの従業員たちが悲鳴をあげパニックになっていた。突然の地震に驚き、騒ぎが広がっていく。建物自体が大きく揺れ、天井からは砂利や石膏ボードが落ちてきた。

 仁は周りを見回しながら比較的落下物の障害が少なそうな柱を見つけ、そこに素早く移動して真那の頭を抱え込むようにして柱の傍にうずくまる。仁の腕からは真那が突然の出来事に大きく震えているのが強く伝わっていた。


「みんな!丈夫そうな柱の付近で屈んで頭を隠せ!」


 必死に仁も声を絞り出し、パニック状態の従業員に声を掛けた。どうして良いかわからない従業員は、仁の声に素直に従っていった。


 工場建屋は3階が事務所で1階と2階で製造をおこなっている。耐震強度は問題ないだろうが、今いる場所は3階。建物が崩壊しないかと仁も内心ヒヤヒヤしていた。


 窓を見ると、巨大な砂嵐が勢いよく上昇しているかのように見えた。普段は見慣れた風景が、今は黄土色の砂嵐に覆われ、異様な光景がどの窓からも映し出されていた。


 その様子は、まるで建物自体が地中に沈んでいくかのような錯覚をもたらすほどだった。

 突然の出来事に、叫び声と共に建物もまた揺れたが、やがて揺れは次第に収まっていく。


 周囲には、突然起きた地震の緊張が残っているだけとなった。


 仁は地震の恐怖から解放され、大きく息を吐いた。まだ揺れているかのような感覚はあるが、地震は完全に収まっている。腕の中に抱えている真那に「大丈夫、収まったみたいだ」と気遣いの言葉を掛けると、真那は緊張した面持ちで仁の顔を見つめ、軽く頷いた。


 その様子に仁は安心し、次の行動へと頭の中を切り替えた。

「真那さん、工場の従業員はお年を召した方もたくさんいる。安否の確認をしていこう」


 そう言って仁は真那のもとを離れ、周辺のうずくまったままの従業員に片膝を付いて声を掛けていく。

 何人かに声を掛けていた時にふと、視界の外側に違和感を感じた。こんな地震の後だ、何かしらの不思議な感覚があって当然だと思っていたが、その正体に突然気づいて立ち上がった。


 いつもの窓から見える富士山が見えない!

 天気が悪いとか視界が悪いとかではない。青空が広がって天気も良いが、すっぽりと富士山がいつもの景色から消えていた。


 仁は早足に窓へ近づき辺りを見回した。富士山だけでない。周りの建物がなくなっている。地震で崩れたとかではなく、周辺には木々の生い茂った自然が広がっていた。

 信じられないような光景を目にし、急いで反対側の窓にも確認へ向かう。


 そこには、本社棟や物流センターはいつもの位置に確認できたが、それ以外の景色は同じように木々が広がっており、会社周辺にある筈のアスファルトや他の建物など近代的な物が何も見えない。


 羽曽部食品株式会社の敷地だけがすっぽりと、大自然にある深い森の中に放り込まれたようであった。



「ここはどこなんだ・・・」

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