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September  作者: 星空
14/19

〈 16の春 scene 6 〉夜空


 春休みに入ってから、荷造りを始めた。

と言っても教科書は向こうで購入するので、持っていくのは身の回りのものだけでよくて、一日あれば十分だった。

 蒼は綾さんに会ってからというもの、うわの空でいることが多くなった。それでいて、いつも一緒にいる僕ですら時々声をかけるのをためらうような、誰も寄せつけない雰囲気があった。

それはまるで、答えのない問いをずっと考えているようだった。蒼が背負ってしまったものはあまりに重すぎて、僕にできることは限られているように思えた。

なるべくリラックスして過ごせるようにと思っていたけど、支えると言っても僕にできることは食べ物だったり、音楽や映画に気を遣うくらいで、何もできないまま時間だけが過ぎていった。


 3月も終わりに近づいてきたある日、僕は星を見に行こうと蒼を誘った。

「本当は流星群を見せてあげたいんだけど、来月とか再来月まであんまり見えないらしくて」

空気が乾燥して澄んでいる冬の方が、星はよく見えると言われている。それでも流星群だったら、天気がよければ楽しめるかと思ったんだけど、1月のあとは4月終わりか5月初めになるようだった。

「流星群ってそんなにたくさん見えるの?」

「すごいよ。一瞬だけど昼間みたいに明るくなることもあるし」

「へぇ、俺、見たことないや」

蒼は少しは興味があるようだった。

「花粉とか黄砂の季節だと、もやがかかったみたいになりやすいんだけど、明日の夜は気温も高めみたいだから、ちょっと行ってみない?」

「うん」蒼は素直にうなずいた。



 次の日の夕方、大きめのブランケットと水筒に詰めたコーヒーを持って、僕たちは家を出た。

休日の下りの電車はすいていた。二人掛けのロングシートにならんで座り、すでに暗くなってきた窓の外をときどき眺めながら、終点まで行った。

「真っ暗だね」

「満月とか街の明かりとかあると、星が見えにくいからこのくらいの方がいいんだけど、足元気をつけてね」

 途中で夜景が見える場所があって、そこでひと休みした。僕たちが住んでいる方角は、たくさんの灯りが()いていて、高層ビルはクリスマスのツリーみたいだった。

「これはこれでキレイだね」

蒼がうっとりとした口調で言った。

「そうだね、デートスポットだから」

蒼がふふっと笑った。

「なに」

「いや俺、航とはデートで行きそうなところばっかりだなと思って」

「ああ、去年の夏にたくさん行ったね」僕も笑った。

 それからまたしばらく歩いて、(ひら)けた公園に着くと、芝生の上にシートをひいてふたりで腰をおろした。天気予報通りの気温で、雲もほとんどなかった。

暗さに目が馴れてくると、肉眼で見える星の数がどんどん増えてきた。

「コーヒー、飲む?」

「うん、ありがとう」

春とはいえ、夜はまだ温かい飲み物が欲しくなる。

蒼はふうふう息をかけながら少しずつ飲んでいた。こんどは僕が笑った。

「最初にカフェに行ったときも、そうだったね」

「…猫舌なんだってば」

少しだけいつもの蒼に戻った気がした。


 夜空の色が濃くなってきて、星座が昇ってきた。

「北斗七星が見える?」

「ひしゃくみたいなやつだね」

「そう、おおぐま座の一部ね。あ、カシオペヤ座も見えるね、あのWの形。この二つの間にあるのが北極星。ここが北になるんだ」

「方角がわかるの便利だね」

蒼が思ったよりも楽しそうに星を探していたので、連れ出してよかったと思った。

「俺、オリオン座なら知ってるけど」

「三つならんだ星でわかりやすいよね。冬の星座だけど今なら…南東、こっち」

「あ、あった!知ってるのがあると嬉しいね」

「この位置なら、まだ冬の大三角も見えるかも。明るい星ばっかりだからすぐわかるよ」

オリオン座の赤く見えるベテルギウスと、その下にあるおおいぬ座のシリウス、この二つと正三角形を作るような位置にあるのがこいぬ座のプロキオン。


「航は何でそんなによく知ってるの?」

「兄さんに教えてもらったんだ。今は大学が忙しいから全然行かなくなっちゃったけど、僕が中学生の時はよく連れてってもらったよ」

天体望遠鏡までは持ってなかったけど、兄さんと毎月のように流星群を見に行った。

「そうかあ、いいなぁ…」

蒼は兄弟と年がだいぶ離れているので、一緒に過ごした記憶がほとんどないらしい。

「こんどは三人で来ようか。兄さんならもっといろいろ教えてくれるよ」

「うん」

「オセロでもいいけど」

初めて僕の家に来たとき、蒼と兄さんはオセロでかなり盛り上がっていたのを思い出した。

「ふふっ、翔さん、子どもみたいだった」

「二人ともだよ」

 蒼はしばらくオリオン座を眺めていたが、ひとつくしゃみをした。

「大丈夫?冷えてきたね」

僕はリュックからブランケットを取り出した。

「蒼はそっち持って」

ふたりで肩をならべて座り、一緒にくるまった。 

「あったかい」

「…こんなふうに一緒に寝たこともあったね」

「うん。なんか今日はいろんなことを思い出すなぁ」

空を見上げながら蒼がつぶやいた。


「航」

 蒼がふいに僕の名前を呼んだ。

「…ありがとう。何もする気が起きなかったけど、来てよかった」

「そっか。誘ってよかった」

「俺、ずっと引っ掛かったままなんだ」

「…うん、わかるよ」

 蒼はあの時よりは元気にはなったけど、まだ前に進めていない。その寂しそうな横顔は月あかりに照らされて冷たく(とが)って見えた。

「俺は誰からも必要とされてないのかなって、そんなことばっかり考えるんだ」

蒼がこうして気持ちを吐き出してくれるのは嬉しいけど、ずっとそんなことを考えてるなんてやりきれなかった。

「…僕がいるよ。そんな寂しいこと言わないで」

蒼は何も言わず、僕のほうを見て静かに微笑んだ。


 帰りの電車で親子連れを見かけた。

どこからかの帰りなのか、ベビーカーの中の赤ちゃんはぐっすり眠っていた。母親らしき人はうとうとしていたが、はっと目を覚ますと赤ちゃんがそこにいることを確認して安心したようだった。そっと手を伸ばすと、(いと)おしそうに赤ちゃんの頬をなでた。

僕もずっと見ていたけど、となりにいる蒼も目が離せないようだった。

「…綾さんと俺も、あんなだったのかな」

蒼がぽつんと言った。

「みんな、誰でもそうだと思うよ。たとえ思い出せなくても、記憶は自分のどこかにちゃんと残ってると思う」

自分のことも思い出しながら僕は言った。


─どうして大人になると、変わっていってしまうんだろう。どうせなら、幸せなほうに変わっていけばいいのに…


 幸せなはずの記憶は、大人の手によってどんどん上書きされ続けている。

僕の場合は、まだかろうじて思い出せるものがあるけど、蒼は母親を早くに亡くしているし、もともと兄弟と過ごした記憶も少ない。そこに来て婚外子として生まれ、養子になった自分の過去を知ってしまって二重の痛手(ショック)だ。

 僕も綾さんのことは好きだし、幸恵さんも蒼にとっては陽だまりみたいな存在だったと思うけど、蒼をこんなに苦しめたことでは、少なからず憎らしく思っていた。


─でも…


 たとえどんな人の子どもでも、どんな環境で育ったとしても僕は今の蒼が好きだし、友達であることに変わりはない。

そして蒼と過ごした季節はいつも(きら)めいていて、上書きされた僕の記憶をすっかりきれいに塗りかえてくれた。


『人生に無駄なことは何もないと思う。過去があって今の自分があるから。乗り越えられないつらいこともあるだろうけどね』


 中学の担任だった五十嵐先生に、以前言われた言葉を思い出した。降りかかった困難は乗り越えなきゃいけないと思っていた僕は、先生に訊ねた。


『乗り越えられたらいちばんいいと思う。だけど、そうしようとすることで、もっとつらくなることもある。無理に克服しなくてもいいんだよ。いつかはできるから。それよりも今は自分を大切にすることを考えた方がいいね』


 両親との軋轢(あつれき)に悩んでいた僕は、先生の『いつかはできるから』の言葉にどれだけ救われただろう。

両親から見たら逃げたようでも、「自分を守る」ことに専念できたのも大きかった。

「人生に無駄なことはない」なんて言いきれるほど生きてはないけど、それでも「いつか」が今やってきたということは言える。


蒼にそれをうまく伝えられたらと思った。


 レールを走る規則的な電車の音に揺られているうちに、いつのまにか僕たちは、お互いに寄りかかって眠っていた。

それは蒼にとって、ほんのつかの間の(なぎ)のような時間だった。



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